第12話 by 多香美じかん

午後1時40分。落着かない悟は、
店の中をウロウロしていた。

「落ち着けよ、松下。」

宇田川はビリヤード台に腰掛け、優雅にブランデーを
なめている。

「だって、もう、30分以上過ぎてますよ。」

「心配しなくても、あの母娘は必ず来る。」

「だって遅すぎるじゃありませんか?」

宇田川はプッと吹出しながら、

「そりゃあ、好きで来るんじゃないから、
足の運びも重いんだろう。」

「そうですかねェ?」

「そういうもんだよ。
いいじゃないか、指定した時間に遅れた分、
お仕置きを増やしてやれば。」

「なるほど!それはいい考えですね。
遅刻した罰として百叩きの刑に処す、
なーんてね。
ああ、ますます興奮してきた。」

「ハハハ、お前も少し飲め。」

宇田川のすすめるブランデーを悟が一口なめた時、
かすかにドアをノックする音が聞こえた。

「松下、来たぞ。」

「はい。」

悟が武者震いしながらドアに向かう。
ドアの前で立ち止まり、一度深呼吸してドアを開けると、
由梨子と静江が、恐怖と哀しみに頬をひきつらせ立って
いた。その冷たく蒼ざめたような表情は、二人の高貴で
上品な顔立ちを引き立てていて、悟は、またしても、そ
の息苦しいまでの美しさに、圧倒されそうになった。
だが、ドアを開ける前の深呼吸が利いたか、二人を鋭く
睨みつけ、

「入れ。」

と落ち着いた低い声で言う事が出来た。

由梨子と静江がうつむき加減で店に足を踏み入れる。
由梨子は、真紅のワンピースを均整のとれた肢体にぴっ
たりと着こなし、髪は後ろで結んでいた。男心をときめ
かせるさせる魅力の深さに、改めて脱帽させられる思い
の悟と宇田川であった。
静江は、熟女のしっとりとした落ち着きの中にも、目の
さめるような純白のスーツで、衰えぬ若さを強調してい
るような出で立ちであった。

そんな二人が重い足取りで部屋に入ってくると、宇田川
はビリヤード台から飛び降り、

「遅いぞ、今何時だと思ってるんだ!?」

と凄んで見せた。
先制パンチは絶対的に有効という宇田川の計算通り、
二人は宇田川の剣幕に怯えて、おろおろし始める。

「す、すみません、
道が、道が混んでいたものですから・・・。」

静江が今にも泣き出しそうな表情で、うろたえ気味に答えた。

「会社ではねェ、奥様、
遅刻をしたらボーナスが減るんですよ。
そう、あなたの御主人が決めた規則です。
時間を守れなヤツは仕事も出来ない。
仕事の出来ないヤツに賞与などやる必要はない。
それが、社長の考えです。」

「・・・・・・・」

「それなのに、社長の奥様やお嬢様は平気で遅刻して
くるんですか?
1時に来いと言っておいたのに、
いったいどういうつもりですか?」

「・・・・・・・」

「黙ってないで、なんとか言ってみろ、おらっ!」

「申、申し訳ありません。」

怯えて宇田川に頭をさげる静江の頬に、屈辱の涙がこぼれる。

「道が、・・・道が混んでた、
って言ってるじゃないの!
何もそんな怒鳴らなくてもいいでしょ!?」

気丈な由梨子は、以前ほど強気ではないが、それでも、
泣いて素直に詫び入る静江とは異なり、宇田川をにらみ
返してくる。
今度は悟が口を開いた。

「僕が10分遅れただけで、
ものすごい剣幕で怒るくせに、
よくもまァ、
そんな口がきけますね、由梨子さん。」

由梨子の表情が口惜しそうに歪む。

「まったく自分勝手なお嬢様だぜ。
母親の躾がなってないから、
こういう馬鹿娘が出来上がっちゃうんだよな。」

宇田川はそう言うと、静江を睨みつけた。
しかし、静江はうつむいたままである。
宇田川は、由梨子に視線を移し、

「道が混んでた、なんて理由になりませんよ。
先日のお仕置きがまったく効いていませんね、
お嬢様には。
遅刻しておいてその言い草は何です?」

と言った。
宇田川はわざと紳士的な口調で話したが、静江はそれが
余計に恐怖で、さらに怯えて、震え出してしまう。由梨
子はそんな母親に対して、しっかりして、とばかりに、
その震える肩を抱くのであった。

