<A Fanciful Story>
竜巻岬《3》
【第一章:赤ちゃん修業】(2)
K.Mikami
《赤ちゃん卒業試験》
広美が自らの力でおむつの中に用を足せるようになったのはアランに会った
翌日だった。それまでお漏らしすら満足にできなかった子があの事をきっかけ
に吹っ切れたのかもしれない。一山越えた広美の赤ちゃんがえりは早かった。
もともと若いせいもあって心の裏表が少なく、作り笑いや取り繕った笑顔を見
せてはならないというマニュアルを比較的簡単にクリアできたのだ。
お尻丸出しで御虎子に跨がった時はさすがに、
「いつまでこんなことやってなきゃならないの」
と、お仕置き覚悟のセリフも飛び出したものの、広美はしだいしだいに自ら
の境遇に順応するようになっていく。その一つが、
「ばぶ、ばぶ」
言葉は話せないが喃語を使うことは覚えたのだ。
すると、ハイネの方でも広美に少しだけ自由を与えるようになる。
「そう、お庭に出たいのね」
天気のよい日は庭でハイハイをさせたり、特大の歩行器を与えて廊下を歩け
るようにしてやったのだ。
外見は変化しようのない奇妙な母子関係も時がたつにつれて内心では本当の
母と娘のような関係へと変化していったのである。
ただし、体のサイズ以外はすべて赤ん坊になったというわけにはいかない。
女の子には男にはない習慣があるからだ。この処理を他人に任せなければなら
ない屈辱感は女性にしかわからない。
ハイネはある時はいたわり、またある時は叱りつけて、どんな時でも広美が
赤ん坊の気持のままでいられるように仕向けたのだった。ひょっとしてこれが
ハイネの仕事の中で一番やっかいなことだったのかもしれない。
そのかいあってか最初の三ヵ月はナプキンを替えて貰うたびに二人のメイド
と格闘していた広美も今ではおむつ替えと同様にハイネに全てを任せている。
『もうそろそろいいかもしれないわね』
そこでハイネは七回目の生理が終わったのを見計らって、広美に赤ちゃんの
卒業試験を受けさせようと決めたのだった。
ある日の朝、その日も普段と変わらない朝だった。メイドにおむつを替えて
貰い、まずはハイネから与えられた二本の哺乳ビンに吸いつく。一本はミルク
もう一本はビタミン入りのジュースだが、それだけでは十四才の少女としては
淋しい。そこでハイネから離乳食のようなものを食べさせてもらうのだが……
「美味ちいですか」
もちろんその際もハイネにあやされている広美が手を使うことはなく、口の
中に押し込まれたスプーンをもぐもぐとやってみせるだけだ。
当初はぎこちなかったこの食事風景も半年過ぎた今ではすっかり板について
いる。ひょっとしてこの子は生まれた時からこのままなのではと疑いたくなる
ような自然な身ぶりである。
固形食がない為かその分うんちが緩いが、どのみちおむつにしなければなら
ない広美にとっては、むしろそれも好都合だった。
ハイネは食事の終わった広美を抱き上げ、二三度頭を撫でつけると、自らの
乳頭を広美の口に含ませる。傍目には無気味と映るこの光景もなさぬ仲の広美
との人間関係を保つためには欠かせないスキンシップだった。
「ばぶばぶ……まま……まま……」
女同士だからこそ成り立つこの戯れ、実は意外にも窮屈な生活を強いられて
いる広美をおとなしくさせておくのに効果なレクリエーションだったのだ。
「広美ちゃんは今日もごきげんね。今日はね、大勢の人の前で広美ちゃんが
ちゃんとうんちができるかどうか見て頂く大事な赤ちゃん卒業試験よ。これが
できたら赤ちゃんは卒業。お口もきけるし、自分のあんよでお庭だって散歩で
きるようになりますからね。頑張りましょうね」
ハイネが今日の卒業試験の内容を伝えたとたん広美のごきげんだった喃語が
止まり、乳を吸う力がなくなる。彼女に大きな不安がよぎったのだ。
たしかに今ではおむつにうんちができるようになっていた。だがそれはあく
までハイネやメイドたちが見ている場所で可能なのであって誰の前でもそれが
できるわけではない。その事は広美自身が一番よく知っていたのだ。
「大丈夫、何も恐がることはないわ。いつものとおりやればいいのよ。別に
あなたの親戚が見にくるわけではないし、こんな事があったよってその人たち
が世間で言触らしたりもしないのよ。それに出なければ出ないでお潅腸という
手も…あっ痛い」
最後の言葉に広美は素早く反応した。それまで軽く握っていただけのハイネ
の右の乳房を思わず握り締めたのだ。大勢の見ている前でお潅腸されたうえに
排泄させられるなんて、十四の娘には想像しただけでも身の毛のよだつ出来事
だったのである。
「どうしたの。浮かない顔して。大丈夫よ。滅多に覗き込む人なんていない
から。集まる人はみんな常識人で、そんなことが趣味というわけじゃないの。
それに私がついてるじゃない。さっさと済ませば五分で終わることよ」
ハイネは広美をやさしくベッドへ戻すと彼女が落ち着きを取り戻すまで添い
寝する。
「赤ちゃんを卒業したらあなたは幼女になるの。それを卒業したら次は童女
それがおわったら少女。それからレディーね。レディーになったらもう恐い物
なし。このお城を我がもの顔で歩いてそれまで苛められたメイドたちも見返し
てやれるんだから。それまでの辛抱よ」
