濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第三回
すごい写真なんです
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板津安彦先生がお書きになった御本「与力・同心・十手捕縄」の中の「古流捕縄術」の項に出てくる、縄の掛け方の名称を、前回にひきつづいて、今回も書き写します。
総ページ370ページにおよぶ御本の中で、27ページを占めている「古流捕縄術」には、実際のその形が、60種類、写真つきで紹介されています。(モデルは白衣を着ています)
この写真は、すべて板津先生ご自身が、撮影されたものと思われます。前半の30種類までの名称を、すでに書き写しました。今回はそのつづきの30種を、同じく名称だけを書き写します。
むかしのこの種の縛り方の名称を、その文字を見るだけでも、空想、妄想がさまざまに湧き、ひろがって楽しい、という緊縛マニアの方を、私はたくさん知っています。
名称や、文字に接するだけで、イメージが無限にひろがる、というマニアの気持ち、私にもよくわかります。それが、マニア心、マニア魂というものです。
マニア魂を持たない、きれいなだけのカラーの緊縛写真を、何百枚、何千枚見せられるよりも、一行、一言半句の文字のほうが、マニアのイメージは、ゆたかに、自由に、果てしなく、自分の好きなように、楽しくひろがる場合があります。
この真実を、どうかSM雑誌の編集に関わる人たちは知っていただきたい。マニア読者には、マニア魂があるということを、どうかわかっていただきたい。
ああ、また、よけいなことを書いてしまった。私はどうも、おしゃべりでいけない。
でも、タイトルが「おしゃべり芝居」なんだから、これでもいいか。
さて「古流捕縄術」、後半の30種、名称だけ。
笹井流・惣縛。笹井流・大用縛。笹井流・攤縛(濡木注・これはなんて読むんだろう、むずかしい字だなあ。Rさん、ひまなときに調べておいてください。手偏に「難しい」だから、意味はなんとなくわかるのだけど)。
笹井流・縮縄。一達流・二重菱。一達流・角違。一達流・真亀甲。一達流・真蜻蛉。
一伝流・阿弥陀之胸割(前)。一伝流・阿弥陀之胸割(後)。
東流・町人の縄。東流・百姓の縄。東流・女の縄。東流・神主の縄。東流・山伏の縄。東流・坊主の縄。東流・虚無僧の縄。東流・侍の縄。
縄之伝極意・くまさか縄(前)。縄之伝極意・くまさか縄(後)。
縄之伝極意・かいとり縄(前)。縄之伝極意・かいとり縄(後)。
縄之伝極意・火付け縄(前)。縄之伝極意・火付け縄(後)――濡木注。「火付け縄」とあるけれど、この女囚は、この形に縛られたままで、火あぶりの刑に処せられたのではないでしょう。これはきっと、放火の罪を犯した女性に対する縛り方なのでしょう。女囚の胸のところに、一見無駄ともみえる飾りみたいな縄が、モヤモヤッと結んであるのは、あるいは「炎」のつもりなんでしょうか。変だなあ。遊びごころがありすぎるなあ。変だけど、おもしろいなあ)。
八重垣流・天ノ壱縄カケ。八重垣流・サシ縄カケ。
大正流・桔梗縄。大正流・小姓縄。大正流・僧縄。大正流・亀甲。
以上です。これにモノクロの写真が、60点ついています。
1ページに4枚ずつ掲載されているので、サイズとしては、そう大きくはない。ふつうの名刺よりも小さい。
しかし、この写真が、すごいんです。
感じさせるんです。
濡木痴夢男を、コーフンさせるんです。
すごいといっても、オッパイが出ているわけではない。
股間があらわになっているわけでもない。
前にいったように、モデル女性は囚衣に似せたと思われる、白い着物をきせられています。これがまた、サイズが大きく、妙にぶかぶかした感じです。したがって、肌の露出部分は、きわめてすくない。
ことさら強烈で、残酷な縄が掛かっているわけでもない。むしろ縄はゆるゆるで、だらしがない位に、緊張感の乏しい縛りです。もともと強い拘束力とか残酷さを表現することを目的としていない緊縛写真なのですから、縄がゆるゆるなのは、仕方ありません。
一本一本、ひと筋ひと筋の縄の掛け方、その形式の表現に気を使い、神経をそそいていることがわかる写真です。だいたい「緊縛写真」などといってはいけないのです。「古式捕縄術」の縄の掛け方を、「資料」として後世にのこすための写真です。
そういう、いってみれば「まじめな」縛り方ばかりの写真なのに、どうして私をこんなに欲情させるのでしょうか。
それは、板津先生が、縄に愛情と熱意をもって、一生けんめい、女の子を縛っているからです。つぶらな目をした、可愛らしいお嬢さんです。なによりも新鮮で、初々しい雰囲気があります。
彼女に縄をかけているときの、先生の表情や、お姿が、私の目に、みえてきます。
お嬢さんのほうは、なぜ医学博士の先生が、こんなにも熱心に、情熱をこめて自分の体を縛るのか、その心理状態がよくわからないままに、あるときは不安な顔で、あるときは、かすかなためらいとおびえを見せ、あるときは、呆然とした表情で、縛られています。
その表情がたまらなくいい。
演技というものを、ひとかけらも感じさせない、生地のままの、言わせていただければ「被虐」の表情です。
かんたんな日本髪を結い、櫛やかんざしをさし、結綿(ゆいわた)まで付けた写真もあり、このときは白衣ではなく、あきらかに色のついた着物です。帯もきちんとしめています。
ということは、この「捕縄術」は、いく日も、いく日も、日数をかけて「撮影」されたということです。髪型を変え、衣裳を変えて……。
(ああ、なんというぜいたくな、快楽的な撮影!)
