風俗資料館
     風俗資料館だより
    こちらのコーナーでは三和出版発行「マニア倶楽部」誌上にて連載された(現在、同誌にて中原るつによる「風俗資料館通信」が連載中です)風俗資料館初代館長・高倉一の「風俗資料館だより」をご紹介いたします。

    マニア倶楽部 通巻13号 1987年9月号(三和出版)
    『逮捕され尋問され拷問されるときわたくしの心も体も燃えるのです』
    〜女囚に魅せられた女の告白〜

    ある画家のSM画
    「ここに入会させていただいて、わたくし、ほんとうによかったと思っております。自分なりに、かなり資料は持っているつもりでいましたが、ここにあるものに比べたら、ほんの一握り、微々たるものです。それを自由に拝見できるなんて、しあわせなことです」
     目を輝かせて、その婦人は言った。ある暑い日のこと、北陸のある町から上京されたとかで、さきほど入会手続きをすませたばかりの方である。
    「わたくし、刑罰や拷問に関心がありますので、古い書籍も何冊か持っておりますが、ここ風俗資料館で何よりも気に入りましたのは、あのダンボール箱に入っている画集です。スゴい迫力でございますね。何という方がお描きになったのですか」
    「臼井静峰(臼井静洋)という方です。全部、ある方が個人的に依頼して描いてもらったものです。画伯のその後の消息は存じませんが、もし、まだご存命ならば、九十歳近い方だそうです」
    「これを拝見して、わたくしと同じような性癖の方がいらっしゃると分かって、何だか心が安らぐ思いです。わたくしの好みというのが、少々変っているものですから……」
     その婦人の性向というのは、“何か罪を犯して捕えられ、縄をうたれて取り調べられたい”というのだから、たしかに変っている。しかも、古風に“お白洲(しらす)で”というので、自分をその場に置いて興奮するというのだから数少ない性癖かもしれない。
     それにしても、臼井静峰画伯の絵には、スパイ容疑をはじめ、いろいろな罪科で逮捕された女性たちが、苛酷な取り調べや拷問にあっているテーマのものが多い。もちろん、依頼者の好みによるのだが、それを、独自なタッチで描き出している。彩色画が多く、迫力は実際に接してみないと文明できないが、右下の図で、その片鱗をうかがってもらいたい。
     そして婦人は、その性癖にとらわれた動機について語りはじめた。

    吊り責めの拷問
     ――わたくしが中学をおえて高校に入学したころですから、十六歳になったばかりのことでした。夏休みの宿題の参考にしたいと申し出て、父の書棚の蔵書を自由に見る許可を得ました。そのとき書棚の隅にあった何冊かの薄っぺらな雑誌を発見して、何気なくページを繰ってみました。そして目についたのが、雑誌のタイトルは忘れましたが、『女共産党員』という、貴司山治の小説でした。そのときはじめて接した作家名ですが、プロレタリア文学では有名な方だとあとで知りました。
     舞台は戦時中で、特高に捕まった女性共産党員がいろいろな拷問にあう描写が、リアルで鮮烈でした。
     特高というのは、特別高等警察といって、戦前の内務省直轄の機関でした。思想犯罪、ことに社会運動の弾圧に当たったもので、とても恐れられていた存在だったそうです。
     その特高が、女性共産党員を拷問する情景の描写が、わたくしの心情を、大きく揺さぶったのです。そして、いちばんわたくしにとってショックだったのが、焼きゴテで性器をつぶすシーンでした。
     裸で吊り下げられた女性共産党員が、どんな拷問にも耐えて、特高の気に入るような情報を何ひとつ白状しません。そこで最後の拷問に入るわけです。
     それは、女性のいちばん女性的である器官つまり女性器に、焼きゴテを当ててふさいでしまうということです。さすがに、排泄できなくすれば死にますから、わずかに尿道口だけのこして、大陰唇を癒着させてしまうわけです。肉の焦げるにおいさえ感じられるような場景描写が、いつまでも、わたくしの脳裏にのこりました。
     このときわたくしは、むかし島原一帯でキリシタンに対して加えられた、かずかずの拷問や処刑を思い出しました。
     現在の日本では、こうした取り調べや拷問は考えられません。けれども女性の肉体は、言語を絶する苛責にも耐えられるのだと思うと、わたくしは、からだの奥深くから湧き出る、感動にも似た心情を感じとりました。

    誰か縛ってください
     ――それからのわたくしは、刑罰・拷問史のようなものに異常な関心をもつようになりました。事実、大学の歴史科にすすんだのも、そのためです。その結果、キリスト教徒の迫害はよく知られているのに、江戸から明治にかけての女囚のことはあまりポピュラーでないことを知りました。
     右ページ上の図は明治時代の女囚ですし、右の図は江戸時代の女囚です。そして、わたくしは、自分をそこに置きかえてみると、とても血が騒ぐのです。
     ですから、映画やテレビ、芝居などで、妖艶な美女が縄つきで引き立てられたり、お白洲で奉行の取り調べを受けるようなシーンを見ていますと、からだがカッカッとほてり、恥ずかしいことですが、秘所がジットリと濡れてくるくらいです。
     また、しばしば、血の騒ぐような夜は、自分で自分を縛り上げて、素足で砂利道に座ることもあるのです。さいわいに、わたくし宅の近くには、未舗装の道路が少しありまして、そこには砂利が敷いてあるのです。それを、わたくしは、お白洲に見立てるわけです。
     自分で自分を縛ることは、それほど難しいことではありませんが、それはまた別の機会にお話しますが、わたくしの性癖は、そこまですすんでいるのです。
     さすがに、まだ自分で自分を吊るすことはしたことありませんが、江戸時代は、罪人ばかりでなく、遊郭の花魁なども、何かの口実で、吊るされたり責められたりしたようです。そして、わたくしといえば、吊り責めの場合は必ず、あの女性共産党員が拷問された場景を思い浮かべて、荒々しい思いにとらわれるのです。
     吊りといっても、女囚は、大小便垂れ流しにされていたのですから、肉体的な苦痛よりも精神的な苦痛のほうが強かったのではないかと、思われます。わたくしとしても、縛られて引き立てられるより、多くの人たちに見られるときの羞恥を考えると、からだがゾクゾクッとする感じで、そこに、つまり羞恥を人前にさらすところに、わたくしの心情のポイントがあるように思われます。
     ですから、お芝居でいいから、わたくしが、どこかでお茶を飲むかお食事をしているときに、刑事さん(もちろん本物ではありません)に尋問され、手錠をかけられて引き立てられる――なんてストーリーも夢想したことがあります。
     もし、どなたか、こうしたドラマをやってやろうじゃないかと思う方がいましたら、わたくしは、きっと実行してしまうでしょう。
     とにかく、わたくしにとって、捕われの身になることは、至福の極致だと思っているのですから……。
     婦人は語り終えて、ホッと息をした。そのしとやかな体には何と奇妙なそれでいて真情的な血が流れていることか。
    (高倉 一)
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    出典:
    マニア倶楽部9月号 通巻13号
    昭和62年9月1日発行
    三和出版株式会社→★
    高倉一(たかくら はじめ)
    1914年(大正3年)8月21日-2004年(平成16年)9月29日
    1949年「夫婦生活」誌の編集者として雑誌業界に入る。戦後3大SM誌のひとつ「風俗奇譚(文献資料刊行会)」、アングラ文芸誌「黒の手帖(檸檬社)」等、数々の雑誌の編集長を経て、1984年に風俗資料館を開館(初代館長として2004年まで就任)。


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