第11話 by 多香美じかん

「どうしたの?今日の由梨子、なんか変だよ。」

夜のバーでカクテルに口もつけずにぼんやりしてる由梨
子に、糸崎が言った。
由梨子はハッとして、無理に笑顔をつくった。

「そんな事ないわよ。ちょっと考え事してただけ。」

「ならいいけど・・・。
何か僕に打ち明けたい秘密でもあるんじゃない?」

「ええっ?・・・どうしてそんな事言うの?」

由梨子はドキッとした。
あの悪夢のような土曜日から、2週間が過ぎようとしてい
る。

「いや、由梨子がなんかうかない顔してるし、
それに・・・。」

「それに・・・、なあに?」

「宇田川さんが変な事言うもんだから・・・。」

由梨子は再びドキッとした。
まさかここであの忌まわしい宇田川の名が出るとは。

「宇田川さん?」

「名古屋で宇田川さんに会ったんだ。ほら、テニス部の。
今、君の会社で働いている・・・。」

「あ、ああ、宇田川さんね。
宇、宇田川さんがどうかしたの?」

「宇田川さん、今、名古屋にいるんだよ。
左遷された、って言ってた。
由梨子、知ってた?」

「え?え、ええ、まあ。」

「ふーん。由梨子がお父さんに口利いてあげればいいのに。
可哀相じゃん。」

「お仕事の事に私は口出し出来ないわ。」

「・・・そっか。」

「で、宇田川さんが何を言ったの?」

「いや、それがサ、笑っちゃうんだよ。
由梨子にはスパンキングを好む性癖があるんじゃないか、
って言うんだ。」

由梨子は激しい怒りがこみ上げて来た。

「なんか、由梨子と高校時代に付き合ってた男がいて、
由梨子がいつもお尻叩いてくれ、って言うから、
その男に逃げられた、って。」

自分にあんなひどい仕打ちをしておき、そんなつくり話
を婚約者の糸崎に吹き込むなんて、どこまでいやらしく
薄汚い男だろうかと、今更ながら、宇田川に強烈な嫌悪
感をおぼえる由梨子だった。

「そ、そんな事デタラメに決まってるじゃないの!?」

「いや、僕だってそう思ったよ。
だから、そんなのはデタラメです、って言ってやったよ。」

「・・・・・・、私、帰るわ。」

席を立つ由梨子。
糸崎もあわてて立ち上がり、由梨子を追いかけた。

「ごめん、由梨子。宇田川さんの言った事なんか
全然気にしていないんだ。
ただ、・・・ただ由梨子の様子が変だったから・・・。」

店を出たところで糸崎は由梨子の手を引張って必死に謝った。
由梨子の機嫌を損ねてしまったと思ったのだろう。

「いえ、健一さん、私こそごめんなさい。
なんだか、疲れてて・・・。」

「そうか。はやく帰って休んだ方がいいね。送るよ。」

「ありがとう。」

由梨子は糸崎の肩に首をもたれた。

由梨子が家に着くと、部屋の灯りもつけないで、母親の静江が
うつむいて座っていた。
父親の京一郎はまだ帰っていないらしい。
あの日、あの悪夢のような出来事の後、悟の車で家の近くまで
送られたのだが、あまりのショックで記憶が無い。
ただ、車の中で抱き合って泣いていたような気がする。
気がつけば、家の近くの道に降ろされていたのだ。

外食の約束をすっぽかし、夜遅く二人で帰宅した理由を、
静江は「待ち合わせの店を間違えた」と京一郎に
言い訳したが、京一郎は今一つ納得出来ぬようだった。
だが、まさか、自分の娘や妻が、自分の会社の社員に、
尻をむき出しにされて叩かれていた、などとは夢にも
思っていなかった。
由梨子と静江は、あれから、京一郎が何か感づくのでは
ないか、とビクビクして生活していた。
いや、それよりも、あの悪魔たちが、再び自分たち母娘を
襲ってくるであろう恐怖に、心の底から怯えていた。

「ただいま。
・・・・・・お母様、どうしたの?」

嫌な予感に胸を締め付けられながら、由梨子が電気をつ
けると、母親の顔色が真っ青になっている事が確認出来
た。
静江はゆっくりと顔をあげ、由梨子の方を見ると、小さ
な声で、

「さっき、宇田川から電話があったわ。
明日の日曜日、二人でこの前のお店まで来い、
って・・・。」

由梨子の目の前はまた電気を消したように真っ暗になった。
やはり予感は当たった。
ついに、恐れていた悪魔の呼び出しがかかったのだ。
従わなければ、あの写真が父の会社にバラまかれる。
由梨子は静江の前にヘナヘナと座り込んでしまった。

つづく

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