マニア倶楽部 通巻12号 1987年8月号(三和出版)
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『医療に名をかりた拷問がむかしはあった』
〜拷問に憑かれた女の告白〜
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衝撃の線描
「こんなことをお話しする人なんてほかにいないものですから、こちらに伺ったわけです。恥ずかしいことですが、どうぞ、わたしの話を聞いてください」
と、その婦人は語り始めた。四十歳になるかならない年配で、落ち着いた物腰の人である。その話を要約してみると。
――二十年ほど前になりますかしら。わたしは大学を卒業する時期になって、卒業論文のテーマに、中世ヨーロッパの封建社会を取り上げました。その資料集めに、ほとんど毎日、図書館に通いました。
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★挿絵キャプション
左図は、ハンモック応用で、右手と右足は皮の懸引具で吊られ、
背骨を“く”の字に極端に曲げられギブスで包まれた姿勢
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そんなある日、借り出した本の中に、何かの手違いで一冊の雑誌がまぎれ込んでいました。
何気なくページを繰ってみて私は、ドキンとしました。線描の、若い女性の拷問図があったからです。私は思わず引き込まれて、夢中でその文章を読みました。
それは『ある矯正具の裏面史・背骨のまがった娘たち』というタイトルで、十九世紀ごろに治療という名目で、医者が若い娘たちに機械による拷問を施す話でした。
そのころの医者は大変な権威をもっていたようで、患者のからだを、モルモットか粘土細工のように自由勝手に扱ったのです。
ことに整形外科では若い娘の背骨がねじれてしまう病気、脊椎側湾症の治療に、かなりひどいことを平気で実行していたというのです。そして、その治療を受けることによって生じる患者の苦痛など無視されたのです。
たとえばパリの医者たちが考案した“ネジつき矯正ギブス包帯”というものです。
患者は、包帯をアゴと後頭部にかけられ、首を上に強く引かれたまま、腰から頭までギブスで固められ、腰の少し上で左右に一対のネジが埋め込まれ、ここでギブス包帯は上下に分かれているのです。
ギブス包帯が固まると医者は毎日、このネジを回します。ネジが伸びれば患者の首はそれだけ突き上げられ、腰は下に引かれて背骨が上下に伸ばされるわけです。
そして二カ月もたてば、患者の首と背骨は十センチも伸ばされるのです。しかも、その背骨を切り割られ、別に切り取られた自分の脚の骨を植え込まれます。
こうすると患者の背骨は棒のようになって前後にも左右にも二度と曲げることができなくなるのです。一生を不自由なままで送らねばなりません。
これはローテーション・ギブス・コルセットと名づけられていました(カットの線描)。
こういった記事が何ページにもわたって掲載されていました。しかも何号かにわたって。
拷問図に興奮
私は、非常に強い衝撃を受けました。そしていつの間にか、その若い娘の患者を自分に置きかえて見ていたのです。
体はカッカと火照り、頭はボーッと白い膜で覆われたようです。
自分でもうすうす感じていたのですが、実は、私はこんなふうにメカニックに責められたいという願望が心の底にあったのです。それが一気に形をとって目の前に現出したのです。
前ページ上の図は、ギブスをはめられた娘が、背中の筋肉を強化するために四つん這いで床をぐるぐる回っています。
なおひどいことに、いろいろな装置で矯正され、もう手術の必要がないと思われる患者には、新しい苦痛が加えられるのです。
ルミオーキー・プレースという装置をセットされるのです。まず腰の部分を、皮を張った薄い鉄板でしっかりと固定されます。鉄板には、前に一本、後ろに二本の太い鉄の支柱がついていて、それは弓なりに曲げられて前はアゴを、後ろの二本は後頭部を強烈に突き上げます。
「胸の呼吸が楽に出来て患者にとっては楽な器具」と医者は言うのですが……。
また、モデリンスキー教授のギブス台というものがあります。もちろん首は上に、足首は下に強く索引されています。
この場合、娘のまたがった鉄棒に突起物がついていて、それが娘の秘部にハメ込まれていたらどうでしょう。このときの苦痛は、甘美な官能を伴っているでしょう。
こんなふうにいろいろ想像をたくましくしていると、私の下半身はしびれ、秘所は濡れてしまうのです。
私は卒論をそっちのけに、その時代の処刑や拷問についての資料をあさりました。
風俗資料館には、そういった資料がたくさんあると聞いたので、お伺いしたのです。よろしくお願いします――そう言って彼女は口を閉じた。
(高倉 一)
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出典:
マニア倶楽部8月号 通巻12号
昭和62年8月1日発行
三和出版株式会社→★
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高倉一(たかくら はじめ)
1914年(大正3年)8月21日-2004年(平成16年)9月29日
1949年「夫婦生活」誌の編集者として雑誌業界に入る。戦後3大SM誌のひとつ「風俗奇譚(文献資料刊行会)」、アングラ文芸誌「黒の手帖(檸檬社)」等、数々の雑誌の編集長を経て、1984年に風俗資料館を開館(初代館長として2004年まで就任)。
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註
当「風俗資料館だより」のテキストの著作権は高倉一(風俗資料館)に帰属します。また再録に際し三和出版の許可を得て掲載いたしております。テキスト・画像等を無断で複製・転載・配布することを禁止いたします。(ただし出典を明記していただいての「引用」は歓迎いたします。ご希望の方は事前に必ずご連絡ください)
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