◆英語版と日本語版はミラー関係にはありません。
(正)(副)と言うわけでもないのですが、スパンキングの物語を掲載するのが目的の一つです。
「苦いお茶」と「聖女の行進」はいずれも30年くらい前に書いたものです。
活字になって印刷されたものをスキャナーで取り込んで文字化しています。
したがって誤植のような現象もあります。漢字も、たとえば「お父さん」は当時認めていませんから、
「おとうさん」になっています。
そんなこんなで読みにくいと思いますがご容赦下さい。
何よりも作者(私)が二十代のド素人です。その点も考慮して下さい。
順次、書き下ろしなども掲載する予定です。
スパンキングの絵を投稿して下されば、その絵に物語をつけることもできます。
又、私の物語に挿し絵を描いて下さっても結構です。
そんな、キャッチボールが出来たらいいなと思っています。
◆三年ほど前に初めてホームペイジを開いたのですが、その時は日本語発信でした。
ところが、私のホームペイジを訪れるのは外国人ばかりなのです。
一ヶ月を過ぎた頃から毎日のように外国からメイルが届くようになりました。
文字化けして文章が読めない、何が書いてあるんだ?
文章を英語に翻訳しろ! と、こんなメイルばかりです。
メイルが百通も貯まった頃でも日本人からのメイルは七通でした。
外国からの苦情のメイルは増えるばかりです。
そこで、物語だけを残し、思い切って日本語を消してしまいました。
英語と言っても単語を並べただけです。どこにリンクして、どこに戻るか、
それだけでも外国の人には見やすくなったわけです。その頃からアクセスも急激に増えました。
◆私が19歳の頃に描いた稚拙な絵が、雑誌に掲載されたときから数えても40年が過ぎ去りました。
スパンキングと言う言葉すら一般的ではありませんでした。小説や絵も限られたものしかありません。
数冊の本と僅かばかりのイラスト、写真、それらを宝物のように大切にしていたものです。
活字、絵、写真、8ミリフイルム、そしてヴィデオ。時代の流れを肌身で感じる今日この頃です。
収蔵したスパンキング、ヴィデオは200本を越えました。
しかし、ヴィデオの出現前に映画の時代があります。それも8ミリになってから一般的になりました。
(8ミリ以前のスパンキング映画なら1900年代からあります)
初めて海外に注文して届いたスパンキングの8ミリ映画。その画面が動き出したときの感動は、
とても言葉では言い表せません。
それまでは絵か写真でしか見られなかったものが突然、動き出すわけですから、感激です。
それでも音は入っていなかったんです。音声付きのものも僅かばかり制作されてはいましたが、
私は持っていません。
ですから最初にヴィデオを見たときは、動くことより音に感激したわけです。
スパンキングにとって音って重要ですからね。
◆そんなわけで定期的に感動しながら40年が過ぎ去ったわけです。
スパンキングの絵も物語もたくさん書きました。自給自足しない限り誰も書いてくれなかったのです。
資料も目に付く限り集めました。何度か外国にも行き、その都度コレクションをふやしました。
それが今、ホームペイジの役に立っています。
私のホームペイジは英語発信でも日本語発信でもありません。画像発信です。
画像こそが世界共通語なのです。そのためにホームペイジ容量を100MB確保してあります。
画像をご覧になるときは英語版の方で見て下さい。
旧ホームペイジはお陰様で1,000,000アクセスを越えました。
二ヶ月ほどお休みをして内容を整理し、'98 9月10日に再オープンしました。
カウンターも0から再スタートです。
これからも画像発信の基本姿勢は変わりません。どうぞ、お楽しみ下さい。
◆懐旧譚ばかりで退屈されたと思います。休憩室でおくつろぎ下さい。
下のアイコンをクリックすると休憩室に入れます。コーヒーでも煙草でも、あるいはビールでも飲みながら、
しばしおくつろぎ下さい。
休憩室はあちらこちらに点在させる予定です。