2013.6.15
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二百十四回

 速記講談から大衆小説へ


 ○○○○様。
「講談=講釈」に関する貴重な資料を、五ページにわたってプリントアウトの上、お送り賜わり、ありがたく御礼申しあげます。
 私が知らなかった綿密で重厚な活字資料の数々、いや、おどろきました。
「講談」に関して、いっぱしのことをしゃべったり書いたり(ときには厚顔にも高座へ上がって演じてきたり)しておきながら、関連出版物に関してはほとんど無知であった自分を知り、穴があったら入りたい(古い!)気持ちです。
 自分は研究者でもなんでもなく、単なる野次馬的な一人の講談ファンにすぎなかったことを思い知らされました。
 それにしても、ご紹介の中の新島広一郎という方の「講談博物志」というご労作、その実物を拝見せぬうちから、内容の深甚さ、範囲の広大なことに仰天いたしました。
 新島広一郎氏の努力と執心の凄さと同時に、明治から大正、昭和の戦前期から戦後にかけて、こんなにも多くの出版社(たとえ“赤本”と呼ばれる出版社にしても約百五十社)が大量の「講談全集」を出していたのか、という驚きです。
 耳から聞く娯楽、としてではなく、あきらかに読んで楽しむための、活字による「講談」が、こんなにも世間にひろがっていて「商売」になっていたのか。
 活字文化がようやく普及しはじめた明治期に、これほど講談物が支持されていたのか、という驚きです。
 人情の機微や、喜怒哀楽を盛り込んだ波乱万丈の物語が、庶民大衆に受け入れられたのでしょうか。
 私自身の手もとにも、この数年のうちに古書店から購入した昭和戦前期発行の「講談全集」が、円本時代のものも混ぜて数冊あります。
 さすがに大川屋書店刊のような古いものではなく「大日本雄辯會講談社」版の本ばかりですが、それでも私が生まれる以前に出版されたものばかりです。
 いま改めて奥付をみて、おや、と思ったのは、発売元の「大日本雄辯會講談社」が、このとき、本郷區駒込坂下四十八番地にあったことです。
 ここは、いま私が住んでいるところのすぐ近くで、私がいつもふらふら歩き回っている町なのです。なにかの縁を感じてしまいました。
 画家の伊藤晴雨もここに住んでいて、亡くなったときに美濃村晃が駆けつけ、師と思う晴雨の死顔をスケッチしたのも、同じ駒込坂下町の家なのです。
 ま、それはともかく、三、四年前に私が七百円で古書店で買った講談社発行の千二百ページもある分厚い円本の講談全集第十巻の内容はといえば、長篇の「関取千両幟」「元和三勇士」「笹川繁蔵」「肥後と駒下駄」の四篇。
 そして短編が「呑竜上人」「出世證文」「坂本竜馬」「江戸ッ児気質」と、四篇掲載されています
 最後の「江戸ッ児気質」は、のちには歌舞伎にもなった「人情噺・文七元結」の原型といってもいいようなストーリーです。
 講談から劇化して、歌舞伎の舞台で演じられる演目は、たとえば「幡随院長兵衛」など数えきれないほど多いのですが、歌舞伎よりもさらに講談と深いつながりを持つのは、いわゆる「大衆演劇」だと私は思います。
 私が子どものころに見た旅芝居一座の内容は、ほとんどといっていい位、講釈ダネでした。
 講談は釈場=寄席で、一人で演じる芸ですが、私などが好んで見る旅芝居は、数人の男女の役者が、それらしい扮装で舞台で動きまわる「立体講談」でした。
 その後時代が下ってくると、長谷川伸、「新国劇」に代表される任侠やくざ物が登場してきて、それに「新派」の名作が加わり、現在までつづくことになりますけど……。
(つい先日も浅草の木馬館で「明日のお芝居は照師版・鶴八鶴次郎」という予告のビラを見ました)
 ……この世界の話になりますと、私の場合、とめどがなくなってしまうので、もうやめます。あとはべつの機会に書かせていただきます。
 先日、神田の論創社でお会いした際に申し上げましたように、私が子どものころ、とくに影響をうけましたのは、長田幹彦、久保田万太郎、谷崎潤一郎などでしたが、川口松太郎が書いて「新派」の花柳章太郎と水谷八重子(先代)が演じた「鶴八鶴次郎」の情緒纏綿たる世界には魂を痺れさせました。十五、六歳のころから八十三歳の今日まで痺れっぱなしです。
 旅芝居に移入された(というより実質的には無断上映つまり「盗演」なのですけれど)多くの「川口・新派」の名狂言のあれこれになると、また、とめどがなくなるので、この話はもうやめます。
 川口松太郎の自伝小説ともいうべき「飯と汁」「破れかぶれ」など、「信吉物」と呼ばれる長篇なども愛読書の一つで、何度もくり返して読みました。若き日の私の魂を慰めてくれた小説群です。
 先日、黒田明氏から、論創社版の川口松太郎「人情馬鹿物語」の正・続の二冊を送っていただいたときには、ありがたくて涙のこぼれる思いでした。
 ひさしぶりに松太郎節に出会い、歯切れのいい下町人間らしいリズム感のある世話講談の名手を思わせる文章に酔いました。
 その「人情馬鹿物語」の冒頭に「速記講談」から大衆小説が誕生するいきさつが、ずばりと簡潔に書かれており、私自身の勉強のために、改めて抜き書きしてみます。
「……円玉は本名を浪上義三郎といって松林伯円門下の講釈師であった。」
「松林伯円は小猿七之助や鼠小僧などの講談を作った名人で、単なる芸人ではなく、立派な創作家だった。伯円が現代に生きていたら、大衆作家としても我れ我れなど足元にも及べなかったであろう。河竹黙阿弥が伯円の創作講談を脚色上演した芝居は残らず当りを取って、現在でも歌舞伎はその恩恵をこうむっている。原作の尊重されなかった時代だから伯円の名はうずもれて、黙阿弥の名声のみ残ってしまったが、明石の島蔵と松島千太の島千鳥も、鼠小僧の春の新形も、みんな伯円の原作で、黙阿弥は脚色者に過ぎなかったのだ。」
「円玉はその伯円の弟子で、初めは松林円玉といったが、後年には自ら悟道軒と称し、体が弱いので芸人をやめ、速記術を覚えて、その頃の新聞雑誌に講談速記の連載を試み非常な大当りを得、大衆小説発達の貴重な温床となった。」
「……大正中期までの夕刊連載といえば講談速記に決っていて娯楽雑誌の大半は講談速記でうずまったものだ。残念な事には伯円ほどの創作力を持たない為め、何年かつづけていると種がつきて同じ材料の繰り返しになる。其処で、雑誌も新聞も新作講談を思いついて、三流作家に新講談を書かせた。その中から初期の大衆小説を形成する作家と作品が生れて、現代の繁栄に至ったのだ。いい変えると円玉は大衆小説の結果的な恩人だった。」

