ステファン卿の贈り物

K.Mikami

 「ガチャン」

という音とともにガラスの灰皿が割れる。

私が安楽椅子に寝そべりながら薄目をあけて確認すると、犯人はすでに床に
膝まづいてその片付けにはいっていた。といってもその手がてきぱきと仕事を
しているようには見えない。

破片を摘む指の震えが罪の重さを感じさせ、ひきつる頬と噛み合わない唇は
これから起こるであろう我が身の不幸を自らに問い掛けているかのようだ。

おそらくはそうやって、自分の気持ちを高めているのだろう。

『お仕置きして欲しいのか……かわらんなあ、おまえは……』

ミー子が大型犬用の檻に入れられたまま、ここへ届けられて一年。この一風
変わったところのある少女はその時と何も変っていなかった。この家で最初に
壊した灰皿も彼女は同じ素振り、同じ顔で拾い上げていたのだ。

スカート丈の短いなす紺のエプロンドレスに、首に巻かれた臙脂のリボンが
妙に似合っている。彼女のリボンは喉に付けた金の鈴の首輪なのだ。

その鈴が私を気づかってかシャリン、シャリンと控えめな音をたてているの
がとても可愛い。思えば彼女とは不思議な縁なのだ。

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 1998年のクリスマス、私は商談を終えて帰国するところだった。すると
商談相手が、

「飛行機の中でクリスマスを祝うのも味気なかろう、一晩付き合え」

と言うのである。

案内されたのはパリ郊外の瀟洒な屋敷、主人は男爵だという。その時は仕事
がまた一つ増えたと思うしかなかった。

が、中の様子は私の想像していたものとはまったく違っていたのである。

乱交パーティーと言えば言い過ぎか。しかしその表現もそう遠くはない催し
だったのだ。

館の主、ステファン卿はO嬢の物語のモデルになった人物と聞かされたが、
その時はすでに好々爺といった感じで、そのせいか若いというよりむしろ幼い
少女を身近にはべらせては楽しんでいた。

そのうちこうした催しにはつきもののショーが始まる。

例えば懺悔聴聞僧や教師に扮した客が少女の素行の悪さや怠け癖をなじって
は懲罰を加えるといった寸劇を大真面目でやってみたり、どの娘のお尻をどれ
くらい裸にして、何発くらい、どんな鞭でぶてるかを籤で決めたりするのだ。

いずれもたわいのないことだが、それだけに場は盛り上がっていた。

そんななか、こうした趣向には一切参加せず、先程からステファン卿のそば
にべったりと寄り添って離れない少女がいた。

『何もしないのに男爵の不興をかわないところをみると、老人のお気にいり
か。あの顔は日本人か?少なくとも東洋人だな』

私は少女の第一印象をそのように見ていた。しかしそんな彼女もやがて芸を
しなければならないはめになる。客たちがこぞって少女の芸を求めたのだ。

彼女に課せられた課題は「マッチ売りの少女」だった。

これは少女がマッチを篭に入れて紳士たちの間を廻り、マッチを一つ買って
もらうたびに、客たちからの無理難題に応じなければならないというもの。

もとよりこういう席だから求められることは破廉恥なことと相場が決まって
いたのである。

例えば……

「こう寒くては手がかじかんでマッチも擦れぬ。わしにはそんな篭に入った
冷たいマッチより、おまえのブラジャーやショーツの中でぬくぬくと暖まって
いるのをくれぬか」とか……

「聞けばそのマッチを暗がりで擦ると美しい幻影が現われるそうではないか
いったいどんな夢が見られるのか試してみたいものだ。…おう、そうだ。お前
のスカートの中の暗がりを私に貸してはくれぬか」などといったたぐいだ。

その紳士たちの無理難題に少女はことごとく怯えてみせた。実はその怯え、
絶望の表情こそが、彼女の芸だったのである。もとよりドンファンで知られる
男爵がこの少女に手を付けていないはずがない。しかし、哀願する少女の姿は
まがう方なき生娘と見えるのだ。

『なるほど、これがあればこその男爵のお気にいりというわけか…』

私はそれまでこうした乱痴気騒ぎに興味がなかったが、彼女の出現で不思議
に参加したい気になった。きっとサディストの血が騒いだのだろう。

「お嬢さん、私にも一つ売ってください」

私が日本語で話し掛けると、とたんに少女の表情が一変する。それは彼女が
それまで見せたことのない素直な驚き、不安の表情だった。

慌てたようにして「はい」という答えが返ってくる。

怪しげなことを密約していると勘繰られてもいけないから、日本語の会話は
それだけだったが、同じ日本人と知れたことで彼女の表情にそれまでとは違っ
た色合が反映されるようになったのは確かだ。

私は要求する。

「最近、年のせいか手首が固くなってね、マッチを擦ろうにもなかなか一回
ではつかないんだよ。君、ぼくの手首が柔らかくなるように協力してくれない
か……君のその柔らかなお尻で」

そう言ってまもなく少女の顔に戦慄が走る。それは他の紳士たちに見せたの
とは異なる少女の素顔だった。おそらくは私が日本人と知って、夢から現実へ
引き戻された思いがしたのだろう。

