'98/10/26

これは私自身の体験ですから実話です。

でも、小学校一年生の時の記憶です。

したがって、成長するにつれ記憶は訂正されていると思います。

この話に登場する四人の人物は、今なお健在です。

環境も、私以外は皆その当時と同じところに住んでいます。

したがって、名前はすべて偽名としました。

亜希子


小学校一年に入学してまもなくの頃、学校から帰ると母親はすでに支度を終えていた。

今日は、池崎の小母様の家に行くと朝から言われていたのだ。

池崎の小母様の家には大好きな純子お姉さんがいる。

母親が運転する車で二十分あまりで到着した。

池崎の小母様はいつもと同じように笑顔で迎えてくださった。

私は、母親に教えてもらったとおりに入学祝いのお礼を述べると、

池崎の小母様は笑顔で誉めてくださった。

池崎の小母様と私の母は、学生時代の先輩、後輩の間柄で、 母親にしてみれば、池崎の小母様は人生の先輩でもあった。 結婚も、出産も、常に一歩先を進む先輩は母にとって頼りになる人だったに違いない。

子供の具合が悪くなると、お医者様よりも先に池崎さんに電話したと母親が話してくれたことがある。

その日、いつもと同じ応接間に通された。

その応接間に純子お姉さんが首をうなだれて立っていた。 いつもと違う、という感じは小学一年生の私にも感じられた。

池崎の小母様は部屋に入るとすぐに腰を下げ、立っている私と同じレベルまで目線を下げた。

「せっかく亜希子ちゃんが遊びに来てくれたのに、純子、今日は少し悪い子だったの」

小母様が話し始めると、純子お姉さんは顔を伏せたまま横を向いてしまった。

今年から五年生になった純子お姉さんは、当時の私からみれば大人に近い存在に思えた。

なんでも教えてくれたし、妹のように可愛がってもらった。

「少し叱って、言い聞かせたら、自分の悪いところが良くわかってくれたの」

池崎の小母様は、母にではなく私に話していた。

「でもね、先生からご注意のお手紙をいただくなんて初めてですからね、今日は、お小言だけでは済みませんよって言っていたところなの。亜希子ちゃんもお仕置きあるわね」

小母様に訊かれて、私はコクンとうなずいた。

幼稚園のころ、時々母親の膝に乗せられてお尻を叩かれた。それがお仕置きだということは良く知っていた。

「遊びに来てくれたのにごめんね。純子もまだ子供だからこういうこともあるの、少しだけ我慢して待っていてね」

池崎の小母様はそう言うと長椅子に座っている母親の隣に私を座らせた。

そして、立ち上がると純子お姉さんの前に立った。

「純子、お仕置きですよ。来なさい」

そう言って小母様は椅子に腰を下ろした。

純子お姉さんは立ちすくんだまま動かなかった。

「純子! なぜ素直に出来ないの」

その声は、私に話しかけていたときとはまるで違っていた。

「おねがい……ここでお仕置きしないで……」

「ああそう、亜希子ちゃんや安田の小母様に見られるから恥ずかしいのね。安心しなさい、亜希子ちゃんだって同じお仕置きなのよ。いくら恥ずかしくても自分が悪いのだから仕方ないでしょ。お母さん、子供のわがままを許したりしませんよ。純子! 来なさい! 素直に出来ないとお仕置きが重くなりますよ!」

その声に、ビクッとして私は母の体の陰に自分の体を隠すようにした。

仕方なく、前に進む純子お姉さんの腕を掴むと、小母様は強く引いた。純子お姉さんは前にのめるようにして小母様の膝に乗せられてしまった。

純子お姉さんは少し抵抗したが、スカートがまくり上げられ、ズロースが下げられた。

その時の純子お姉さんのお尻はとても大きく見えた。

ピシッ! 最初の音が聞こえたとき、私は胸の内で叫んだ。違う、これは違う!

私もお尻叩きのお仕置きはされたが、それは、お尻ペンペンなのだ。

幼稚園の時だから、ズロースは脱がされたが、お尻をペチペチと十回ほど叩かれるだけだった。怖くて泣いたかもしれないが、痛くて泣くほどではなかった。

お仕置きが終われば、ケロッとした顔をしていただろう。

池崎の小母様のお仕置きはまるで違っていた。純子お姉さんのお尻は五六回叩かれただけで赤くなっていた。

ピシッ! ビシッ! と、音はますます大きくなった。

純子お姉さんは最初から声を出し、体を反らせていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしませんからぁ、お母様許して」