 このたびお教えいただいた新島広一郎という方の「講談博物志」には、このあたりの速記講談(あるいは創作講談なども)とその出版に関しての事情が、さらにことこまかく記載されているように思われます。興味しんしんというところです。
 子どものころに読んだ長田幹彦の小説「零落」「扇昇の話」などの旅役者物が、その後の私につよい影響を与えたことをご存知の黒田明氏が、その後、またまためずらしい資料を送ってくれました。
 それは大正十四年五月五日に発行された東京日日新聞の付録で「講談と落語」という一冊の中のコピーです。
 そこには長田幹彦の筆による「旅僧雲海」と題した、まさしく「新作講談」が掲載されているのです。
 目次をみますと、この一冊の中には従来の古い講談が三題、落語も三席、その他與謝野晶子の和歌など魅力的な作品が掲載されていますが、その巻頭を飾っているのが「創作」とされている講談調の、美男の悪僧が暗躍して美女を誘拐するという時代物語です。
「人情馬鹿物語」に登場する悟道軒円玉の「速記講談から大衆小説への移行」を思わせる内容です。
 読者へのサービスのために速記した旧来の講談と新作の講談を新聞に掲載するという具体例を、この大正十四年の東京日日新聞ではっきりと見ました。
 そういえば戦前の私の家には、父が愛読していた「演芸画報」その他の歌舞伎を主とする演劇雑誌が、古い号からそろえられていて、そこには講談、落語がかならず毎号掲載されていました。
 戦争中で他に本がないせいもあって、私は小学生のころから落語、講談、そして歌舞伎を、活字で親しんでいたということになります。
 新島広一郎氏の「講談博物志」は速記されて読物として完成された講談をまとめて出版していたおびただしい数の東西の出版社について、こまかく収集され調べられたと思われますが、当方にもお一人、講談の史資料を数多く収集され、研究されておられる方がおられます。
 インターネットであらゆる情報が魔法のように飛び交う時代(私はIT関係には全く無縁ですが)たぶんご存知のことと思いますが、埼玉県にご在住の吉沢英明と申される方です。
 この方は一篇一篇の講談に登場するおびただしい人物たちの名前、氏素性、かんたんなストーリー、さらにはそれを演じた時代時代の講釈師の名前まで調べ、事典にまとめて作成するという驚嘆すべき偉業をなしとげておられます。
 ページを一カ所ひらいただけで、講談の奥深い魅力を理解し、熱愛追究する研究家の情念が、すさまじいほどの迫力で湧き上がってきます。豪華絢爛にして、緻密な神経がすみずみにまでゆきとどいた立派な御本です。
 すでに数冊を私家版として刊行されており現役の講談師の間にも知られている方なのでご存知とは思いますが、あるいはと思い、申し上げました。
 氏の「講談作品事典」(上中下)や「講談明治期速記本集覧」あるいは「二代松林伯園年譜稿」について、私が文章を書くときに、いかにありがたく利用させていただいているか、具体的に所感をのべたいところですが、これもとめどがありませんので今回はもうやめます。
 いま玄関のドアが叩かれ、論創社からの宅配便が届けられました。分厚い包みをあけてみますと、先日お世話になったあのインタビューのときのテープのデータがコピーされ、はいっているようです。あのときもまた、とりとめのないことばかりをしゃべってしまったようで、なんだか自信がなく不安ですが、いまさらどうすることもできず、ドキドキしながらこれから目を通してみます。中途半端な礼状になりました。ご無礼お許しください。

つづく

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