<The Fanciful Story>

竜巻岬《9》
【第三章:幼女の日課】
K.Mikami

《童女初日2》

「ここが教室なの。お日さまがあたっててすがすがしいわね。お庭も綺麗。
バラが咲いてるわ」

アリスが感動しているのを皮肉るようにケイトが釘を差す。

「だからいけないの。眠くなって仕方がないわ」

彼女たちが学ぶ教室には食卓テーブルが置いてあってビニールのテーブルク
ロスがかかっている。椅子もベンチ式の長椅子で三人がそれに腰掛けて平行に
並ぶのだ。

そこへもう年の頃は七十を越えたであろうか。一人の若い助手を連れてお爺
さんが現われた。

「お早ようございます。皆さん」

「お早ようございます。チップス先生」

アンとケイトは不自然なほど大きな声で挨拶する。

「今日は新入生がいるということじゃったが、あなたかな」

「はい。アリスといいます。よろしくお願いします」

「おお、なかなかべっぴんさんじゃな。どれどれハイネ君はなんと言ってき
たか…」

老人は二十代半ばであろうかうら若い女性から手紙を受け取ると開いて読み
始める。そこにはアリスの性格や教養が事細かに書いてあった。そしてお仕置
についても

『堪え性は籐鞭E、ストラップ鞭E、浣腸B、お灸A』

とランク付けして記載してあったのだ。

「アリス君は甘えん坊だったようじゃな。ではこれを使いなさい」

チップス先生がアリスのために差し出したのはマザーグースだった。これを
お手本にして書き取りをしろというである。

もちろん嫌とは言えないし、渋々受け取るようなこともタブーだ。

「はい、ありがとうございます。一生懸命やります」

『目を輝かせ、感動して…』

アリスはぺロープの言葉を思い出していた。

花文字を含め同じ文章を丁寧に十回も書き写すだけの単調な作業。つい欠伸
のひとつもでようというものだが、それは許されない。

アリスが思わず口をだらしなく開けようとした瞬間、

「ケイト」

老教授が呼んだのはアリスではくケイトの名前だった。

「前へ」

老教授は言葉をおしむかのように必要最小限のことにしか口を開かない。

しかしそれで十分に意思の疎通はできるらしく、ケイトは老教授の前へ出て
いくと手の平を上にして両手を前に差し出す。

 「ピシ、ピシ、ピシ」

続け様に三回、ケイトの手のひらに小振りな籐鞭が飛んだことで、アリスは
欠伸一つがここではどういう結果をもたらすかを知ったのである。

童女の午前中の勉強は、この他に古典詩の暗唱に終始する国語と簡単な算数
それに長老の話を聞くだけの退屈な宗教が割り当てられ、そのいずれもチップ
ス先生が担当していた。

そして、午後はイコンを模写する美術やフルートを習う音楽、それに刺繍や
簡単な繕い物などをやる針仕事という科目もこなさなければならなかった。

「どう、一日のお勉強が終わった感想は。疲れたでしょう」

「ええ、少し。でも楽しかったわ。だってこれまでずっと養育係とマンツー
マンでしょう。やることといったら彼女のご機嫌とりばかりで、何一つ新しい
知識を吸収できなかったんですもの」

「それはここでも同じよ。授業の内容はどれもピントのずれたものばかり、
私達はそれを大真面目で聞かなきゃならないの。つまりチップス先生のご機嫌
とりをやらされているのは同じだもの」

「そうなの」

「残念だけどケイトの言うとおりよ」

「お母さまが私達に求めてるのは童女のような純真さで知識じゃないもの。
それに先生に対する女らしい心づかいかな。それができれば童女も少女も卒業
できるんだけど…これが意外に難しいのよ」

「ケイトさんは少女になったことがあるんでしょう」

「ええ、童女と少女の間を行ったり来たりなの」

「私って正直でしょう。面白くないなあってのがつい顔に出ちゃうのよ」

「でも、お母さまはなぜ人まで雇って赤ん坊のまねをさせたりこうして子供
の格好をさせたりするの」

「はっきり分からないけど、お母さまにはお母さまの信念があるみたいよ」

「私、知ってるわ。二年間だけでも頭を空っぽにしていると昔の感情を振り
払えるんだって‥‥これ禅(zen)っていうじゃないの知らないけど」

「だって、私、まだ昔のことを覚えてるわよ」

「いえ、そうじゃなくて問題は感情よ。憎いとか、悲しいとか。もしここを
出られたら復讐してやるんだって思えるかってことよ」

「それは、……」

アリスは当然あると信じ込んでいたものを心のなかに探しはじめる。でも、
たしかにあったはずのそのものは今は事実だけしか浮かんでこない。思い出に
感情が伴わないのだ。

