第5章 課外授業のはじまり
[上扱クラスへ編入]
〈新入生を紹介します〉クリスティ先生のよく澄んだ声が教室の中にりんとひびいた。
きょうからフランソワとルイーズは上級クラスの生徒になった。マーブル先生から始めて罰を受けてからきょうまで、二度目の罰を受けずにすんだ。もちろんふたりがじゅうぶんに注意をしていたからだが、それよりもフランソワがはじめてのおしおきの時、示した驚きがあまりにも大きかったので、シスターマーブルの報告を受けた院長が、その後少々手かげんしたのだった。
「あの生徒にはもう少しほかの人の処罰を見せておやりなさい、そのうちなれるでしょう。クリスティ先生、くれぐれも注意してください、いそぐ必要はありません」
クリスティ先生は、内心ちょっと不満だった。はじめてあの娘を見た時から、ちょっびり高慢なブルジョアの娘に昔からいだいている嫉妬と、そしてそんな娘を自分の手の中でじゅうぶんに教育できる楽しみをずっと待ちつづけていたのに、クリスティ先生はそれを二週間も待ちつづけていたのだ。それなのに再度院長先生からストップがかけられてしまった。
ふたりの席をアデールのとなりに決めると本を開き、ひとり一ページずつ読ませて、クリスティ先生は教壇のところでイスにすわっていた。
クリスティ先生は長年娘たちを扱って来たので一目でその娘の家柄などを見破った。それなのにルイーズはどうしてもわからなかった。身だしなみは、きちんとしているし、口のきき方もていねいだし、どう考えても一流の家庭の娘にまちがいはないのだが、時として現われる、あの娘の奔放さはいったいどこからくるのだろう。それに反省会の時あの娘の手のひらを打ったが、その時あの娘の手が仕事をしたことのある手だと思った。
クリスティ先生はそんなルイーズをおそらく名家の生まれたが、今は落ちぶれているのだろうと考えた。そして女中もやとえないのだろう。それにひきかえてフランソワのほうは、一目りょうぜん、典型的なブルジョア娘だった。
何一つ不自由なく、それでいていつも不満が多く、人に従うのがきらいで、自分が誰よりもかわいらしく、人はなんでも自分の言うことを聞いてくれると思っている……そんなタイプの娘だった。
クリスティ先生は教室の中を見回した。今、立って読んでいるカテリーナもその後ろの席にすわっているミシェールもそんなタイプの娘だった。わがままで、高慢な……しかし、今ではふたりとも先生のかすかな指の動きにも注意してそれに従った。クリスティ先生のきびしい指導が効を奏したのだろう。相手がブルジョアのわがまま娘なほど、クリスティ先生は熱心に指導した。
それは自分が少女のころたいへん貧しい生活をしたために、そんな娘たちに多少偏見があったのかもしれない。父親は野菜を売り歩く商人だった。母親も働きものだったが、六人の子供をかかえて生活は苦しかった。クリスティは長女だったので、早くから働かされた。そしてそのころのどの家庭でも同じことだが、四人の娘とふたりの息子に、両親は容赦なく笞を振った。年長のクリスティにはとくにきびしく母親がしつけた。
家にはいつも果物や野菜が置いてあった。おなかがすいたクリスティは、母親の目を盗んではリンゴやネープルをかじった。しかし母親に見つかれば、たちまち首根っこを押えつけられ、そしてスカートをまくり上げられれば、もうその下は何も下着を着ていなかったので、お尻はすっかり丸出しになってしまった。
そして母親のじょうぶな手のひらが雨のようにクリスティの尻の上で鳴った。父親のベルトでたたかれるのもこわかったが、それよりも尻をむき出しにされる母親のほうがいやだった。クリスティはもうそんな年ごろになっていたのだ。
そんなある日、母親のおしおきがいやで逃げ出した。母親は追いかけて来ると、家の外でようやくクリスティをつかまえると、そばの石がきに腰をおろし、そのひざにクリスティをかかえると、お尻をむき出しにしてたたきはじめた。ちょうどその時、美しい並木道の角を曲がってガラ、ガラと一台の馬車がやって来た。クリスティは、〈許して! 許して! ごめんなさーい!〉
