風俗資料館たより(マニア倶楽部/三和出版/2020年11月号)
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文=中原るつ(風俗資料館館長)
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長らくお待たせいたしました。今秋十一月末、三年越しで『切腹之書』第十号が完成いたします(※)。『切腹之書』は二〇〇八年に早乙女宏美さんが創刊した小さな自費出版本です。誰も作らないなら自分で作るしかない! と決意して立ち上がった早乙女さんのもとに、熱い思いを共にする有志の皆さんが集結し、一年に一号、心をこめて作られてきました。
今回は第十号という記念の号のため、いつも以上に投稿作品が多く寄せられました。魂ほとばしるイラストをはじめ、壮大な歴史小説、О嬢の物語の知られざる第五章へのオマージュ、早乙女さんに憧れる初々しい女性からの贋作お手紙、プレイ前にパートナーに送った楽しそうな台本などなど。どれも、女性切腹への思いをまっすぐに受け止めてくれる早乙女さんのもとだからこそ集まった、濃く熱く、夢いっぱいの作品ばかりです。
その中に相沢次郎氏が書いた「切腹プレイをしてよかった」という告白記事があります。相沢氏は風俗資料館の会員であり、桐の会の古い会員でもあります。温和で紳士的なお人柄、柔軟でありながら鋭い知性と感覚に満ちた会話がとても楽しい方です。若々しい方なので、これまで年齢を意識したことがありませんでしたが、この告白を読み、なんと八十を疾うに越えていらっしゃると知り驚きました。
平易なタイトルでさらりと書かれている「切腹プレイ」という言葉。この「プレイ」という行為がこの世になかった時代を皆さまは想像することができるでしょうか。
告白の冒頭で相沢氏は、女性切腹そのものとは別に「女性が自らの腹を切る切腹プレイ」に惹かれ、そのような女性のイメージを追い続けながら、自らもプレイをするようになったと書かれています。蛇足ながらお断りいたしますが、相沢氏のプレイとは、奥さんやパートナーに模擬刀で切腹演技をしてもらい共に燃えあがるというものではなく、ご自分のお腹を本当に刃で切るという緊張感あふれるプレイです。
日本的美の具現としての女性切腹への憧れ、そこから実際に極限的な苦痛を耐えて自らの快楽のために悦んで自虐行為をする女性に魅了され、自分なりに密かにプレイを重ねてきた六十余年。人には見せられぬ傷痕を常に下腹部に抱えて生きてきた一愛好家の、実際にやってみた者だからこそ書ける、力強く、実感のこもった告白は、愛好家による愛好家のための同人誌ならではの宝物のような作品です。
学生時代に手にした『裏窓』の小説から切腹というものに妖しい魅力を感じ、どんどんのめりこんでいったという相沢氏。その頃、『奇譚クラブ』『裏窓』『風俗奇譚』といった戦後SM雑誌には、毎号必ず切腹作品が掲載されていました。ただし、その多くは小説でした。武士の妻としての誇りをかけた最期の切腹、困難な責務に挑む中で身の潔白を証明するための覚悟の切腹、先に逝った夫や恋人の無念を胸に、愛する人へ真心を捧げる切腹など。それぞれの物語の中で、女性が意志を貫き健気に切腹する情景が描かれています。ヒロインの崇高な姿、勇を鼓舞する最期のきらめき、刃を突き立てじりじりと腹を切り裂いてゆく、その心の内に秘められた悲壮な覚悟と壮烈な情景に胸をしめつけられ、欲望をかきたてられてしまう者にとって、そのどれもが、かけがえのない大切な作品だったことと思います。
そんな中、昭和三十年代になると、緊縛などの行為を遊びとして実践したという告白記事が寄せられ、その行為がMSプレイという言葉で表現されるようになります。女性切腹の世界でも、本当に死に至る情景が描かれた小説作品ではなく、安全な範囲で実際にお腹を切ってみたという女性からの「切腹プレイ」の体験記が出現します。
本当に命を落としてしまう切腹そのものではなく、そのような情景に憧れる者が、自らの意志で、自らの楽しみのために、自らの身体を使い、現実世界で実現可能な範囲で快楽を求める行為ができるのだという新たな発見は、この時代の愛好家たちにとって、どれほど新鮮な衝撃であり、うれしく、心おどるものだったでしょうか。精神異常による変態性欲と蔑まれてきた暗い願望が、プレイと表現され、秘密の遊びとして誰かがやってみたのだという実感に、目の前が明るくひらけた喜びは相沢氏の告白からも痛いほど伝わってきます。
相沢氏が思い焦がれる、お腹に刃物を押し当てて自らを傷つけて快感に悶えようとする女性の姿。その人は浅く本当に切ることで得られる快感を知っているに違いないという確信。女性が自分の願望の実現のために大事な肌を傷つけるという潔さと度胸。痛みと出血の中で悦楽に浸る女性の姿を思うと、悩ましく、愛しく、たまらない気持ちになるという相沢氏の告白は、まるで少年のようにまっすぐで、私にはきらきらとまぶしく思えます。
そして、若かりし頃、『奇譚クラブ』の体験記を読みながら、鉛筆を削るための刀をそっと自分のお腹に当てて、じりじりと二センチほど切ってみたという初めてのプレイ。いつの日にか可能な最大の深さまで切ってみたいと思いながらも、縫わなくていい七ミリの深さを目標に、自分なりのプレイを重ねていった日々。切る部位や、スピード、プレイに際しての準備や高揚感、時間をかけて慎重にじっくりと痛みを味わう幸福な時間……。
相沢氏の告白に書かれている「切腹プレイの醍醐味は、極度の緊張感の中で『あぁ痛い』と思いながら下腹部に感じるゾリッ、ゾリッと肌が切れる瞬間の痛みと快感です」「切り進める刃の後からスルスルと肌を伝う生温かい血の懐かしいような感触や、切り終えた一文字の傷口からすだれ状に幾筋もの血が流れている情景は、忘れることができないものです」といったプレイ時の描写に驚かれる方もいるかもしれませんが、相沢氏の優しく冷静な語り口とあいまって、息をのむようなスリルだけでなく、生を楽しむための素敵な遊びとしてのわくわく感、肩肘張らぬ言葉で素直に書かれた情景に、うっとり、うらやましく思う方もいらっしゃることと思います。
かつて六十年前に相沢氏に勇気をあたえた奇譚クラブの体験記のように、この「切腹プレイをしてよかった」というささやかな告白が、いつの日か、どこかで、誰かの心を甘く痺れさせ、人生を明るく照らすあたたかいともしびとなりますように。
(※)最終段階の編集を担当している私の体調不良などにより三年も留め置いてしまいました。皆さまご心配をおかけいたしました。
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