濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二回
古式捕縄術の楽しい実験
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昭和28年(1953年)12月号の「奇譚クラブ」に掲載された、私の二本目の小説「春風座秋の旅路」(青山三枝吉の筆名で書く)について、その裏側の事情をすこし書こうと思い、当時(1950年代)の浅草の軽演劇やショーの資料を探すために、ベッドの頭のほうに据えてある本棚の後ろ側に、約50冊ずつ、5列につみかさねてある本や雑誌の山に手をかけると、その山が、
ズルズルズル……ドドドドドッ……
と、音たてて崩壊してきた。
やった!
と叫び、しばし呆然とすわりこむ。本は散乱して、手がつけられない。
やがて勇気をふるいおこし、すこしずつ片付けはじめる。崩壊したのは、べつに地震のせいではない。乱雑に積みかさねてあるために、不安定だっただけである。自業自得というやつである。
下積みの中の、埃だらけになっているハードカバーの一冊をみつけた。そのとき、私、思わず、
ギャッ、あった!
と叫びましたね。ギャッ、ギャッ、ギャッ、ここにあったのか!
ふつう、80歳にもなれば、うず高く積んだ本がくずれて、下のほうから探していた一冊が出てきたくらいで、ギャッ、ギャッ、ギャッとは叫ばないだろうが、私は叫ぶのだ。私は自由なのだ。
なぜ歓喜の叫び声をあげたかというと、その一冊は、私が以前から、切実に探していた本だからである。
そうか、演芸関係の古い資料の中にもぐりこんでいたのか。道理で、いままでみつからなかったはずだ。
新人物往来社発行の「与力・同心・十手捕縄」板津安彦・著というのが、くずれ倒れた雑誌、書籍群の下から、埃まみれになって出現した一冊です。
発行は、1992年となっていますから、いまから約15年前の本です。中身は、時代考証めいたエッセイ集で、タイトルで想像できるような江戸時代の解説文だけでなく、たとえば「忍者夜話」「私説・風林火山」「現在に残る南北朝」などという項目もある。
367ページある中で、「古流捕縄術」という項目の27ページだけが、私のだいじなだいじなコレクションである。いってみれば、私の宝物みたいなページである。
この項目には、特写されたと思われる写真が、60枚も掲載されています。この60枚の写真が、私にとっては、おそろしく刺激的なのです。
著者の板津安彦氏は慶応大学医学部卒業の医学博士であります。お医者さんであります。
板津先生、すみません。私は以前、「ぬれきしんぶん」の中に、先生のこの御本の「古流捕縄術」のページを、「紹介」という形で、すこしだけですけど、無断で掲載させていただきました。
「ぬれきしんぶん」というのは、ホンのわずかしか発行されていない、私家版みたいなしろものです。
手書きの原稿をコピーして、ホチキスで留めただけの、かんたんな形のものです。ですから、まあ、無断でも、ゆるしていただけるだろうと思っていたのですが、昨今のようにパソコンだとか、ホームページとか、ネットとかが、こんなにも普及してしまっては、もう無断というわけにはいきません。
いま私のマネージャーみたいになっていただいているIT機器にくわしいRさんに探してもらって、板津先生のみもとに、おゆるしをいただきに参上いたします。Rさんについては、私の「プロフィル」のところを、どうかお読みください。
それにしても、この本、よく出てきてくれた。
本来ならば、この本、私の仕事部屋の、SM関係の資料本のコーナーに入れておかなければいけなかったのである。
「与力・同心・十手捕縄」という本のタイトルなので、私は江戸時代の資料。考証本のコーナーにうっかり入れてしまったという思い込みをしていた。そのために、そこばっかりを何度もくり返して探していたのだ。
だが、みつからない。だいたいわたしは、書物に限らず、整理整頓することが、へたである。きらいである。面倒くさい。
だから、はじめは一応種類べつに本棚の中におさめていた書物も、いつのまにか、ゴチャゴチャになっている。
SM関係のたいせつな本でも、浅草の古い芸能資料の一群の中に、まぎれこんでいたりする。思いもよらぬ書物崩壊のおかげで、それが、ふいにみつかった。
私はさっそく、落花(らっか)さんという女性のところへ、このことを報告しようと思う。
そうなのである。私がこの本を探していたのは、じつは、落花さんのためなのである。落花さんが、ぜひ読みたい、と言っているのだ。
落花さんは、いま私が、いちばん仲良くしている女性です。いや、仲良くしていただいている、といったほうが正確です。
私のことを、なんでも容認してくれる、若く美しい、ありがたい女性であります。
(この女性に関しては、S&Mスナイパー誌にこのところ連載の形で、こまかく書いてあります)
私は、板津先生が書かれたこの本を持って、落花さんと一緒に、二人だけの密室にとじこもり、そこで「古流捕縄術」をたっぷり実験しようと思っているのだ。
本に掲載されている60点のモノクロ写真は、一人の若い、可憐な、まことに初々しい女性が、モデルとなって、囚衣の上から縄で縛られているものである。その姿がまことにいじらしく、痛々しい。
写真に添えて説明されている「古流」の縄の掛け方の名称を、ここに列記してみることにする。
十文字縄……雑人に掛ける縄
上縄(かみなわ)……雑人に掛ける縄
割菱縄……雑人・旅押国渡に用う
違菱縄……雑人に掛ける縄
下廻縄(げかいなわ)……剛力者に掛ける縄
返し縄……出家に掛ける縄
鷹の羽返し縄……出家に掛ける縄
注連縄(しめなわ)……社人に掛ける縄
笈摺縄(おいずりなわ)……山伏に掛ける縄
羽付縄……対決等の場合、小手を留めない
乳掛縄(ちかけなわ)……婦女に掛ける縄
足固縄……船中に、また剛力者にも用いる
二重菱縄……士分の者に掛ける縄
留り縄(とまりなわ)……縄抜けの巧みな者に掛ける縄
切縄……首を斬る時に用いる縄
介縄(たすけなわ)……囚人の受渡し追放放免に用いる
高須流・女縄(前)。高須流・女縄(後)。
高須流・社人縄(前)。高須流・社人縄(後)。高須流・悪僧縄。高須流・無番縄。高須流・五筒縄(前)。高須流・五筒縄(後)。諸賞流・籠縄(前)。諸賞流・籠縄(後)。諸賞流・筒縄(前)。諸賞流・筒縄(後)。諸賞流・鰭縄(前)。諸賞流・鰭縄(後)。
ああ、くたびれた。
書き写すのも、ラクではない。ここまでで半分である。つまり30種類である。
「古式捕縄術」の写真に添えられているこの名称は、あと30種類あるが、それは次回に紹介することにする。
(じつは、私のこの文章は、原稿紙に、手書きで書いているのです。それをRさんがパソコンで打ってくれて、みなさんの目に触れるようにしてくれているのです。Rさん、ありがとう。書くのがたいへんなのだから、打つのもたいへんでしょう。ありがとう。感謝します)
お医者さんの板津先生が、若い可愛い女の子をモデルにして、こういう写真を撮るということが、私に言わせれば、じつに芝居掛かった楽しい行為なのです。演劇的なのです。この芝居心があるからこそ、SM遊戯は快楽的なのです。次回は、そのことに触れて書いてみます。
(つづく)
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