と叫んだが、母親は馬車がじゅうぶんに近づくまでたたいていたので、馬車に乗っていた人にすっかりクリスティの恥ずかしいかっこうを見られてしまいました。
その時馬車に乗っていた若い貴婦人がふたりで、いつまでも後ろをふりかえりながら笑っていた光景を、クリスティは今でもはっきりとおぼえていた。
クリスティ先生は、ハッ! と我に返ると、教室の生徒たちは読み進んでもう半分くらいの生徒たちが終わっていた。
パンテモン−ここに来てから何年になるのだろう、十二歳の時に父親が死んでクリスティは修道院に入れられたのだった。そして貧民の娘としては、破格の出世をしたのだった。もちろん副院長のポストを得ろまでには、それこそ、ロに出しては言えないくらいのつらい苦しい毎日を送った。
正式な修道尼になるまで五年かかった。十七歳までの五年間のうち、泣かなかった日が一日でもあったろうか? 見習いの修道女には日曜もなにもなかった。毎朝笞ではじまり鞭で終わるのだった。今、この教室で行なわれている二倍の速さで授業が行なわれ、少しのあやまちもすべて笞によってのみつぐなわれた。
尼になってからも、クリスティにとって僧院の風当たりは強かった。尼の中には、かなりの家柄の娘が大ぜいいたからだ。その中でクリスティは歯をくいしばってがんばった。そして今、そのすべての人々を従えてパンテモンに君臨していた。
院長はクリスティより二十歳も年長で、ほかの僧院から回されて来たのだった、温厚でものわかりのよい初老の尼だった。そして今ではクリスティに笞を当てることのできるのは、この院長だけだった。それも特別にクリスティがたのんだ時だけだった。
僧院の中のすべて、とくに経済問題などはクリスティがまかされていた。院長は重要な祭事にだけたずさわり、そのほかのことはすべてクリスティがさしずしていた。それだけにきょうの院長の発言は、クリスティ副院長にとって不満だった。
あれではまるで、わたしの授業に不足があるような言い方だわ、たかがあんな小娘ひとりのために、神経質になりすぎているわ。よほど開き直ってやろうかとも思ったが、まあ院長の言うこともわからないじゃなし、どちらにしろ問題のカギは自分がにぎっているのだから……。
[読みとばしの罰]
聞きなれない声が教室にひびいた。クリスティは顔を上げると、それはフランソワだった。じっと聞いていた、一ページ分最後の一行まで一言半句もまちがえずに読み終えるとつぎはルイーズだった。ときどきつっかえたが、さして問題にするほどのまちがいはなかった。クリスティはちょっとがっかりしたふうだった。
そして、次のアデールの朗読に耳をかたむけた。この娘はここに来た時からかなりすれていたが、二、三度笞を当てると、すぐにすなおになり、クリスティのいうことはなんでもよく聞くようになった。かなり要領のいい娘だが、明るい感じのいい娘だった。本の読み方はさすがにうまく、美しく抑揚をつけて朗読していた。
だが、その時アデールはたいへんなまちがいをしてしまった。朗読の途中で一行すっかりとばして読んでしまった。クリスティ先生はすぐに気がついたが、しばらく知らん顔をしていた。教室の生徒たちもすぐに気がついて横目で合図したが、アデールは気がつかなかった。
クリスティ先生はたっぷり五、六行も読みつづけさせてから、急に本をパタン! と音をさせて閉じると、
「アデール、もうよろしい、おやめなさい」
先生はまゆをひそめ怒った顔をしていたが内心はうれしかった。フランソワとルイーズに対して院長から言い渡されたことで、内心おもしろくなかったが、かわりにアデールを久しぶりに懲らしめてやろことができる。ちらっとブラックノートを見ると、アデールはもう一カ月近くお尻をたたかれていない。〈これではわたしがしかられてしまいそうだわ〉
一方アデールは、周囲の人に教えてもらい、ようやく自分のあやまちに気がついたようだった。そして下くちびるをかみしめて立っていた。