泣いて謝っているのに、池崎の小母様は手を止めるどころかますます強く叩くのだ。

いくつ叩いたか、数えもしませんでしたが、二十や三十ではない。

お仕置きが済んで膝からおろされると、純子お姉さんはヒイヒイと声を上げて泣いてた。真っ赤になったお尻を、両手で撫でていましたが、とてもじっと立ってはいられない様子で足を交互に踏み替えていた。

「純子、泣きやみなさい。うるさくしたらお話もできませんよ」

そう言われても、純子お姉さんは肩を震わせて泣き続けていた。

「純子は泣きやむまでお廊下に立っていなさい」

小母様はそう言うと純子お姉さんを部屋の外に出した。

扉は閉まっていたが、それでも少し泣き声が聞こえてくるのだ。

大人はお茶、私にはジュースが出された。

本来ならこの時間、私は純子お姉さんの部屋にいるのだが、その日ばかりは大人の話を黙って聞くしかなかった。

三十分ほどすると、

「純子もそろそろ落ち着いたでしょうから連れてきましょうね」

そう言って部屋を出たが、しばらく時間がかかった。純子お姉さんは顔を洗い、髪を梳かし、お洋服まで替えていた。恥ずかしそうに下を向いていたが、母親に促されて私と母の前に立った。

「安田の小母様、それに亜希子ちゃん、ごめんなさい。私のせいで不愉快な気持ちになったと思います、ごめんなさい」

そう言ってペコッと頭を下げた。

「そう、確かに不愉快だったわ。子供は誰だってお仕置きはいやでしょうけど、叩いている大人の方がつらいのよ。見ているのは、もっとつらいわ。これからは、こういう事の無いようにしてくださいね」

母にしては厳しい言葉だが、これは三十分の雑談の時に池崎の小母様に言われたのだ。

「あとで純子にお詫びを言わせますけど、甘い言葉なんてかけないでね」

それが、この言葉になったのだろう。母は池崎の小母様の言うことなら何でも聞くのだ。

やっと解放され、私達は純子お姉さんの部屋に行ったが、遊ぶ時間は一時間ほどしかなかった。純子お姉さんは椅子に座るときに顔をしかめた。

「痛い?」そう聞くと、

「すごく」と答えた。

「新しい担任の先生がとても厳しくて、教室で騒いだりすると、すぐにお家にお手紙を持っていきなさいって言うの。やだなぁ」

私と違って純子お姉さんはスポーツ万能。その分だけお転婆でもある。溜息をつきたくなる気持ちを一年生の私にも理解できた。

帰るとき、純子お姉さんは外まで送りにでてくれた。

「この次はもっと楽しいといいわね」

母がそう言うと純子お姉さんは、

「あんなの、もう二度といや!」そう言って顔を赤くしていた。

帰りの車の中で母親に宣告された。

「これからは幼稚園までのお仕置きとは違いますよ。亜希子だってもう小学生なんですからね。今度からは純子ちゃんと同じようなお仕置きになりますよ」

本当に、あんなお仕置きを母がするのだろうかと、まだ、半信半疑だった。

多分、子供がいなくなってからの一時間で母はお仕置きのノウハウを教わったのだろう。

私のお仕置きも、次第に厳しくなっていった。

ただ、これを読む方が想像するほど回数は多くはない。

私は、今でもそうですが、とても臆病な性格で、お転婆もイタズラも滅多にすることはなかった。勉強も嫌いではなかったし、叱られる回数は純子お姉さんの半分以下だったと思う。

それでも、年に四五回はお仕置きがあった。間隔が開くだけに一回ごとのお仕置きが本当に怖くてつらかった。

小学生だけではなく、中学でも、高校でも、母親のお仕置きはあった。

回数は、本当に少なくて、高校三年を通じて二回。

最後の時まで母はショーツを脱がせ、中学からはモノサシで叩かれた。

モノサシも、純子ちゃんも中学からはモノサシだった、という理由なのだ。

大嫌いなお仕置きですが、自分で自分の姿は見えません。

いつも目に浮かぶのは、あの日の純子お姉さんのお仕置きです。

純子お姉さんが中学生になってセーラー服を着るようになると、私はその姿のままお仕置きされている純子お姉さんを想像してしまうのです。

もう一度、純子お姉さんがお仕置きされている姿を見たい。その思いは叶えられませんでしたが、いつしか私は未知の世界に迷い込んでいたようです。

インターネットを始め、検索の使い方を教えていただき、一人暮らしのアパートに戻り、検索の頁を開き、spankingと打ち込むのに時間はかかりませんでした。

これからどうなるのか、不安もあります。

純子お姉さんは結婚して子供もいます。母の不満は私が結婚を考えようとしないこと。

今、仕事が面白くて仕方ないのです。当分、結婚は考えていません。

つまらない作文におつきあいいただき感謝いたします。

亜希子

メニューに戻る