『あんなに義母を憎んでいたはずなのに』

アリスには今の自分が不思議だった。

「ねえ、私達これからどうなるの。レディーになったあと。ずっとこのまま
このお城で暮らさなきゃならないの」

「それはわからないわ。私、レディーになったことがないから。でも大抵は
ここの養育係をやるか、葡萄園の管理や書庫の整理なんか任されて、そのまま
ご領主さまのお気にいりかお母さまの娘としてここで暮らしてるみたいね」

 ケイトの言葉にアリスは少しがっかりした表情を見せる。

「そう、やっぱりここは出られないのね」

「でも、なかにはご領主様が経営する修道院付きの私立学校で教師をしたり
シスターになる人もいるらしいわよ」

「あなた、元の世界が恋しくなったんでしょう」

「いいわね。恋しい世界がある人は…」

アンやケイトの言葉はアリスを少しだけ恥ずかしくした。

「でも、外出はできるのよ。昔のお父さんやお母さんに会うことだってでき
ますよ。必ず戻ってくるという約束とここのことを口外しないという約束さえ
できれば」

アリスは聞き慣れない声にはっとしてあたりを見回す。

「コリンズ先生、こんにちわ」

アンが教えてくれたその人は体の線がはっきり見えるスーツを着込み、ロン
グヘアーをかきあげると涼しい目でアリスの方を見ている。

「あなた見かけない子だけど…」

「はい、今日から童女にしていただきました」

「ああ、アリスちゃんね。私はコリンズというの。あなたたちの養育係よ」

「童女でも養育係っているんですか」

「幼女や赤ちゃんの時のように一日べったりとはついていないけど。一応、
親がわりというか、学級担任の先生兼寮母のようなものなの」

コリンズ先生の言葉がまだ終わらないうちにケイトがアリスに耳打ちする。

「つまり、お仕置き係ってわけ」

しかし、それはコリンズ先生の耳にも伝わって、

「それはケイトちゃんのおいたが原因でしょう。正しい生活を送っていれば
何も問題のないことよ。ハイネの報告によるとアリスちゃんはとても手のかか
らない赤ちゃんだったみたいね」

「そんなこと」

アリスは赤面した。

「本当よ。試練の初日からおむつを素直に受け入れる人はめずらしいもの。
この人たちなんか二ヵ月も三ヵ月も死ぬの死なないのってもめた挙げ句やっと
屈伏したんだから。あなたは今までで一番手のかからない赤ん坊だったって」

「私、まだ子供だから、それにあの時は西も東も分からないから……」

「おかれた情況はみんな同じですもの。おむつを拒否して当然、暴れて当然
だけどそれに分別をつけることができるのはあなたの育ちのせいね。きっと、
お父様やお母様によい躾を受けたんだと思うわ」

「ハイネさんもここにいるんですか」

「いいえ、彼女は今、シャルロッテと一緒にリサの面倒をみてるの。あの子
は大変よ。甘えん坊でわがままであなたと比べても子供だわね。それを二人が
かりで叩き直してる最中よ。ハイネに会いたいの」

「ええ、とっても」

「あなた素直ね。でも、ここでは素直にしているのが一番よ。ペネロープ様
は素直な子には特にやさしいの」

コリンズ先生の言葉にケイトがぽつりとつぶやく。

「ええ、そうでしょうとも。どうせ私達は素直じゃありませんからね」

ケイトの愚痴とも冗談ともとれる発言に今度はアンが、

「私達ってどういうこと。私は素直よ。誰かさんと違って反省会の時も嘘や
隠しだてはしないもの」

「あ、アン。何よその言い方。私を裏切る気」

二人の痴話喧嘩は無視して、コリンズ先生がアリスに話を続ける。

「そうだ、今日の晩餐はあなたはその姿じゃまずいわね」

「え、どうしてですか」

「ペネロープ様があなたをお披露目してくださるの。だから今回の夕食だけ
あなたの席はご領主様とペネロープ様の間……ちょっとした王女様気分が味わ
える所よ。でも、そのためにはそのお洋服ではちょっと淋しいでしょう」

