美和の手記3 2000年 by caner
美和は屈辱のクリスマスの日から毎日学校に来ていた。
クリスマスの日の体罰の最中、下半身剥き出しの恥ずかしい姿のまま
寒さの余りおもらしをしてしまったのだ。
当然さらにお尻のお仕置きは追加され、校則155条によって
懲罰点の重加算とトイレットトレーニングが追加されたのだった。
重加算は80点、年内は毎日スカートなしの恥ずかしい姿で廊下の拭き掃除
ケインで20回のお尻叩き、正座3時間
トイレは許可制で排泄の細々したことまで指導教官の
指導監視(女の先生なのがせめてもの救いだった)
そして仕上げは作法室での恥ずかしいツボへのお灸と
思春期の女性には死にたいくらいの懲罰が繰り返された。
最初一緒に罰を受けていた中西淳子は27日にはもう解放されていた。
淳子は県立北高のボーイフレンドとクリスマスの日に繁華街でデート
しているときに生活指導部の青柳に捕まって冬休み中に
罰を受けていたのだった。
ボーイフレンドと遊んでいて罰を受けるなら
まだ我慢できる。
そんな淳子がわずか2日間の懲罰で済んで
智君と会うことすら出来なかった私が・・・
美和は悔しい思いでいっぱいだった
その時後ろからハイヒールの音がした
「なにをぼーっとしているの!」
竹の棒がパンティーだけのお尻に振り下ろされる
「ごめんさない」
「あなただけなのよ、懲罰点が年内に消化できないのは。
1月は1日だけ休ませてあげるけど、あとは毎日登校よ」
元旦は平和だった。智君とも初詣に行けた
言い忘れていたが私は両親を事故でなくして
叔父夫婦の家で生活している
名門だが異常に躾の厳しい聖プラヌスに私を入れたのも
「非行にでも走ったら世間体が悪い」の一言だろう
毎日の冷たい視線、心ない言葉、だが私には他に居場所はない
地獄のような学校生活も叔母が特別厳しくしてくれと
教師に頼んでいるからなのだろう、今はただ耐えるしかないのだ
1月もあけて2日、朝8時から登校する
「あけましておめでとうございます」
「おめでとう、正月早々罰を受けに登校とはお気の毒ね
私も当番で新年早々出勤だわ、あなたの今日の罰は・・・」
生活指導の英語科、柴田先生は12月で海外留学
新任の小早川聖子先生は結構親切で評判だ、
でも今日は罰のために私の前にいる
「あれっ?あなた・・・これじゃ」
美和には小早川先生が何を言おうとしているのか
わからなかった、しかし余りいいことではないらしい
「まあ今日は廊下の掃除とお尻30回ね、早くスカートを脱いで
下着は既定どうりでしょうね?」
美和は痛むお尻、といっても柴田先生の笞よりだいぶ
手加減してくれたようだが赤い線のついたお尻をさすりながら
誰もいない学校を下校した。
小早川先生の「5日は校長先生がいらっしゃるから」
と言う言葉がひっかかる
それから2日がたち、美和は朝の笞を受けた後、校長室へ呼ばれた
校長室は50回の竹笞の思いでのある場所だ、足がすくむ
「君は桂木美和君だね、覚えているよ。
下着検査で連続してひっかった子だね。」
叔母に下着を買うお金を言い出せなくて、汚れた下着を
つけなければならない日があったのだ、そんなときにかぎって
生活指導の先生に見つかってしまうのだ
校長は重苦しい面もちで美和に言った
「君の点数は懲戒所行きに相当する。文部省のコンピューターの計算
だと残念だが本校始まって以来の懲戒所送りとなる。
校長としては極めて残念だが教育委員会のマザーコンピューターにも
データーは送られているからもう仕方がないな」
非行の増加、少年犯罪の悪質化対策として各学校には生徒の素行、非行、
校則違反が記録される端末が置かれ、教育委員会の内部にあるマザーコンピューター
によって非行度が点数化される。
点数化の演算式は文部省が開発したとのことで合理性に批判も
あったが運用上は絶対の力を持っている。そして重非行とされた生徒は
文部省直轄の懲戒所(民法)に収容され、厳格なしつけ教育がほどこされるのだ。
美和は何か言葉にしようとしたがでなかった
懲罰点数は勿論自分で数えている、とうていそんな点数になるはずは・・・
叔父夫婦は「世間体が悪い」と吐き捨てるだけだった
美和は寒い板張りの懲戒所の独房で
下半身剥きだしでの正座のまま反省文を書いている
美和の点数はこの制度始まって以来の非行度だそうだ
新聞にも小さな記事がでたことを護送中の車の中で看守が教えてくれた
懲戒所は点数によって年限が決められるらしい
美和はもう二度と出れないかもしれない
聖プラヌスも辛い場所だったがそれなりの自由もあった
それにあと2年で卒業できるという希望があった
がここはまさに刑務所だ、いつ果てるともしれない煉獄の日々
お尻をずらすと笞あとの痛みが頭にまでひびいた
看守室では週刊誌を当直に当たった新人看守が読んでいた
「何も起こらなかったY2K、コンピューターの誤作動は殆どゼロ
空振りに終わった2000年問題
日本のコンピューターシステムの優秀性を語る」
あくびをしながら看守は時計を見た
この時計(クロック)もY2Kは乗り越えたようだ
caner