「アデール、自分のしたことがわかりましたか、これはたんなるまちがいではすみませんよ。一行ぬかしてしまうということは、文章の意味が違ってしまうでしょ、それなのにおまえは気がつかなかった……と言うことは、ただ〃目〃だけで読んでいたからではないでしょうか? とりあえず、おまえには罰が必要なようですね、イスを持って、前に出なさい!」
アデールは両手でイスを持って、教壇の上にあがった。上級クラスの教室では、教壇のまん中に先生の机があった。その机は手前に傾斜していたが、先生が立って使うので、かなり高くできていた。
「アデール、用意しなさい」
そう言うと、クリスティ先生は笞を取りに行った。この教室には笞のケースがなかった、そのかわり、黒板のわきに柳の笞と皮鞭がいつも下がっていた。クリスティ先生は平らな皮ムチを取り上げた。
[尻打ちの罰]
アデールは、自分の持って行ったイスの上に乗ると、ようやくおなかが机の上にとどいた。そしてからだを曲げると、頭はすっかり机の向こう側にかくれてしまった。そのかわり、お尻の部分はこんもりと空中にもりあがって、その肉づきは黒い制服の上からもよくわかった。
クリスティ先生は近づくと、事務的に制服のスソをまくり上げた。目の前にむき出しにされたアデールのお尻は、十八歳のルイーズのそれよりも大きくりっぱだった。といって、その恥ずかしさが、いくらかでもうすらぐということはない。
むしろ反対に、上のクラスになるほど、はずかしさは増した。それがたとえ見ている側でも。
フランソワとルイーズはとくに、ここの僧院ではじめて知り合った友だちだけに、なおさらのことだった。しかし、ふたりとももう目をそむけたりはしなかった。耳まで赤く染めてはいたが、その目はじっとアデールの双丘にそそがれていた。
クリスティ先生は右そでをまくり上げた。黒い僧衣の中から現われた腕は、驚くほど、力強くたくましく見えた。
「アデール、はじめますよ、さあ、みんなアデールがどんなふうに罰を受けるか、よく見ておおき、おまえたちも同じように罰を受けるのだから、いつも自分がどんなに恥ずかしいかっこうをさせられているか、じゅうぶんにおわかりだろうね、みてごらん、このアデールの高慢にふくれ上がったお尻を」
そう言いながら先生は、笞の先で軽くアデールのお尻をこづきました。高慢かどうかはともかく、みごとにふくれ上がったアデールのお尻に、最初の鞭が鈍い音をたてて打ちくだされました。
鞭は柔らかい肉に食い入り、そして、はね上がりました。あとにはくっきりと赤い斑点を残して、アデールは机の上で縮み上がりました。
かすかに開きかげんに立っていた足を思わずよじるようにして、そのあと、つづけざまに力強い打擲がアデールのお尻にくだされても、アデールはかたくなに両足を閉じていました。
フランソワはじっとクリスティ先生の鞭の振り方を見ていました。そのやり方は全く手慣れたものでした。けっして大げさなポーズはしないのですが、手首のそりが強く、スナップのきいた打ち方です。
五回の鞭打ちの間アデールは、多少腰をよじって動くていどでしたが、最後の六打めに、クリスティ先生がちょっと変わった打ち方をしたな、とフランソワが感じた時、アデールは〈あっ!〉と叫んで、思わず右足だけを折り曲げてしまいました。
それがどんな打ち方だったか、ほんの一瞬のできごとだったのでよくわかりませんでしたが、そのかわりアデールは、なんともぶざまなかっこうをさせられ、その結果、わたしたちはアデールのからだのすみずみまで見てしまいました、お尻をむき出しにされただけでも、じゅうぶん恥ずかしいのに、クリスティ先生のやり方は少々ひどすぎるわ、そう思ってほかの生徒の顔色をうかがったのですがフランソワはそこでも、新たな驚きにぶつかったのでした。
てっきり怒っているか、恐れていると思われたほかの生徒は、顔にうっすらと笑みさえうかべ、となりの人と顔を見合わせ、やっぱりね−というふうにうなずき合っているのです。それはあたかも、クリスティ先生の鞭打ちを賛美しているようでした。
教壇のところでは、ようやく許されたアデールが、ふらつくからだを、ふたりの生徒に手をかしてもらって立ち上がったところでした、ようやくイスの上からおりました。そして自分のイスを持って、こちらを振り向いた時、アデールの顔は、まっかになって髪は乱れ、目は泣きはらしていました。
