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小妻先生が、その作品をこっそりと机の下から取り出して見せてくださったのは、一体どのようなきっかけだったのでしょうか。その後に続く衝撃のために私の記憶は曖昧です。アトリエに同行してくださった室井亜砂二氏とともに懐かしい「奇譚クラブ」のお話をされていた時だったかもしれません。まだ誰もステレオタイプなSM表現を獲得していなかった幸福な時代、雑誌の中には百人百様の夢や妄想が渦巻いていました。一人一人のロマンチシズムに満ちた世界は、今なお時代を越えて私の想像を刺激し、時に快い恐怖や戦慄を、時に罪深い恍惚を呼び覚まします。ほぼ同時期にこの雑誌に寄稿されていたお二人と、そんなお話が出来るだけで、私は嬉しくて楽しくて、胸がいっぱいでした。 「実はね、こんな作品もあるんですよ」「仕事の絵を描く合間に、ふと描きたくなって、こんな悪戯描きをしているんです」「ただし、門外不出です」そう言って小妻先生が机に上に置かれたのは、広告の裏に描かれた膨大なデッサンの束でした。一目見て私は懐かしい衝撃に心を奪われました。溢れんばかりに盛り上がった豊満な肉の迫力。年齢を重ねた女性のもつ気品と、包み込むような優しさ。苦痛と悦びと羞恥に震えているような表情豊かな皺。巨大なお尻や乳房からは、とろけそうな柔らかみと、ずっしりとした重みが伝わってきます。ファンタジックなまでにデフォルメされた肉体は、たとえ未完成といわれるデッサンの線だとしても、描きたいから描く、その一瞬の二度と再現できない迫力と、妖しいまでのニュアンスに満ちていました。 私は「奇譚クラブ」はおろかSM雑誌黄金期を代表する「SMセレクト」や「SMファン」さえも同時代に読むことができなかった世代です。しかし風俗資料館の蔵書を辿る中で、小妻先生描く豊満美女に初めて出会った時の感動は今も鮮烈に残っています。それはサン出版から発行されていた『アブハンター』の中でした。創刊号の1974年6月号から終刊号の1975年7月号まで、毎号目次ページの表と裏に発表されていた口絵作品のタイトルは「デブ女」。こぼれ落ちそうな肉にぎりぎりと食い込む縄と、恐れと恥じらいを噛みしめるいじらしい女性の表情に、私は思わず魅入りました。その後の小妻先生の作品には豊満女性が描かれることは滅多になくなりましたが、時々ふと思い出したようにひっそりと、美しく重量感に満ちた豊満女性が縛められた作品が描かれています。これらの作品は、激しく変形させられた肉体のフォルムの衝撃だけでなく、たまらなく愛おしく美しい女性のいる夢のような情景として、私の心に強烈な印象を残しました。 そんな中、大切に一号一号読み進んでいた「奇譚クラブ」もいよいよ後期に差し掛かり、1965年9月号、私は小妻先生の初投稿作品「黒いコートの記憶から」に出会いました。文章に添えられた小さなカットを一目見たときの喜びを何と表現したら良いのでしょうか。私は小妻先生の作品をとおして辿ってきた私自身の思いと、その小さなカットを含めて様々な作品が、時空を超えて一つに結ばれたように感じました。そしてデッサンの束を見せていただいた時、近年では描かれることのなくなった豊満女性の更に洗練され凄みを増した迫力を目の当たりにした私は、その時と同じように、懐かしい大切なものに巡り会ったような思いで胸が熱くなりました。 デッサンを拝見した夏の日から一年以上。今回この画集のお話をうかがって収録作品の見本を見せていただいた時、全てが完成した彩色画であることを知り、私は改めて度肝を抜かれました。誰に見せるわけでもなく、自分ひとりのためだけに描き続けた世界。こつこつと長い年月をかけて慈しみ愛撫するかのように描かれた膨大な作品群からは、何にも惑わされることなく、心の欲するままに描く喜びが犇々と伝わってきます。 自分一人だけの内なる快楽を知る者にとって、小妻先生の今も昔も変わらない美意識の結晶は、理屈抜きで魂を鷲掴みにされるような戦慄とともに、この世ならぬ美の世界を垣間見せてくれる衝撃的な出会いになることを、私は確信いたします。 |
以上は『小妻容子秘画帖 豊艶の濫り』に収録されている当館館長中原の推薦文です。 当画集には、その他にも、 ●「ヴィンレンドルフのヴィーナス」のような太古の母神像(相馬俊樹) ●「豊艶の濫り」刊行によせて(小妻容子) ● 肥えた縛女の記憶から(室井亜砂二) ● 小妻容子×相馬俊樹 対談 といった、豪華な執筆陣によるずっしりと読み応えのある文章が収録されております。 |
●警告●
当作品は成人向けの商品となっております。18歳未満の方はご購入いただけません。 こちらの作品内容紹介ページに掲載されている全ての記事・画像を無断にて転載することを禁じます。 |
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