マニア倶楽部 通巻9号 1987年5月号(三和出版)
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オシメをして寝ると安眠できるのです
〜私の青春はオシメとオシメカバーに燃えました!〜
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わたしは幼いころ、よくあることですが、しばしばオネショをしました。それも、中学へ入ってからもなんです。何でも、泌尿器関係のどこかに疾患があって、その治療をつづけていたのですが、そのころは、まだ、現在ほど医学はすすんでいなかったので、思うように治りませんでした。
わたしは、下町育ちなので、近所の人たちは、みんな、そんなわたしのことを知っていながら、別にからかうこともなく、「思うように治療がはかどらないね」などと同情してくれるくらいです。
小学生のころは、オシメをして寝たものですが、お医者さんのすすめもあって、中学生になってから、オシメをせずに寝るようになりました。
ところが、また粗相をして布団を汚すのではないかと気が気でなく、ノイローゼ気味になりました。そこでまた、オシメをつけて寝るようになりました。
そんなわけですから、いつのまにかオシメは、わたしの安眠条件となってしまったのです。オシメを当て、オシメカバーで腰を包んで寝ると、わたしは、天国で遊んでいるように、安らかに夢路をたどれるのです。
中学三年ごろには、さしもガンコなわたしの夜尿症も治りました。もう、オシメを当てて寝ることもなく、朝目覚めてトイレに行けばいいようになりました。
ところが今度は、オシメをしないで寝ると、安眠できないのです。以前とまるで正反対の状態になってしまったのです。
ですから、わたしは、母に内緒で、オシメをしてオシメカバーで腰を包んで寝ることにしました。母は「やっと治って、これでお前も安心してお嫁に行けるね」なんて言っているのですからとても母には言えません。
そして高校二年のときのことです。三泊四日の修学旅行がありました。
わたしは悩みました。夜、オネショの心配はないのですが、安眠できるか不安なのです。
そこで、するしないはとにかく、オシメとオシメカバーを旅行カバンの底に入れて、持って行くことにしました。
ひと晩、ふた晩は我慢したのですが、やはり熟睡できませんでした。そして三日目の夜、つまり旅行最後の夜です。わたしのカラダはオシメを求めて熱くなっていました。
そして眠る前、自分では気がつかなかったのですが、いつのまにか、オムツの包みをバッグから取り出して、膝の上に置いてボンヤリしていました。
「アラ、それ、何?」
お友達の一人が、すっとんきょうな声で言いました。わたしは、ハッとして、どういう事態か気が付いたので、慌てて、しまおうとしたのですが、遅かったようです。
「やだー、これ、オムツカバーじゃないの? あなた、オネショの癖あるの?」
わたしは、まっ赤になって、ドギマギしていました。そのとき、別のお友達が、
「あら、旅行でおなかをこわして下痢でもしたら大変だと思って、お母さんがそっと入れておいてくれたのよね」
と、助け舟を出してくれました。わたしは、「う、うん」と、どうにかゴマかしましたが、そのときの恥ずかしさは、今でもハッキリと覚えています。
そんなことがあっても、わたしは、オムツとオムツカバーに寄せる気持ちの高ぶりは消えませんでした。
忘れられないことが、もう一つあるのです。
家庭科の時間で、育児の授業のときでした。オシメの当て方、という時間がありました。
人形を使って実習するのですが、そのとき、体全体がホテッて困ってしまったのを覚えています。
「まずオシメカバーを広げたら、オシメを二、三枚T字型に重ねて……」
そのときの先生の説明は、今でも覚えています。
このごろでは、ほとんどイメージとして楽しんでいますが、わたしみたいな趣味の者は、いるのでしょうか。――
ある日、当館(風俗資料館)に見えた中年のある女性は、長い物語を終えて小生の顔を見てニッコリと笑った。
(高倉 一)
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出典:
マニア倶楽部5月号 通巻9号
昭和62年5月1日発行
三和出版株式会社→★
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高倉一(たかくら はじめ)
1914年(大正3年)8月21日-2004年(平成16年)9月29日
1949年「夫婦生活」誌の編集者として雑誌業界に入る。戦後3大SM誌のひとつ「風俗奇譚(文献資料刊行会)」、アングラ文芸誌「黒の手帖(檸檬社)」等、数々の雑誌の編集長を経て、1984年に風俗資料館を開館(初代館長として2004年まで就任)。
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註
当「風俗資料館だより」のテキストの著作権は高倉一(風俗資料館)に帰属します。また再録に際し三和出版の許可を得て掲載いたしております。テキスト・画像等を無断で複製・転載・配布することを禁止いたします。(ただし出典を明記していただいての「引用」は歓迎いたします。ご希望の方は事前に必ずご連絡ください)
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