ハイネの言葉は嘘ではない。しかし、そこまでなるにはこの先長い茨の道を
歩んでいかなければならなかったのある。
ゴブラン城では月に一度、城主主催の園遊会が開かれることになっており、
お昼近くの十一時、城の大広間ではすでに大勢の紳士淑女がそれぞれに歓談を
始めていた。
そんな中、ささやかな拍手と共にどよめきが静かな波紋を会場内に広げる。
ベビーカーに乗った広美が登場したのだ。
「大丈夫よ。なるべく早く出しちゃいなさい。我慢してるとお薬のききめが
だんだんなくなっちゃうから」
付き添うハイネが広美にアドバイスを送る。実はこの時広美はすでに少量の
グリセリンをお腹に入れられていたのだ。『会場で広美をお披露目すると同時
にお漏らし、おむつを替えて即退場』これがハイネの描いたシナリオだった。
ところが……
「皆様にお知らせがございます。今回この城に新しい命が誕生いたしました
名前はアリス、十四才という超未熟児ではございますが、なんとかここで生き
ていく目途がたちましたのでお披露目させて頂きます」
城主アランの挨拶に先程登場したときよりはるかに多くの拍手とどよめきが
起こる。何より十四才という年令が周囲の人たちの興味を引いたのだ。事実、
ベビーカーのまわりには大勢の紳士淑女が群がり始めた。
それが広美に、いや、今しがた名前が変わってアリスとなった少女にどんな
プレッシャーをかけたかは容易に想像がつく。
彼らは口々にアリスをあやし始めたのだ。こんなことは滅多にない事だった
「侯爵も果報者だ。こんないい子を天から授かるとは」
「いや、これはペネロープ女史の持ち物になるらしい」
「ほうっ。彼女、女もいけるのか」
「いや、そうじゃなくてアランの坊やじゃすぐに壊しちまうから取り上げた
んだろう」
列席者は世間話をしながらさかんにアリスの頬を軽く叩いたり頭を撫でたり
する。それは本物の赤ん坊に接するのと何ら変わらない態度だった。
ところが一方のアリスはというとこちらは本物の赤ん坊のようにはいかない
強烈な羞恥心が彼女の体をがんじがらめにしていたのだ。身を固くし両手を胸
の前で組んだままガタガタ震えているしかない。当然、お漏らしをするなんて
ことはたとえ少しぐらいグリセリンが入った体でもできるはずがなかった。
「さあ、早く」
ハイネが人だかりの途絶えたのを見計らって小声でせかすが効き目がない。
三十分を過ぎる頃には薬の効き目も遠退いてもう手が付けられなくなっていた
そんな二人の様子を見兼ねたのだろう。ペネロープがやってきて
「仕方ないわ。今日はあきらめましょう」
と、断を下してしまったのである。
「申し訳ありません。ペネロープ様。もう大丈夫かと思ったんですが」
「いいのよ。人間、三十を越えると羞恥心も薄らいでこのくらい何でもなく
のりきれるけどこの子はまだ十四才ですもの。無理もないわ。その代わり来月
にはちゃんとできるようにしておいてね」
ペネロープはハイネにそう申し付けた後、緊張で強ばったアリスのほほを指
で突ついて…
「今日からあなたは『アリス』と呼ばれるの。なかなか可愛いお名前でしょ
う。赤ちゃんを卒業したら私とも遊びましょうね」
ペネロープはそう言うと再びハイネに、
「濡れてなくてもおむつは取り替えてね。こういう羞恥心の強い子には慣れ
も大事だから」
そう言い残すと再びホステスの仕事へと戻っていったのである。
「そうね、たしかに慣れが必要かもしれないわね」
強ばった顔、時折訪れる強烈な便意を意地になって押さえ付けているアリス
の顔を見ながらぽつりとつぶやいたハイネは何か決断したようだった。
彼女は人をやってメイドを二人連れてこさせたのである。それは広美が言葉
をしゃべった罰にスパンキングを受けた時の二人組だった。以後もこの二人組
に幾度となくお仕置されていた広美にはハイネが何を決断したのか容易に想像
がつく。
だから本気になって逃げようとした。ベビーカーを自分の力で抜け出そうと
したのである。
「だめよ。赤ちゃんが歩ける分けないでしょう」
だが、たちまちハイネに押し止められてしまった。
以後はあっという間の出来事である。
ベビーカーが大広間の隅に運ばれると、口の中でおしゃぶりのゴムが膨らむ
それに気を取られているうちおむつが外され足を高くあげさせられると、後は
恥かしいと思う間もなくガラス製のピストン式潅腸器が百cc、アリスの直腸
にあっという間にグリセリン溶液を送り込んでしまうのだ。
「さあ、もうこれでだめでしょう。観念なさい」
ハイネのめずらしく冷たい調子にアリスはおびえ、実際、こうなってはどう
することもできなかった。
「あっ、ああああああ、……」
悲しいうめき声と共にアリスのプライドがおむつの中へと流れ落ち、耐えら
れなくなった羞恥心は彼女の意識を表の世界から消し去ってしまう。
「ごめんなさい。この子ちょっと便秘ぎみなもので」
ハイネはそばを通りかかる紳士や淑女に断りを言ったが、今度は誰もアリス
のベビーカーを覗こうとはしない。彼らは本物の紳士や淑女でありこの催しの
趣旨もよく知っていたのでルール違反になるような行為は決してしなかった。
ただ、だからといってアリスの受けたショックが収まるわけでない。部屋へ
戻ってきた少女は泣き崩れ叫び続けたのである。
<赤ちゃん卒業試験(了)>