2010年3月23日発売開始
    『佐伯香也子小説集 I 』
    佐伯香也子:著 風俗資料館:発行

    現在(2010年3月)三和出版のマニア倶楽部にて「拷問コラム〜香也子の妄想ノート」を、秘性にて「アニスタ神殿記」を連載中の佐伯香也子氏初の小説集。妄想を愛し小説を愛する極々少数の方だけにひっそりと読んでいただきたい珠玉の4篇。限定20部の稀少な私家本です。

    手作り製本・A5判・全109頁
    価 格1500円(税込) sold out
    会員以外の方もご購入可能です。お気軽にご来館ください。
    通信販売も承ります。詳細はこちら→★

    『佐伯香也子小説集 I 』発行によせて
    文=佐伯香也子
     私は、小さな頃から、本当に妄想好きだった。
     現実世界での「こうなったらいいな」という事はもちろん、あり得ないおとぎの世界のお姫様まで、その内容は実に様々だった。
     十二歳の時にどうすれば妊娠するのかを知って、秘密の快楽の正体が初めてわかった。それと同時に、いくつかの妄想の根源にあるものにも気づいたが、それが普通ではないという事まではわかっていなかった。まだまだ子供で、正常な性と異常な性の違いを知らなかったのだ。
     だから私は、性器を裂かれたり、体を切断されたり、あるいは生きたまま解剖されたりする自分を、繰り返し妄想した。特に性器を破壊されるシーンは、中学生の私を、えも言われぬ深い陶酔へと導いた。

     大学に入って恋人ができると、息ができなくなるほどの強い快楽に夢中になった。だが、それはあくまでもノーマルなもので、私はそれに不満は感じていなかったし、陰惨な妄想と現実の性愛はほとんど結びついていなかった。「それはそれ、これはこれ」というふうに、自分のなかで区別ができていたのである。
     自分が立派なマゾヒストであるとわかったのは、ネットでいろいろな情報に接するようになってからのことだ。へんなところで、妙に奥手だったのだ。

     妄想は妄想のまま、今後も実現するつもりはまったくないが、数年前、あるきっかけでSM小説を書くようになった。以来、その翼はさらに大きく広がり、もっと好き勝手に飛び回るようになっている。
     三年前には、『マニア倶楽部』の山之内さんから声をかけていただき、拷問コラムを担当させていただくようにもなった。
     小説も、『マニア倶楽部』のほかに『秘性』でも掲載していただき、チャンスをくださった升之利さんには感謝している。

     自発的に書くより、依頼されて書く方が、自分の内面と客観的に向き合える。それは本当によかったと思っている。
     書いているうちにあぶり出されてきたのは、誰か、熱烈に私を愛してくれる人に監禁され、その人の性に奉仕する体に変えられたいという、乙女の夢のような想いであった。
     これこそが、私のM妄想を支える雛形だったのだ。

    「苦痛」は「愛の深さ」に換算され、それを想像する私の肉体に喜びをもたらす。裂かれたり広げられたりしながら、「神」とも思う人の好みに変えられ、苛まれることにより、私は甘美な「生け贄」となる。
     三島由紀夫の「拷問や奴隷化のかなたには、永遠の歓喜と死と美が横たわっている」(「拷問と死のよろこび」)という言葉は、まさに真実であると思う。「かなた」へ行ける者だけが、それを知っているのだ。

     妄想の中で自我を手放し、ただ使用される肉体だけになる時、私はある種の墜落感を味わう。
     もっと正確にいうならば、落下する瞬間、肉体から魂が分離し、現実では味わえない至福の光へと入ってゆくのである。
     小説を書くことは、その光を描くことだ。
     私にとっての「聖なる物語」を綴る事だといってもいい。
     この小説集は、いわばその魂の記録なのである。

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    <作品解説>

    ■「雨利錬九郎手控え帳」
     これは初めて書いた時代物である。SM行為よりも、謎解きのほうがメインになっている。主人公の雨利錬九郎は、もと八丁堀の与力。恋人の香穂は、女戯作者である。四十四歳で息子に家督をゆずって楽隠居した錬九郎の元へは、表に出せない商家のもめごとなどが持ち込まれる。彼は、十九歳年下の香穂と濃密な時をつむぎながら、鋭い洞察力と深い人間味でそれらを解決してゆく。
     時代小説も推理小説もかなり好きで、今まで浴びるほど読んできた。中でもSMテイストの強い、岡本綺堂や江戸川乱歩の作品は忘れがたい。先人の敷いてくださった道の端っこでもいいから、なんとか歩いて行ければと思っている。

    ■「コレクターズ・クラブ*リナ」
    「コレクターズ・クラブ」は、シリーズものとして書き出した。この「リナ」のあとに書いた「芳春」が、三和出版の『秘性』第3号に掲載されている。SMを楽しむというより、ほとんどそこに命をかけてしまったマニアックな人々を描きたくて構想したものである。「やってみたいけど、ぎりぎりそれは無理だろう」という境目の物語を書いた。こういうのを書いていると、「ああ、やっぱり妄想のほうが自由でいいな」と思ってしまうのである。

    ■「球形の淫夢」
     自分がMである事に対して嫌悪を感じ、虚無的になっていた時期があった。これはその頃に書いた、人体改造をテーマにしたものである。下品な行為や、低俗なストーリーは書きたくなかった。SMのもつ、グロテスクだけれど美しい、生命力に満ちた面を描きたかった。そうする事によって、少しでも自分を肯定しようとしたのである。「人体改造」というのは、いわば「破壊と新生」である。そして、おそらくは、私にとっての永遠のテーマなのだと思う。

    ■「机の下の楽園」
     これは、SM小説を書き始めたごく初期の頃の作品で、ひと言で言えば「SM純愛小説」である。若い男女が出会って、お互いの気持ちを寄せ合いながら、理解を深めてゆく。けんかもすれば、相手の気持ちの不確かさに怯えて心を閉ざしたりもする。SM主従というのは、普通の恋人同士のように貞操を求められない。だから、観念的な遊戯のようなところがあって、会ったときだけの体の関係だけでも成り立ってしまうのではないかと、この頃は思っていた。だからこそ、切ない愛で結ばれた二人を描いてみたかったのである。

    (以上、4編の中短編からなる小説集本誌のほかに、各作品の扉絵と本文から抜粋した文の英訳を配した便箋を、おまけとして付けさせていただく)

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     妄想には、リアル・プレイにはない形のカタルシスがある。
    「実現」できないから仕方なく「妄想」するのではなく、この両者はまったく別の意味と価値を持っている。
     現実の風景がどんなに美しかったとしても、モネの「アルジャントゥイユの橋」やフェルメールの「デルフトの眺望」を否定する人はいないだろう。
     妄想は現実より劣るのではなく、任意の現実の凝縮であり、美しいデフォルメなのだ。
     それが小説家の感性を通り抜ける時、言葉となって生まれ変わる。
     さらには、エロスという名の情熱が加わって、生き生きとした物語になる。
     真実の物語は、すべからく官能的だ。時に、現実からは得られないほどの感慨をもたらす。
     私が、SM誌のグラビアをながめるより小説を書きたいと思う理由が、そこにある。


    ●警告●
    当作品は成人向けの商品となっております。18歳未満の方はご購入いただけません。
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