そして席についてからも、すわっているのがよほどつらいらしく、ときどきからだを動かしては、その痛みにたえていた。ようやく最初の授業が終わり、十五分間の短い休みの間に、フランソワはできるだけ、アデールをなぐさめたものでした。
「いいのよ、フランソワ、あたしたちみんな慣れているのよ、あたしは恥ずかしいわよ……でも、みんな同じですもの、このクラスにいるかぎり、お尻打ちはぜったいにまぬがれないんですからね。あたしだってみんなのお尻を知っているのよ、だから、みんなもあたしのお尻を知っているの、おたがい様ね、そしてきょうのあたしみたいなまぬけがたたかれる時は、みんな笑うわ、たしかに人の不幸を笑い物にするのはいい趣味とは言えないでしょうけど、ほかにおもしろいことがなければしかたないでしょ、そのうち、あなたがたにもわかるわ。そんなに悲しい顔しないの、そのうち慣れるわよ」
フランソワは反対になぐさめられてしまいました。つづいて行なわれた歴史の時間は、とくに何事も起こらずに終了、そして書き取りの時間も、二、三の生徒が注意を受けましたが、そのほかは取り立てていうほどのことは起こりませんでした。
授業の終わりに、一ページ分ほどの書き取りのテストが行なわれましたが、とくにむずかしいものではなく、ふたりとも安心したように顔を見合わせて提出しました。授業が終わると先生はふたりを呼んで、
「さあ、きょうから課外授業も受けるのですよ。ルイーズはハミルトン先生のクラスに行きなさい。絵の道具は先生のところにそろっていますから、何も持たずに行けばいいのですよ。フランソワはこの部屋にいらっしやい、器楽はわたしの受け持ちですから。では、一時間たったら、いいですね」
[器楽の受け持ちはクリスティ先生]
ふたりは自分たちの部屋に戻った、そこには、もうアデールが来ていた。
「おそかったのね、どうしたの」
「先生に課外授業のお話しを聞いていたの」
「ああそうか、ふたりは何を取ったの?」
「あたしとルイーズとはちがうのよ、ルイーズは絵画であたしは器楽よ」
「え−っ、器楽? どうしてルイーズと同じ絵画にしなかったの」
「だってあたしのお家のほうから器楽をやらせるようにって、言ったらしいのよ……だから」
「まあ、そうなの、かわいそうに」
「どうして?」
「だって、器楽はクリスティ先生の受け持ちよ、それにバイオリンにかけてはちょっとうるさいのよ、あの先生」
「ねえ、アデール、絵画のほうはどう? あたし絵なんて少しもじょうずに描けないから心配だわ」
「絵のほうは心配ないわ、ルイーズ。授業の時にイタズラでもしないかぎり、しかられるようなことはないわ。それに絵は大壁画の制作中でね、まあヌリエをやっているようなものよ、共同制作でね、あなたのやるところはあたしが教えてあげるわ」
「アデール、あなたも絵画なの、それじや、器楽はあたしだけ……?」
「ひとりってわけじゃないわ。そうね、何人ぐらいいるかしら、十五人くらいかしら、みんなそうとうに腕を上げているからたいへんよ、追いつくのに」
「あ−あ、心配がまた一つふえたわ、あたしってどうして損ばかりしているんでしょう。ルイーズはいいわね……」
「あっ! そのことで思い出したんだけど、ルイーズ、あなたには悪い知らせよ。きょうの書き取りの時にね、あたしふたりの書いてるのを見てたのよ、フランソワのはまあじょうできだけど……ルイーズ、怒らないでね、あなたのために言うんだから。あなただいぶつづりをまちがえたわ、あたしが気がついたたけでも五つ……いや、六つくらいかな、それにあんなふうに行が曲がって書いてあるとクリスティ先生は気にいらないと思うわ。これからは注意したほうがよくってよ、たぶんはじめてたから、多少罰は軽くなると思うけど、この次からは許してくれないものね」
「まあ、どうしましょう、あたしのそんなにまちがっていた? それで、そのくらいまちがえるとどうなるの」