コリンズ先生はアリスの手を引っ張っていくと衣裳部屋で絹物の正装に着せ
替えて送り出してくれたのである。

会場内に入るとすでに領主アランもペネロープもすでに着席していた。そこ
へアリスが恐る恐る入っていくとまずアランが声をかける。

「おう、これは美しい。以前会った時よりまた一段と美しくなってる」

「お招きにあずかりまして光栄です」

「どういたしまして。あなたのようなお方ならいつでも大歓迎だ」

「アリス、こちらへいらっしゃい」

今度はペネロープが声をかける。

「お招きにあずかしまして…」

アリスがこう挨拶すると、

「あなたと私は親子なの。そんな他人行儀な挨拶はおかしいわ。あなたが私
を母親として慕ってくれれば私はあなたのために何でもしてあげられてよ」

「はい、お母さま」

おむつや生理用のナプキンまで取り替えてくれたハイネと異なり、アリスに
とってペネロープはまだ遠い存在。今はただ、彼女が自分を嫌っていないこと
だけを辛うじて理解できたにすぎなかった。

「静かに」

ペネロープの声にざわついていた場内が一転静まり返る。それに気を良くし
て彼女はアリスを紹介する。

「今日、新たに童女に加わった子がいます。すでに顔を見た人も多いと思い
ますが、まだ慣れないことも多いはずですから一番下の妹として面倒をみてあ
げてください」

ペネロープは座ったままでアリスを紹介した。だが、アリスには、

「立ってご挨拶なさい」

と命じたのである。それに答えてアリスが

「今度みなさんの妹となったアリスです。よろしくお願いします」

と言うと、ささやかながら場内から拍手が沸き起こった。

以後は普段と変わらぬ食事風景となりアリスの前に次々に並べられた食事も
フランス料理のフルコースディナー。ただし、緊張していた彼女にはその美味
しさを堪能する余裕はまだなかったのである。

だから、部屋に戻ってきてケイトに質問されてもアリスは答えようがない。

「どうだった。料理。鴨の肉美味しそうだったじゃない」

「…そんな料理あったかしら、知らないわ」

アリスは怪訝そうに首を振る。

「何言ってるのメインディシュよ。じゃああの魚料理は、つけあわせトリフ
だったんじゃないの」

「………」これにも彼女は首を振るだけ。しまいには

「それ、どんなお皿に乗ってたっけ…」

と逆に質問する始末だった。

食事中の彼女はただただ出てきた料理を口に運ぶだけ、どうか粗相が無いよ
うに終わってほしいとそれだけ考えていたのだ。

「なんだつまんないなあ、こんなチャンスあとはお誕生日ぐらいなものなの
よ」

ケイトはお湯をはった洗面器に浸したタオルを絞ってアリスに渡す。二人は
裸になってそれで体を拭くのだ。

「私の誕生日にはまたあそこで食事しなくちゃいけないんですか」

 「そうよ、あなた嫌なの」

「だって緊張しちゃって」

「あなた変わってるわね」

アリスとケイトの話にそれまで本を読んでて参加していなかったアンが加わ
る。

「いいじゃないの。それだけこの子は権威を尊ぶすべを知っているのよ。だ
から目上の人に好かれるの」

「そうか、私達みたいになすれっからしじゃ可愛げなんてないものね」

「あ、また言った。何でもかんでも私達って言わないでちょうだい。少なく
とも私は権威を尊ぶすべも知っていればまだ可愛いつもりでもいるんだから」

「何言ってるの、ネイチャーなんか読んでる子のどこが可愛いのよ」

「いいでしょう。個人的な趣味にまで口を挟まないで。そんな事よりあなた
宿題すんだの。私、あんたの汚いお尻にワセリン塗ったりや獣みたいな悲鳴を
一晩中聞かされるのはもううんざりよ」

「わあ、感に触る。アン、私がいつ獣みたいな声をあげたのよ」

「いつもやってるじゃないの。オランウータンが発情したみたいな声」

「失礼ね。あれは可愛い子ぶって泣いてるの。だまってお仕置き受けてたら
可愛くないって言われそうだから」

「よく言うわ。どっちにしてもあれなら完全に逆効果ね」

「そうだ、それはそうと、あなた今日はもう反省室に行ったの」

「え、いいえ。今日は叱られたこともなかったから」

「いえ、そうじゃなくて。コリンズ先生の処へは毎日いかなければならない
の。すっぽかすと大変よ」

「わあ、どうしよう」

「とにかく今からでも行った方がいいわね」

アリスはあわてて反省室へ。

「ねえ、アン。あの子いくつもらってくるかしら」

「そうねえ、普通なら一ダースってところだけど。今日は初日だから大負け
に負けて半ダースってところね」

「私はそんにいかないと思う。あの子コリンズ先生にも結構気に入られてる
みたいだもの。三つじゃないかな」

「それじゃあ、罪が無いってことと同じじゃない」

「そういうこと」

「いくらコリンズ先生でもそこまでは甘くないわよ」

「じゃあ、賭ける」

「いいわよ」

しかし、この二人の賭けは成立しなかった。アリスは結局ただの一回も鞭を
もらわずに帰ってきたのである。

                             <了>

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