第23話 by 多香美じかん
翌日の日曜日、悟は昼過ぎに起きてきた。
静江を家の近くまで送り届けた後、アジトへ戻って
宇田川と祝杯をあげ、朝まで飲み明かしたのだ。
今日、静江にしてやった事や、来週は二人にどんな
お仕置きをしてやろうか、などという事を話しながら。
勝利の美酒がまだ体に残っている。
台所で水を飲み、着替えるためもう一度自分の部屋へ戻
ろうとした時、廊下に母親の道代が立っていた。
日曜日は家政婦のバイトが休みなので、道代が家にいる
事は別におかしな事ではなかったが、何か思いつめたよ
うな表情をしているので、悟は首を傾げた。
「どうしたの?」
「・・・・悟、あなた、とんでもない事を・・・。」
「何? 何なの?」
「見たのよ、お母さん。」
「何を?」
「昨日、奥様の様子がどうもおかしいので、
そっと後をつけたのよ。」
悟の表情が強張った。
「お父さんのお店で、
あ、あんな恐ろしい事を、お前・・・。」
目にいっぱい涙を浮かべる道代。
「あ、だ、だって、あれは、その・・・。」
焦って何を言っていいのかわからない悟。
「お嬢様にもあんなひどい事をしたの?」
「え?あ、その、・・・ま、まァ・・・。」
「最近、お嬢様も奥様もなんだか私を避けてた。
ようやくわかったわ、その理由が。」
「由、由梨子が悪いんだ!」
「お、お前、
誰のおかげで、誰の会社で働かせてもらってるのか
わかってるのかい?
あ、あんな事してただですむと思ってるのかい?」
「大丈夫だよ、そんな心配しなくても。
写真も撮ってあるから、絶対訴えたりしないよ。
そ、それに、あいつらはお仕置きされて当然なんだ。」
道代は思わず悟の頬を叩いた。
「お前は犯罪を犯しているんだよ!」
「・・・わ、わかってるよ。」
道代はついに泣き出した。
どうしていいのかわからない悟。
「お母さんはもう白川さんの所では働けないわ。」
「・・・・、もう僕だって学生じゃないんだし、
無理して働かなくてもいいよ、母さん。」
「馬鹿!
お前だってもうあの会社にはいられないだろう!」
「なんでだよ?
僕は辞めるつもりなんかないよ。」
「お、お前はなんて恐ろしい子なの。」
「考えすぎだよ、母さんは。」
「あの宇田川さんという人とも
付き合うのをやめなさい。」
「なんでだよ?
余計なお世話だよ、そんな事。」
「・・・・悟。
・・・・ああ、どうしたらいいの!?」
両手で顔を覆い、再び泣き出す道代。
「とにかく、心配しなくていいから、ね、母さん。」
悟は泣き続ける道代を廊下に残し、自分の部屋へ戻った。
「(ああ、面倒な事になっちゃったなァ・・・)」
悟は大きな溜息をついた。
その夜、道代は思い悩んだ末、白川家へ向かった。
とにかく、自分は、もう恐ろしくて、申し訳なくて、
とても白川家では働けない。そんな気持ちから、
白川家のお手伝いを辞める挨拶に向かったのだ。
チャイムを鳴らそうとしたが家の中が真っ暗のようだっ
たので留守かと思い、ドアノブに手をかけてみた。
玄関のドアに鍵はかかっていなかった。
道代は恐る恐る中へ足を踏み入れた。するとリビング
の方から小さな話し声が聞こえた。シクシクとすすり
泣きのようなものも聞こえる。
道代は、靴を脱ぎ、そっとリビングのドアの前に近づい
た。中では、由梨子と静江が話をしていた。
聞き耳をたてる道代。
「聞いて、由梨子。
とても辛くて恥かしいけど、
やっぱり、勇気を出してこの事をお父様にお話し
しましょう。」
「で、でも、お母様・・・。」
「このままでは私たちは駄目になってしまうわ。
気をしっかり持つのよ。」
「パパに、パパに話して解決するの?」
「大丈夫。心配しないで。
お父様にこの事を闇から闇へ葬ってもらうから。」
「闇から闇に?」
「そうよ。あいつらは悪魔よ。
私、昨日、よく解ったの。
あいつらは、いつまでたっても私たちを許したりは
しないわ。
このまま一生、あの悪魔たちの生贄になって暮らす