「そうね−、きょうくらいの分量であのくらいまちがえると、まずクラスのみんなの前で、お尻を懲らしめられるでしょうね。ちょうど、きょうのあたしのように。よほど運がよくても、授業が終わったあとで残されて、お尻打ちをされるでしょうね」
「うわ−、どうしよう。あたし書き取りはにがてなのよ、ねえどうしよう」
「まあ、つづりのほうはあたしのを見ながら書きなさい。あたしだってまちがうことがあるけども、そのほうがいくらかましよ。だけどじょうずに書くことだけは自分でやらなくてはだめよ、それにあたしのを見る時はこっそりやってね、見た人はもちろん、見せた人も罰を受けるのだから」
「わかったわ、なるべくわからないようにするから、お願いね」
その時、鐘が鳴ってルイーズとアデールはふたりそろって出て行きました。フランソワも恐る恐る教室に戻って行くのでした。
[不安な器楽クラブ]
フランソワが教室にはいって行くと、中にはもう十二、三人の生徒が待っていた。クリスティ先生はまだ来ていないので、みんなは自分の楽器の調律をしながら、おしゃべりをしていました。
「まあ、フランソワ、あなたも器楽なの?」
話しかけて来たのは、ハミルトン先生のクラスの時の生徒でした。その声でみんながふり向き、一度に話しかけて来るのでした。マーブル先生のクラスの娘もいます。
「あたしもよ。あたしだって家の人が決めてしまったのよ。それでなければあたしは絵のほうに行くわ、あたしは絵が好きなんですもの」
「器楽クラブの人はね、たいてい家の人の言いつけでやってるのよ。お父様やお母様がそうしなさいって言うからやってるのよ」
そう言ったのは、きょうはじめて顔を合わせたクラスの生徒で、エレーヌという娘だった。カテリーナも来ていた。そしてフランソワは彼女の持っているバイオリンを見てびっくりした。とても美しく、ところどころに銀の細い線が象眼されていた。
「まあ、カテリーナ、すばらしいのね」
「ああ、これ? パパがあたしをここに入れる時に、買って持たせてくれたんだけど、そのかわり器楽クラブでコッテリしぼられる結果になったのよ。はじめのうちはあたしも好きだったのよ。でも今は、これを見るとゾッとするわ」
「ほんとに、あたし今でもおぼえていてよ、あなたが器楽クラブにはじめて来た日を。たいせつそうにバイオリンケースをかかえてほんとうにかわいらしかったわ。あの時のあなたは」
「まあ、エレーヌったら、それじゃ今のあたしはどうなの?」
「さあ、どうかしら、あのころより、ずんと成長して、美しくはなったと思うわ。でもだいぶすれて来たんじゃございませんこと、なにしろあの時は……そう、三日めの時ね、あなたがはじめてクリスティ先生の笞をいただいたのは。あの時のあなたと来たら、からだじゅうまっかにして泣きわめいたじゃない、あの時の様子がとてもかわいかったわ」
「まあ、エレーヌ、あなたって変なことを言うのね、そんなことまで言わなくてもいいじゃない。フランソワや、おチビさんたちの前で。それにあなただってそうよ、先週の金曜日じゃなかったかしら、クリスティ先生からお尻打ちをいただいたのは、その時あなたは、わあわあ泣かなかったとでも言うの」
「もうやめて、カテリーナ、あたしそんなつもりで言ったんじゃないの、ごめんなさい」
エレーヌがあやまったので、その場はおさまったものの、フランソワの胸の不安は、いっそう高まったのでした。伯父様が言っていたように、じょうずにできなければ、きっとたたかれるんだわ。一週に一度のおけいこをいやがったために、今は毎日つらい思いをしなければならなくなってしまったんだわ。あの時もう少しがまんすれば……その時クリスティ先生が、はいって来ました。フランソワに一台のバイオリンを渡して、
「もう調律は済んでいます、この次からは自分でやるのですよ」
そう言って、ほかの生徒にはそれぞれ指示を与え、練習をはじめさせました。そうしておいて、先生はフランソワをみんなと少しはなれたところにつれてゆき、何かひいてみるように、といいました。フランソワは、なるべくやさしい練習曲を選んでひきました。一度ひき終わると先生は、もう一度と言って再び最初からひかせました。結局三回同じ曲をひいて、先生はじっと耳をすませて聞いていました。もちろんその間にほかの生徒が音をはずしたりすれば、即座に先生の叱声が飛ぶのでした。
