マニア倶楽部 通巻10号 1987年6月号(三和出版)
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■あたしの羞恥願望告白
少女のころから縄にあこがれていました
〜緊縛画や写真に胸ときめかした少女のころの想い出話語ります!〜
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夢見た頃
あたしは、少女時代、いわゆる“夢見る乙女”でした。いつかステキな王子さまがあたしの前に現われて、あたしをやさしく愛してくれる――というようなことを、いつも心に描いていたのです。
そんなふうでしたから、小さいときから宝塚歌劇のファンで、母にねだっては、よく連れていってもらいました。神戸に住んでいたので、それができたのです。
あこがれの的はもちろん男役スターで、“夢の王子さま”のおもかげをダブらせていたのです。
あたしたちの少女のころは、今のように塾などというものはなくて、学校から帰ると、男の子も女の子も一緒になって戸外で遊んだものです。女の子だけで、お手玉やお人形で遊ぶことはありましたが、男の子たちにまじって、縄跳びをしたり隠れんぼをしたりして遊ぶことが多かったものです。
そんなとき、何と呼んでいたか覚えていませんが、二組に別れて追いかけ合い、相手の組のだれかを捕まえて捕虜にし、勝ち負けを決める遊びがありました。
あたしは、どちらかというとグズのほうでしたから、相手方の捕虜にされていました。
すると、捕虜だからということで、縄か紐で縛られたりしたものです。もちろん、ひどい縛り方ではありませんでしたが……。
いくらグズでも、そんなとき、あたしは、やっぱり恥ずかしいと思いました。
それでいながら、きっとステキな王子さまが助けにきてくれると、いつものように夢想し、うっとりしたりしてしまうのです。
こんなことがキッカケかどうかわかりませんが、あたしは、縛られることにも、羞恥にさらされることにも、関心をもつようになりました。いえ、そういうところに自分を置くことに、心の高ぶりを感じるようになっていたのです。
羞恥の中に陶酔
中学、高校と進むにつれて、さすがに縛られる機会はなくなりました。けれども、羞恥に対してはとても敏感になりました。
たとえば、何か病気になったときでもそうです。お医者さんの前で胸をはだけたりすることに、とてもこだわりました。診察を受けて聴診器を当てられるのは当り前のことなのですが、からだの奥のほうから恥ずかしさが湧き上がってきて、身の置きどころもなくなるのです。肌はカッカと火照り、動悸は早くなるのです。
それなのに、気持ちのうえでは、痺れるような疼きを感じるのですから、おかしなものです。
きっと羞恥の中に陶酔のあることを自覚したのでしょう。
当時のことですが、美術学校を出て画家としてスタートした従兄がおりました。従兄といっても五歳ぐらい年上で、絵に対して情熱を燃やしていたのです。
その従兄から、モデルになって欲しいと言われました。それも、全裸です。つまり裸婦の絵を描きたいというのです。
あたしは迷いました。でも、羞恥に対して自分自身がどう反応するか、それを知りたいと思う心のほうが強かったのです。
いざとなって、カンバスの前で、着ているものを脱ぐときは、やはり勇気がいりました。
従兄の前に全裸をさらしてポーズをとっていると、恥ずかしくて身震いするほどでした。それでいて、体の奥から、奇妙な感覚が湧き出して、全身に広がっていくのです。もう従兄の存在を忘れて、その感情をかみしめていました。
ああ、あたしははずかしめられると官能が高まるのだと、自分で納得した次第です。
緊縛写真に衝撃
そのころ、あたしには、もう一つの転機が訪れました。
ある日のこと、父の書斎のお掃除をしていました。そのとき、机の上に一冊の豪華な本が置いてあるのに気づいて、何気なくページを繰ってみました。
ドキッ!
あたしは頭をガーンと打たれたような衝撃を受けました。そこに若い娘が縛られている色彩画を見たからです。
それは、谷崎潤一郎の『少年』という作品に挿入されていた鏑木清方の絵でした。廊下の手すりに後ろ手で縛られ、さるぐつわをされて裾を乱している娘の前に、花カゴが倒れている絵柄でした。
そこでまたあたしに夢想癖が出て、その娘の代わりに自分を置きかえていたのです。もう掃除どころでありません。胸はドキドキ、体は火照って震えていました。
その日から、父の目を盗んで何度その絵を眺めたことでしょう。そして、あたしにとって決定的な日が訪れたのです。
ある日、古本屋の店頭で見た一冊の雑誌が、あたしをまた、異端の世界に運んだのでした。『奇譚クラブ』という雑誌との遭遇なのです。そこに、縛られた女の写真が掲載されていたからです。
あたしは、ギュッと胸を締めつけられるような関心を覚え、体の奥から疼きが広がってきました。ことに、胸に縄を巻かれ、後ろ手を高々と上げられたポーズで、両足を横に投げだしているものに心ひかれました。あたしも、こんなふうに縛られてみたいな、とそのモデルの人がうらやましくさえ思いました。
あたしは両親に内緒で、その雑誌に読みふけりました。ほかにも『裏窓』とか『風俗奇譚』とかいう雑誌のあることも知り、あたしの興奮は高まる一方でした。
何年かたって結婚しました。でも、夫となった人は、ごく普通のごく平凡な人です。あたしの心のひだなど分かるはずありません。フラストレーションがたまって、あたしから言い出して離婚してしまったのです。幼いころから心の底に巣くっていた、あたしの性向は、やはり、普通の人には理解されなかったのです。ところが、あたしが、むかし愛読した雑誌がそろっているというので、ここ風俗資料館にやってきたわけです――。
その人は四十歳を少し過ぎた人でしたが、もの静かな婦人で、当風俗資料館所蔵の『奇譚クラブ』その他を懐かしそうに読んでいました。大阪から月に一回は上京してきている。
(高倉 一)
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出典:
マニア倶楽部6月号 通巻10号
昭和62年6月1日発行
三和出版株式会社→★
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高倉一(たかくら はじめ)
1914年(大正3年)8月21日-2004年(平成16年)9月29日
1949年「夫婦生活」誌の編集者として雑誌業界に入る。戦後3大SM誌のひとつ「風俗奇譚(文献資料刊行会)」、アングラ文芸誌「黒の手帖(檸檬社)」等、数々の雑誌の編集長を経て、1984年に風俗資料館を開館(初代館長として2004年まで就任)。
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註
当「風俗資料館だより」のテキストの著作権は高倉一(風俗資料館)に帰属します。また再録に際し三和出版の許可を得て掲載いたしております。テキスト・画像等を無断で複製・転載・配布することを禁止いたします。(ただし出典を明記していただいての「引用」は歓迎いたします。ご希望の方は事前に必ずご連絡ください)
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