私の名前は、上原桂子。私立T女子校の高等部二年生です。昨日、私たちの学
校では三学期の学年末考査が終わりました。幸い、今回の考査では、全教科に自
分でも満足できる答案を書く事ができました。そして、今日から修了式までは大
学受験の為の補習期間です。なんとなく春の予感がして、心が軽くなります。そ
のせいか今日はいつもより早く起きました。白のブラと白のビキニパンティーに
白のブラウスを着て、紺色のブレザーとミニのスカートのお気に入りの制服に着
替えて、朝食のテーブルに付きました。そこには、また徹夜でお勉強していたお
父さんが、いつもの通りコーヒーを飲んでいました。私のお父さんは、J女子短
大の数学の教授です。頭はほとんど白髪で、いつも眉間にしわを寄せているの
で、気難しい学者のように見えますが、本当は優しいんです。私が小さい時は、
一緒によく遊んでくれました。自転車乗りやキャッチボールを教えてくれたの
も、お父さんです。私は、お父さんが大好きです。私が我が侭な時、お説教はお
父さんで、笞を持って私のお尻をお仕置きをするのはいつもママです。その恐い
ママは、今はお留守。去年の6月からドイツのマックス・プランク研究所でタイ
ヒミューラー空間についての研究をしています。ママは、今年の12月には帰って
来るとの事です。ママが居ないからと言って、私はお仕置きを受けなくて済むは
ずはなく、T女子校は何かと厳しくて、宿題を忘れたり、小テストの結果が悪
かったりで、私は先生方から週に1回位はお尻にとっても痛い笞を頂きます。で
も、ママのお仕置きも、半端ではありません。いつもママは、夜と朝の二回に分
けてお尻を笞で打つので、学校に登校しても、痛いお尻で堅い椅子に座って授業
を受けなくてはなりません。つまり学校で、もう一度反省させられるのです。私
の学校の制服も、今時の女子校のご多分に漏れず、紺色のハイソックスに、グレ
インチェックのミニスカート、紺色のブレザーにリボンタイです。私たちは、脚
が長く見えるようにと、スカートの裾上げをして超ミニにしているので、少し前
かがみになると、すぐに、パンティーが見えてしまいます。でも、この超ミニス
カートは、先生方からは、『お仕置きの時、スカートを捲り上げ易い。』と好評
だそうです。私ももうすぐ高等部の三年生になります。すっかり体型は大人と同
じで、放課後はピアスをしたりお化粧したりすることもあります。でも、気持ち
はまだまだ子供です。私を含め、お友達のほとんどは、先生やママにスカートを
上げられ、お尻を笞打たれる事を当然の事と思っています。私は、優しいお父さ
んもいいけど、むしろ、笞を持った厳格なママや、学校の反省室でお会いする厳
しい先生方の方が大好きです。どちらかと言うと、私の性格は極めて単純で、マ
マに似ているようです。早く、ママ帰ってこないかなぁ。
私は、いつもの通り、ハニートーストと紅茶を自分で用意して、テーブルにつ
きました。
「おはよう、お父さん。」
「おはよう、桂子。今日はなんだか、嬉しそうだね。ボーイフレンドでもできた
かな?」
「違いますよーだ。昨日、学年末考査が終わったの。今日から一週間は、一日三
時間づつの補習で、所謂、春休みの予行なの。」
「そうか。それは丁度よかった。今夜、桂子のために家庭教師を連れて来るから
ね。」
「家庭教師なんか必要ないょ。桂子は自分で勉強できます。」
「この話しは、お父さんがもう決めた事なんだ。その人は、お父さんと同じ大学
の先生さ。必ず、桂子を手助けしてくれる人だから。」
と、言い残して、お父さんは出勤してしまいました。
午後5時頃帰宅してみると、玄関に見慣れない黒いパンプスがありました。
『お客様かしら』と思いましたが、いつもの通り、元気よく、
「ただいま帰りました。」
と言い、二階の自分の部屋に上がろうとすると、客間のドアが開き、
「桂子。家庭教師の先生を紹介するから、此方においで」
と、お父さんが顔を出しました。おそるおそる客間に入ってみると、そこには、
中等部三年の時に数学を教えて下さった清原瑛子先生が座っていました。清原先
生は私たちの学校で三年間だけ教鞭をとられ、再び大学に戻られたと聞いていま
した。
「桂子さん。久し振りね。私の事、憶えているかしら。四月からお父様の大学で
非常勤講師をする事になったの。」
と清原先生は昔のままの澄んだ声で言われました。お話を伺うと、清原先生の御
専門は代数幾何学で、お父さんと同じ講座だそうです。
『家庭教師の先生とは、清原先生の事だったの。先生とお話できるなんて夢見た
い。』と思いました。
清原先生は、若くて知的で厳しい先生でした。中等部三年の時のクラスはみんな
お行儀の良いお嬢さんばかりだったのですが、それでも私たちのクラスのお友達
で、清原先生の笞をお尻に頂かなかった人はいませんでした。何故って、清原先
生の笑顔はとても可愛らしくて中等部のアイドル的存在だったので、自分から進