「二人ともちゃんと俺たちに謝って下さい。
今日のお仕置きはそれからです。」

宇田川はそう言ったが、静江はうつむいたまま震えてい
るだけで、由梨子も悔しそうな表情で黙り込んでしまっ
た。
真紅のワンピースの由梨子と純白のスーツの静江。
悟の目には、真っ赤な薔薇と真っ白な薔薇が一輪ずつ、
そこに咲いているように見えた。
二人の香水の匂いも、薔薇の香りのように思えてきて、
悟は意識が朦朧とするような感覚に浸り始めた。

「謝れ、って言ってるのが聞こえねェのか!」

宇田川が怒鳴る。
その怒鳴り声で、朦朧とした状態からさめる悟。
静江はあまりの恐怖に号泣してしまう。
そして由梨子は、薄い下唇を噛み締めながら小さな声で、

「ご、ごめんなさい。」

と悔しげにうつむき、詫びるのだった。

「それで謝ったつもりか?」

えっ?と由梨子が顔をあげる。

「ちゃんと床に手をついて謝れ。」

由梨子の美しい顔が屈辱に歪む。

「なんだ?文句あるのか?」

「い、いくらなんでもそんな・・・。」

「俺達は遅刻したらボーナスが減らされるんだぜ。
土下座するくらい、楽なもんじゃねェか!」

「で、でも・・・。」

「さ、とっとと、土下座して謝れ!」

由梨子は悲痛な表情で戸惑っていたが、静江は腰が抜け
たようにその場に沈んでしまう。

「お、お母様!」

静江はその場に正座し、宇田川の爪先に
白くて細い指先を静かにそろえるのだった。

「時間に遅れて、申、申し訳ありませんでした。
ど、どうか、お許し下さい。」

「お母様の方が素直なようだな。」

由梨子は耐え切れなくなったように、

「こうすればいいのね!」

と言って、母親のとなりに正座し、両手をついた。
その手の上に、屈辱の涙がポタポタと落ちる。

「やれば出来るじゃねェか。
まァ、でも土下座したから許してもらえると思ったら
大間違いだぜ。
遅刻した罰は、あとでたっぷりと与えてやるから、
楽しみにしておけ!」

痛快そうにそう言い放つ宇田川を、
由梨子は顔をあげてにらみつけた。

「よ、よくもそんな・・・。」

と、何か言い返そうとしたが、あまりにも自分たちが惨めで、
後が言葉にならず、ただ、悔し泣きするだけであった。

「この間、通勤の道で糸崎とバッタリ会いましてねェ、
あの野郎、由梨子さんの事をのろけまくりやがって、
おかげで会社に遅刻してしまいました。
ボーナスがまた減ります。」

宇田川は楽しそうに、足元に跪いている母娘を見下ろし、
さらにこう続けた。

「社員は遅刻したら、ボーナスが減る、
だから、
社長令嬢と社長夫人が遅刻した場合は、
お仕置きが増える。いいですね?」

理不尽な事を言って由梨子や静江が反発してくれば、
またそれを理由にお仕置きを増やせばいいし、
由梨子や静江に反発する気力が失くなり、理不尽な命令
に従えば、それはそれで、たまらなく痛快な事であった。
どちらにせよ、理不尽な論理を由梨子と静江に押し付け
る事は、宇田川にとって、ひとつの快楽なのであった。

「さて、遅刻した罰は後で与えるとして・・・、
さァ、まずはこの間の続きだ。
二人ともケツを出せ!」

正座したまま泣き崩れている由梨子と静江の頬が、
ピクリと強張った。

つづく

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