濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二百十五回
圧巻!「日本女装史」
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友人のK氏から「日本女装史」という大型の立派な御本をいただいた。
「女装史」といっても、男が女装する趣味に関しての歴史ではない。
単純明快、率直に、むかしむかし、大和時代からの女性の髪型もふくめた服装史である。
上質のアート紙を使用し、専門的な解説文と重厚な写真で構成されている二百三十ページの豪華本である。
東京国立博物館々長の序文があり、値段はとくに記載されていない。あるいは特殊な会員のみに販布され、市販はされなかった本なのかもしれない。発行は全日本人形師範会とされている。
いただいたとき、すぐに重量感のあるページを両手でひろげ、私は思わず、
「お、これは時代物を書くときに便利だぞ」
声をあげた。
つまり、時代考証の資料として、じつにわかりやすく、ありがたい本である。
ちょうど時代小説を執筆中であった。もと武家の妻で、いまは水茶屋で働く女が髪にさす銀細工のかんざしの模様を考えていたところであり、さっそく参考にさせていただいた。
このもと武家の女房がさしていた特殊な銀のかんざしが、人殺しの現場近くの川の中に投げこまれていて、そこから下手人が割り出されるという重要な小道具なのだ。
というわけで、さっそく執筆中の時代小説に役立たせていただき、ありがたかったのだが、このとき、またべつに、ふと気づいたことがあった。
K氏は、時代小説の資料を提供する志をもって、この厚い貴重な専門書を、私にプレゼントしてくれたのだろうか。
いや、それだけではあるまい、という疑問であった。
私は改めてこの重量感に充ちた本の一ページ一ページに見入った。
上質アート紙のページを繰るごとに、すこしずつ私の五感に訴えるものがあり、やがてそれが悩ましく立体的に盛り上がってきた。
すると、ためらいもなく疑問は消え、私はうれしくなった。
この専門書に秘められた「裏の魅力」を、理解しようと思って理解したのではなく、ごくしぜんにわかったのだ。その魅力は、そこはかとなく匂い立ってきたのだ。
この「女装史」に登場しているモデル嬢は、二十人前後といったところだろうか。同一人が何役かをこなしている。それぞれに目鼻立ちが明確に、清潔に整っている若い女性ばかりである。
いまどきのテレビ映像、映画やグラビア雑誌などに多く見られるアイドルたち、いかにもモデルモデルしたお目々パッチリの現代的な鼻高美人ではない。
着ている衣装や髪型が日本それぞれの時代のものを忠実に(と思う)復元しているゆえに、モデルもそれに似合う純和風の面立ちをもつ女性ばかりなのである。
そういう、みるからに淑徳の香りを漂わせた女性たちが、日本古来の、あるときは格式のある衣装をきちんと身につけて、さりげなく立つ姿の写真群は、まさしく圧巻というより他はない。
回りくどい表現はやめてズバリといってしまえば、一種の官能味に溢れているのである。
肌の露出を極力おさえている衣服であるからこそ、隠されている女体を神秘的なまでに想像させて、限りなくエロティックなのである。
妄想するところに究極のエロティシズムがある、とはよく言われる言葉だが、日本の過去の衣服を、きちんと正式に身につけたこの女性たちのさりげない立ち姿の、なんと艶やかなことか、官能的なことか。
豪華絢爛といいたいところである。
目次を繰って一例をあげてみよう。
原色圖版つまりカラーページには、
大和時代 むかしの をのこ をうな
平安時代 差しあふぎ
桃山時代 唐輪髷の遊女
江戸時代前期 兵庫髷の遊女
江戸時代中期 輪帽子
江戸時代後期 島原の太夫
〃 単衣着た公家女中
〃 帷衣着た公家女中
モノクロ圖版ページには、
奈良時代 ならの大宮人
平安時代 物語での女房たち