んで清原先生のお仕置きを受けようとした生徒も多かったのです。私なんか緊張
して、清原先生の前に出ると何も言えませんでした。でも、わざと簡単な宿題を
忘れ、先生の研究室で頂いた6打の笞も、とても良い思い出でした。その清原先
生が、私のプライベート・ティーチャーになって下さるなんて、本当に夢のよう
です。
御挨拶の後、清原先生と私は二階の私の部屋で、これからの勉強の進め方に
つ
いて相談しました。清原先生は私の定期考査の答案を見ながら、
「流石、上原先生のお嬢さんね。英語、数学については、私の手助けは必要なさ
そうね。あなたのお父様もそれをご存知で、『桂子には、従順さを教えて下さ
い。』と言われていましたよ。桂子さん、あなたもお父様の言われた事が、どん
な意味か分かるでしょう?」
と、言われました。私は、ママが渡欧してから、随分生意気になっている自分自
身に気が付きました。清原先生は、
「あなたが今まで、お母様から頂いていた笞を持っていらっしゃい。」
私は、箪笥の一番下の引き出しから、長さが約60cm位の私用の籐鞭を出し
て、清原先生に渡しました。
「これは効き目がありそうだわ。それでは、今日からLesson1です。桂子さん、
あなたの耳にはピアスの跡がありますね。今時の高校生では当たり前かな。で
も、親に隠れてこんな事をするなんて。更に校則違反は明白ですね。一度は罰を
受けてもらいます。さあ、立って。スカートを上げて、机に両手を突いてお尻を
突き出しなさい。ぐずぐずしない。」
少し恥ずかしかったけれど、私は清原先生の言われるままに制服のスカートを上
げて、お尻を突き出しました。
「そう、素直でよろしい。今日はお家でのお仕置きですから、パンティーも下げ
ます。Lesson1は12回のお尻打ちにします。少し厳しいお仕置きかもしれないけ
ど、何事も最初が肝心だから。今日はあなたに少し泣いてもらいますよ。最後ま
でその姿勢で反省できるかしら。」
私の白のビキニパンティーは、膝の所で丸まっています。自分から望んで受ける
憧れの清原先生からの笞ですが、17歳の私は、直接お尻に受ける籐鞭の痛さを十
分に経験済みで、良く知っています。それも、12回なんて。ママから頂く最悪の
お仕置きと同じです。きっと笞跡の蚯蚓腫れが4、5日は引かないでしょう。私
の頭は、机に手をついてお尻を突き出した時から、お仕置きの期待と恐怖で混乱
しています。でも、私は学校で習った通り、
「桂子は校則を破りました。お尻叩きのお仕置きをお願いします。」
と、すらすらと言う事ができました。我ながら『習慣ってすごいなあ。』と感心
してしまいました。
「立派に言えましたね。流石にT女子校の高等部2年生です。それでは始めま
す。」
先生が籐鞭を振り上げたのが、気配で分かりました。
「ビシッ。」
清原先生は最初の笞をお尻の膨らみの頂点に打ち下ろされました。いつもなが
ら、最初の一打が一番痛く感じます。
「ビシッ。」
「ビシッ。」
清原先生は、規則正しく3秒おきにお尻を打たれます。何とか三打までは我慢で
きたのですが、これが限界です。
「ビシッ。」「ごめんなさい。」
「ビシッ。」「ごめんなさい。」
「ビシッ。」「ごめんなさい。もうやめて。」
「ビシッ。」「ごめんなさい。いや。」
「ビシッ。」「ごめんなさい。いたい。」
「ビシッ。」「先生。ごめんなさい。わーん。」
声を出してしまうと、もう止まりません。きっと私のお尻は、笞の動きに合わせ
てみだらなダンスを踊っている事でしょう。清原先生は、笞の手を止められ、
「桂子さん。あなたのかわいいお尻には、9本の赤い鞭跡が浮き上っています
よ。あなた達高校生の女の子には、一ヶ月に二回位は、これくらい厳しいお尻へ
のお仕置きが必要です。女の子は幾つになっても『従順』を忘れてはいけません
よ。今日のこの笞の痛さで『従順』と言う言葉を少しは思い出したかしら。それ
では仕上げの三打を打ってあげます。いいですか?」
私は、これ以上お仕置きが厳しくならないように願って、
「あと三打のお尻打ちをお願いします。」
と泣きながらも言う事ができました。
「ビシッ。」「ごめんなさい。」
「ビシッ。」「わーん。」
「ビシッ。」「わーん。」
最後の三打は正確にお尻の上部、中部、下部に当たり、ナイフで切られるような
痛みでした。お仕置きが終わった後、暫くの間、私は机の上にうつ伏せのまま泣
いていました。清原先生は、私のお尻の鞭跡に注意しながら、パンティーをそ
おっと上げて下さいました。そして、私のからだを起こし、優しく抱きしめて下
さいました。先生の胸のあたりは、シャネルの香水の甘い香りがしました。私
は、鼻をすすり、スカートの中に手を入れてお尻を撫でながら、
「清原先生、ありがとう御座いました。」
と、お礼を言いました。そして、私は今から始まる清原先生との甘く厳しいお勉
強に胸を膨らませました。
(続く)