くり返しますが、板津先生はお医者さんです。御本の最後に掲載されている経歴を拝見させていただきますと、昭和12年、東京都生まれ、昭和38年より慶応大学内科に勤務、昭和46年より東京都目黒区に開業、とあります。そして、この原稿の初出は、日本医事新報、目黒医師会報に連載したもの、とある。
「古式捕縄術」のモデルを、何日間にもわたってつとめた、この、いじらしいまでに初々しい新鮮な女の子は、もしかしたら、大学の医学部で勉強している学生かもしれないし、若さから想像して、病院の見習い看護婦さんかもしれません。
とにかく、そういう「関係」を想像したくなります。(ちょっと類型的かな)
そういう関係に設定し、空想をふくらませ、さらに妄想へと飛躍させていったほうが、私のSM的快楽は大きいのです。
恩義のある偉い先生からたのまれ、あるいはくどかれ、断ることができないままに、彼女は日常的な生活や感覚から、突拍子もなく離れた、いわば異次元の、こういう「古式捕縄術」のモデルになってしまったのです。
若くて、素直で、従順な性格の女の子に、衣裳を着せ、二人だけの密室(おそらくこの写真を撮ったカメラマンも、先生が演じられたにちがいありません)に閉じこもって、何日間も、何十時間も味わったこの快楽……。
他人に説明しても、理解してもらえそうにない至福の空間と時間、秘密の愉悦……。
私はいま、うっかり、カメラマンも先生が演じた、といってしまいましたが、そうなんです、これは見方によっては、二人だけのお芝居にちがいないのです。
女の子はさまざまな罪を背負った「囚人」に扮し、先生はその囚人を縄で縛り、取り調べる「お役人」に扮し、そして、カメラマンの役も演じておられるのです。
客席のない劇場で演じられた、二人だけの充実した濃厚なお芝居……。
この場に客席はありませんが、やがて多くの観客に、この「お芝居」を観てもらうことになります。
そうです、その観客とは、この御本「与力・同心・十手捕縄」の読者です。もちろん私もその観客の一人です。だれよりも熱心に、二人の俳優さんの「心」を愛する観客です。
ああ、それにしても、いま私の手もとにある、この60枚の写真のうち、せめて、2枚でも、3枚でも、この私の文章を読んでくださっている方たちにお見せしたい。
しかし、それはできません。写真にも、著作権というものがあります。お撮りになられた先生の許可をいただかないと、安易に転載することはできないのです。
でも、私は……濡木痴夢男は……いつか、この板津先生のお写真をもとに、新しく、私がぎっちりと縄をかけて、「古式捕縄術」を再現しようと思っています。
いま、その女性モデルを募集しています。
私には、落花さんという親友がおりまして、どんな私の縛りにも応じてくれます。
でも、この女性はとても恥ずかしがり屋さんで、そして、縛られるときの快感が強すぎて、写真の被写体にはなれない人なのです。
私が縛ったとたんに、立っても座っていることもできず、半分失神状態になって倒れてしまうのです。
(ウソだとお思いでしょうが、ホントなんです)
ですから、写真が撮れません。
私が縛っても、失神しないで、きちんと正面をむいて、モデルとして撮影に応じてくれる人をのぞみます。
こういう場所に、こういうことを書くと、女性がたくさん応募してきて、収拾つかなくなるとお思いですか?
そんなことはありません。おそらく、なんの反応もありません。これは断言してもいいです。50年もこういう仕事をつづけてきているので、私にはよくわかるのです。
ですから、私のマネージャーのRさん、あなたの仕事は増えませんから、安心してください。第一、私がそんなに、モテるはずはないではありませんか。
それがわかっているのに、こんな募集の文章を書くのは、そのことを確認するためです。この「古式捕縄術」の話は、まだまだつづきます。いままでが「序章」で、これから本題に入ります。おもしろくなります。
ああ、それから、私が以前つくった「ぬれきしんぶん」を、まとめて綴じたものが、飯田橋の「風俗資料館」の中に、置かせていただいてあります。
もんだいの「すごい写真」も、すこしだけ紹介されています。ただし、コピーなので不鮮明です。その不鮮明のところが、かえって刺激的かな?
(つづく)
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