江戸時代前期 遊女「打掛・前帯姿」
〃 少女「小袖・前帯姿」
江戸時代中期 上方遊女「打掛」姿
〃 江戸新婦「浴衣」姿
江戸時代後期 江戸良家處女「小袖」姿
〃 江戸新吉原遊女「打掛」姿
明治時代 東京下町少女「小袖」姿
〃 良家新婦「小袖」姿
大正時代 良家新婦「小袖」姿
こんな調子で延々とつづくので、あとは省略する。全部で百五圖になり、さらに京都の絵師西川祐信筆による「百人女郎品定」の中の髪型を、本書の編者吉川観方氏が模写した圖版が、前後の見返しに七十余点も掲載されていて、これも貴重な資料である。
私はこの「日本女装史」の重厚なページをめくりながら、ごくしぜんに、板津安彦氏の「与力・同心・十手捕縄」という御本を思い出していた。
その御本の中の「古式捕縄術」という二十七ページにわたる魅力的な項目を思い出していた。
「おしゃべり芝居」の第二回目から、五回にわたって私は延々と、この「古式捕縄術」のページを賛美しているのだ。
「古式捕縄術」には、六十枚のモノクロ写真が、解説文とともに掲載されている。
そのモノクロ緊縛写真のモデル女性は、すべて白い囚衣らしきものを着せられ、縛られている。
囚衣らしきものは、モデルの肌をたっぷりとおおっていて、ぶかぶかに大きく、つまり女体にフィットしないデザインである。柔道衣に似ているかもしれない。
そのぶかぶかの囚衣を着せられ、縄で縛られているモデルたち(ひと目でシロウトとわかる、つまり職業モデルではない、まだあどけない容貌の女の子)の、なんとエロティックなことか。
きわめて素朴であり、きわめて地味であり、そしてまたきわめてマニアックであるがゆえに最高に扇情的なそのモノクロ写真群に、私は感動し、興奮して、六年前、この「おしゃべり芝居」の冒頭に熱っぽく書いた。
「古式捕縄術」のすばらしさを夢中で書いたときの、その感動と同質の感動を、いまこの「日本女装史」を見ながら味わっている。
日本古来の布地による伝統の衣服でつつましく体を包み装った女性たちの官能味には、「縄」はなくとも、のっぴきならない共通性がある。
円地文子の「女面」だったか「女坂」だったか、の小説に、伝統の和服を好んで着る女の心理描写がある。
何本もの紐や帯に巻かれる日本の女の着物の正装については、これはこのままマゾヒズムにつながる感覚ではないか、という意味の文章に触れて、若き日の私(濡木)は感動した。
そうか、時代物の資料の提供と同時に、K氏は一般人には理解し難いこの感動を、私に伝えたかったのか、と、ようやく私はそこに思い至った。
「この本、やっとみつけました。先生に差し上げます」
と言ってK氏に手渡されたとき、すぐに気がつかなかったのは、私の感覚がにぶいせいであろう。私はK氏に謝らなければならない。
洗練された美意識によって構成され、伝えられてきた日本女性の衣服、着物。
その着物の内側に秘められた日本女性の肉体は、秘められ隠されているがゆえに外部からは容易に見ることはできない。
だが、妄想の才能を有する者には、彼女の内部に流れる血の色や呼吸する音を聴くことができる。
その鮮やかな血の色や肉のあたたかさの、なんと官能的なことか。
股をひろげたヌード写真では聴きとることのできない女体の悩ましい呼吸音が、着衣のこの写真からは、はっきりと感じることができるのだ。
妄想することは自由であり、最高に魅惑的だ。老いたる私のエロティシズムをも刺激し、興奮させてくれる。
この貴重な一冊を私にくださったK氏に、遅くなったが心からお礼を申し上げたい。
そしてまたこの「日本女装史」は、板津安彦氏の「与力・同心・十手捕縄」と一緒に、時機をみて風俗資料館へ預けようと思っている。
きちんと着物を着た女性の姿に、敬愛と情念を抱き、さらに官能味を感じとることのできる同好の方々に、ぜひページを繰っていただきたいと思う。
(つづく)
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