「わかりました、フランソワ、あなたはどのくらいやってらしたの」
「はい……三年です」
ほんとうは、伯父様のところに行き出してから、五年近くになるが、フランソワは少々ごまかして言ったのです。
「まあ、三年も、わたしなら二カ月でじゅうぶん。はじめて楽器を持った人でも、二カ月てあなたくらいの腕にしてあげられるわ。とにかくどんな教わり方をしたか知らないけどわたしのやり方はきびしいですよ、いいわね。まあ一週間くらいあたしのやり方に慣れるまでは、大目に見て上げましょうね。上級と中級の二つに分けてあるんたけど……今のあなたの腕では、中級もむりですね、まあ、とりあえず中級ということにして、少しピッチを上げて追いつきましょうね。先生もあなただけ特別に教えるわけにもいかないから、早くみんなと同じ曲がひけるようになってくださいね」
そして、すぐにフランソワは、楽器の持ち方や姿勢から直された。ちゃんとした姿勢ができるまで、何十回でも同じことをやらされた。そしてフランソワは自分がドレミファすら満足にひけなかったのを思い知らされた。
そんなわけで、この日のクリスティ先生はほとんどフランソワにつききりで指導した。フランソワはすっかりくたびれてしまったがほかの生徒は大よろこびだった。授業が終わるとみんなフランソワのところに寄って来て「ごくろうさま」と言った。
[懲らしめの鞭]
新しいクラスに来てから、もう半月になった。フランソワはまだクラスの中で罰はもらわなかった。ルイーズもまだみんなの前では罰を受けなかったが、先日の書き取りのテストのことで、授業が終わってから教室に残されて罰を受けた。
その時はほかにふたりの生徒もいっしょだった。なかでも、そのうちのひとりなどは、一つしかまちがえなかったのに、字の書き方がへただという理由で、お尻を笞で懲らしめられた。ルイーズは本来ならば教室のみんなの前で罰を受けるところ、とくに軽くしてもらったので、そのかわり皮鞭でじゅうぶんにたたかれたらしい。部屋に戻ってもしばらくは口もきけないほどだった。
フランソワも教室でこそ罰は受けなかったが、課外授業のほうでは、もう二度も罰を受けた。クラスのみんなの前ではもちろん恥ずかしいだろうが、自分より年齢の小さい人たちのいる器楽クラブでたたかれるのも、やっばり恥ずかしいことにかわりはなかった。
ただ器楽の時は、みんなは先生を中心にまるく円を作るように並んでいるので、罰を受ける生徒は、立ったままからだを前にたおして譜面台に手をついているので、ほかの生徒にお尻を見られることはなかった。でも泣きベソの顔はみんなに見られてしまうのです。
それにクリスティ先生は課外授業の時はほとんど笞を使わず、平手打ちをなさるのです。年齢の小さな生徒がいることもあって、よほどのことがないと笞は使いません。でも先生のはたいへん痛いのです。それにピシャン、ピシャンという音がとても大きくて、フランソワは思わず耳のつけ根まで赤くなってしまいます。
それにたとえお勉強や楽器がじょうずにできても、タ方の反省会まで無事に済ませることは、ぜったいにできないのです、絶対に! だから、フランソワも結局一日に一度や二度は、手のひらや、もっと恥ずかしいところを打たれて、そして涙を流すのでした。しかしその反面、同じ年ごろのお友だちと、少ない自由時間をおしゃべりして過すのは、とても楽しいことでした。
以前普通の学校に行っていた時も、お友だちは大ぜいいましたが、今のように心の底から打ち明けて話をできる人が、はたしていたかしら。みんなうわべを取りつくろって、きれいごとを並べ、おじょうひんに気どっておつきあいしていたんですもの、もちろんフランソワとて例外ではなかったのです。
しかし、ここではだめ、いくらおじょうひんぶって気どったところで、もうみんな知っているんですもの。それだけにふだんの時は、胸のうちをなんの気どりもなく話し合えるのです。それはまるで世間で言う「男の友情」のようなものではないでしょうか。