少女は何も言わず、男爵の元へと走り去ってしまう。ステファン卿の背中に
隠れ、こわごわとこちらの様子を窺うさまはまるで幼女のようだ。

私は片膝をつくと、国王に臣下の礼をとる騎士のように深々と頭をさげた。
もとより彼女は男爵のもの、私が彼女を追い掛けて行き、腕を引っ張ってくる
ことなどできようはずもないのである。

「その儀は許せ」

と男爵が一言のたまえば、それっきりだった。が、そこは遊び慣れた粋人。
今度は本当に怯えているマッチ売りを私のもとへと帰してくれたのである。

椅子に腰を下ろした私は彼女のお尻がステファン卿の方を向くようにして、
少女を膝の上に抱く。そして、スカートを捲るについて目で合図を送り、ショ
ーツをずらすについても、同じようにして男爵に承諾を求めたのだった。

パン、………パン、………パン、………パン、………パン、……パン、

始めはゆっくり軽く。しかし少女の顔はすでに真っ赤で涙ぐんでさえいる。

やがて…

パン……パン……パン……パン……パン……パン……パン……パン……

少し間隔を狭く、強さも増してやると、声はまだ出ないものの、可愛い双丘
や小さな胸、お臍の下などが微妙に動き始めた。痛みから逃げたいとする気持
と自分の大事な処を観衆に覗き見されたくないという思いがぶつかって、この
微妙な動きになっているのだ。

「……ぁ、……ぁ、……ぁあ、……あぁ、……ぁ、……ぁあ、……ああ」

それはあまりに小さくて、最初、耳をそばだてていなければ聞こえないほど
だったが、必死に自分の大事な処を守ろうとする叫びも、少女ならば美しく。
心地よい音楽となって私を陶酔させるのだった。

パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、

間隔はさらに短くなって私も最後の仕上げ。スナップも目一杯きかせ始める
しかし、こうなると体裁などかまってはいられない。先ほどの羞恥心はどこへ
やら、足を激しく蹴り上げては、やみくもに許しを乞い懺悔の言葉を口にする
ようになる。

「あ〜あ、やめて、……もう許して……もうたくさんよ……ごめんなさい」

最後の言葉はやはり日本語だった。

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それから一ヵ月後、すでに帰国していた私の所へ思わぬプレゼントが届く。

動物移送用の檻に入れられたその猫はもうその時から臙脂のリボンに金の鈴
を喉に付けていたのだ。

ステファン卿からの手紙には「おまえに会って以来こいつが芸をしなくなっ
た。一年の猶予をやるからおまえの責任でまた芸ができるよう調教しなおせ」
と書いてあったのだ。

その約束の一年がもう間近に迫っていた。

「ガシャン」

再び灰皿の割れる音がする。さっきよりむしろ大きな音。私に起きてほしい
と願う音だ。

「何だ、また壊したのか。おまえは、いったいいつになったら、その粗相が
治るんだ」

私は、さも今それに気が付いたかのようなふりをして、いつもどおりの演技
を始める。

パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、パン、

「いやいや、ああ〜、もうしないから。ごめんなさい。もう許してよ〜」

しかし、そのあとが今日は少しだけ違うのだ。私はミー子が私の膝の上でお
尻をさすり、胸の中で充分に泣いたのを確かめると、椅子の下から一つの包み
を取り出した。

「何?、これ」

「制服だ。高校の…」

この時、ミー子の目が輝く。それは私を確信させた。やはりこの子は高校に
行きたいのだと……。そして、その確信が次の決断へとつながる。

「おまえをステファン卿のもとへは帰さない。おまえはこれからも私の処で
暮らすんだ。そして来年四月からは高校へも通ってもらう。おまえの今の教養
じゃ、私の話相手にもならんからな」

「来年って?、明日から来年よ」

「あたりまえじゃないか」

私の言葉にミー子の顔は破顔一笑といった体だ。

「ミー子、来月から行きたい。一年生の三学期に編入させて…」

「無理を言うな。だいいちおまえの学力じゃついていけないよ」

「あっそうか。やっぱりね」

ミー子が突然また不安げになるので、

「大丈夫。これから四月までの間は高校へ行っても困らないようにたっぷり
基礎学力をつけてやる。幸いおまえは、頭からだけじゃなく……」

チリン、チリン、「ああ〜ん、いやだあ〜、ゆるして〜」チリン、チリン、

「……ここからだって覚えられるんだから、何も心配はいらんよ」

首に付けた金の鈴が可愛く鳴って、ミー子は憧れの制服を抱いたまま、私の
膝に再びもたれ掛かる。

……パン…チリン…パン…「ああん」…パン…チリン「もう耐えられない」
…パン…チリン「ああん、だめだめ」…パン…チリン「許してお願い」…パン

 2000年代の幕開けを告げる除夜の鐘がかすかに部屋に流れ込むなか、私
はそれでも笑みの消えないミー子の真っ赤に熟れたお尻を、笑顔でもう一度、
しっかりと叩き始めるのだった。

        <了>

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