なんて、私は耐えられない。
由梨子だってそうよ。糸崎さんと結婚して、幸せな
家庭を築かなくちゃいけないの。」
「で、でも・・・。」
「この事は私たちだけの秘密にするのよ。
お父様があの悪魔たちを処分してくれたら、
忘れるのよ。
糸崎さんにも話す必要はないわ。
始めから何も無かった事にしてしまえばいいのよ。」
「本当に、私たちは救われるの?」
「大丈夫。由梨子が、お父様に話す勇気さえ
持ってくれたら。」
「私、私とお母様がこの地獄から逃れられるのなら、
パパに知られてもいいわ。
呼び出されてお仕置きされる生活なんて、
もういやっ!」
「いい娘ね、由梨子。
ありがとう、私の言う事わかってくれて。
お父様には明日の夜話すわ。
明日の夕方には台湾から戻ってくるはずだから。
今、電話で出来る話じゃないし・・・。
だから、今夜は安心して眠りなさい。」
「うん。おやすみなさい、お母様。」
「おやすみ。」
道代は由梨子がリビングから出てくる気配を感じて、
あわてて玄関の外へ出た。
足がガクガクと震え出した。歯も噛み合わない。
息子が、息子の悟が殺される。闇から闇へと葬られる。
なんとかしなければ・・・。
「やだ、お母様、玄関の鍵、開けっ放しよ。」
ドアの向こうで由梨子の声。
道代は心臓が止まりそうになる。
ガチャリ、とドアをロックする音が耳に響くと、道代は
咄嗟にチャイムを鳴らした。
「どなたですか?」
インターホンから静江の声。
「あ、あの、道代です。」
今度は心臓が飛び出しそうになる道代。
再びガチャリ、と今度はロックを解除する音。
ドアが開いて、由梨子が現われる。
「道代さん・・・。」
リビングから静江も出てくる。
「どうなさったの?こんな時間に。」
「申、申し訳ございません。
門灯も玄関の灯りも消えていたのでお留守かと
思ったのですが、お嬢様の声が聞こえたもので
すから・・・・。」
由梨子は明らかに不快な表情で、
「だから何の用か、って聞いてるのよ。」
と言った。
「す、すみません。
昨日、帰る際にお財布を忘れまして・・・。」
夢中で口走る道代。頭の中は真っ白である。
「探しに来たというの?
明日にすればいいじゃありませんか?
こんな夜遅く非常識よ。」
由梨子が道代を責める。
「は、はい、申し訳ありません。
亡くなった主人の形見なものですから・・・。」
「それにしても・・・。
私たちが盗んだりするとでも思ってるの!?」
「いえ、そんな事は・・・。」
由梨子に、迷惑だ、と叱られ、
ひたすら頭を下げる道代だったが、
「いいわ、道代さん、どこに忘れたの?
お探しなさいな。」
という静江の言葉に、すがるように顔をあげた。
家の中に入る道代。
リビングの中を歩き回り、財布を探している振りをする。
静江と由梨子の視線を感じ、冷や汗がにじみ出てくる。
「あ、そうですわ。お掃除した時・・・」
道代はそう言って、奥の和室へ飛び込んだ。
ちょっとわざとらしかったかもしれないが、そんな事を
気にしている暇はない。
引出から玄関の鍵のスペアを素早く抜き取る。
静江と由梨子が追ってきた。
「あ、ありました、ありました。
夜分遅くお騒がせして申し訳ありませんでした。」
道代は静江と由梨子に頭を下げると、逃げるように
白川家を後にした。
道代が去った後、静江が顔をしかめ、
「相変わらず騒々しいわね、道代さんは。」
と言うと、由梨子が、
「あの人、悟の母親よ。気味が悪いわ。」
と言った。
静江は、小さく頷き、
「明日にでも辞めてもらうわ。
だから忘れ物も今探させたのよ。」
と言って、バスルームへ向かった。
静江も由梨子も、
道代が本当に忘れ物を探しに来たと思っていた。
だが、道代は、この家の玄関の合鍵を持ち出していった
のだ。
この、道代の嘘の行為を見抜けなかった事が、
静江と由梨子を、二度と這い上がれない地獄の底へ
突き落とす事になるのだった。