2007.08.17
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第四回

 ぜいたくな縄模様


 これからさき、私の書くことは、すべて空想であり、妄想であります。改めて告白するまでもなく、私はあまり品のよろしくない「妄想快楽人間」であります。
 ですから、板津先生、どうか、お腹を立てないでください。怒らないでください。おねがいします。
 先生にくらべると(くらべることが、そもそも間違いなのですが)私はまったく、しがない、とるにたらない、市井の片隅に、ゴキブリのようにうごめく人間です。
 SM雑誌とか、SM映像の制作現場に、女体緊縛係として雇われ、日銭(ひぜに)をかせいで、その日ぐらしをしている男です。
 先生は地位も名誉もあり、社会的に尊敬されている医学博士です。どうか、これから私のいうことを、まともに受けとめないでください。笑っておゆるしくださいますように。

 オッパイも出さない、股間もみせない、そして縄もゆるゆるの、先生のおつくりになられた「古式捕縄術」の写真に、私はどうしてこんなに、濃密なエロティシズムを感じてしまうのでしょうか。と、今回はいきなり本題に入ります。
 なぜこの60枚の写真が、私にとって刺激的かというと、それは、囚人になっている女の子のほうは、もちろん「羞恥心いっぱい」の心になっているのに決まっているけれど(プロのモデルさんでないことは、この女の子の表情をみればすぐにわかります。生まれて初めて縄で縛られ、それを写真に撮られている彼女の、ナマの、つまり地のままの表情が出ています)縛っている先生の縄にも、羞恥心がみえているからです。
 本当にもう、ほほ笑ましくなるくらいの、先生の羞恥心です。
 先生が縄をにぎって、彼女を縛りあげていくときにいう言葉を、芝居のセリフのように私が書いてみましょう。
 (私は実際に、芝居の台本も書いていました。その台本を自分で演出することもありました。アマチュア演劇ではなく、新宿、渋谷、池袋など繁華街の劇場で、お金をとって見せる芝居です。ですから、こういうシーンは、芝居のセリフで書いたほうが書きやすいし、私自身の気分もでます)
 先生のほうが緊張して、声なんかもすこしふるえています。

「あのね、痛くないからね、大丈夫だよ、ほんとに縛るわけじゃないんだ。ただ形だけ見せればいいんだ。これはとても大切な、歴史的な価値のある資料として、後世にのこる縛り方なんだから、そんなに緊張しなくていいよ。体の力をぬいて……楽な気持ちで……ね、ホラ、痛くないだろう?ぜんぜん痛くないだろう?……ほんとに縛るわけじゃないんだからね、ただそれらしく見せるだけなんだ、縛り方をわかりやすく説明するための縄なんだからね……」

 と、こんな調子です。
 いいながら先生の胸は、もうドキドキです。だって、こんな可愛らしい清純な子を、やっとの思いでくどきおとして、二人だけの密室に入って、縛ることができるんですから。
 先生にとって、こんなうれしいことはありません。心は有頂天です。
 でも、それをあからさまに、表情に出すことは出来ません。
 (いまうれしそうな顔をしたら、きっと下品ないやらしい中年男の顔になって、この子に気持ちわるい思いをさせ、警戒させてしまう。ここは心をひきしめて、せいいっぱい、まじめな顔でいこう……)
 と、先生はさらにまじめそうな顔をつくって、

「ふん、ふん、なるほど。この縄は、こういうふうに、手首から腕の上に巻きつけ、胸にまわしていくのか。なるほど、むずかしいなあ。罪を犯した人間に対してまで、こんなにていねいに、複雑で面倒な模様の縄を掛けるなんて、むかしの人の美意識はすごいものだ。心に余裕があったんだろうなあ。いまみたいに、手首だけを、金属の手錠でガチャリ、なんていうのは、機能的すぎて、あまりにも情緒がないものなあ……」

 いいながら、ややおぼつかない手つきで、そばに置いた古い「秘伝書」のようなものを眺めながら、ゆっくりと、ていねいに縄を掛けていきます。
 そうです、そうなんです、古い「秘伝書」。
 そういうものが、本当にあれば、私は見たい。切実に見たい。
 内容が内容だけに、その「秘伝書」は、おそらく、文字よりも、絵のほうが多いにちがいありません。絵で、縄の手順から部分の形、完成図までを示しているにちがいありません。
 その絵が、たとえ稚拙であっても、難解であっても、半分消えかかっていても、私は見たい。
 そして(ここは小さい声でいうけど)私がその古い絵を見ながら、モデルを使って、実験してみたい。
 先生が撮られた写真ではなく、その元の絵をみながら、「古流」といわれる縛り方に触れてみたい。
 しかし、先生はそういう貴重な絵を、この御本の中で、具体的には、すこしも説明されていないのです。なぜでしょうか。
 その古い「秘伝書」の絵がなければ、先生は彼女に縄を掛けることができないはずなのですから、存在する事実は確かなのでしょう。このことに関しては、しかし、いまは触れないでおきます。
 いまは、縛られていく彼女の気持ちと、彼女に縄を掛けていく先生の心理状態のほうに興味をもつことにします。

「この高須流・悪僧縄というのは、とくにゴチャゴチャ、縄がたくさん掛かっていてむずかしいなあ。どこがどうなっているんだか、ちょっと見ただけではわからない。悪僧縄と名付けたからには、悪いことをした坊主に掛けるための縄なんだろうけど、そんな罪人に、どうしてこんな複雑な、手の込んだ模様の縛り方をする必要があるのかなあ。あ、ここのところは、もう一度背中から腋の下に縄をくぐらせて胸の前を巻いていくのか。むずかしいなあ。……あ、ごめんよ。さわってしまった。でも、わざとさわったわけではないから、ゆるしておくれ」

 さわったというのは、縛っていくうちに、彼女の胸のふくらみに、ついさわってしまった、という意味であります。
 実際にこういうセリフを言われたかどうかはわかりません。こういうふうに勝手に想像してしまうのが、私の性格の下品なところです。つまり、私の「妄想快楽」の一つであります。お気にさわったら、おゆるしください。
 でも、やっぱり、実際には彼女のオッパイに(もちろん着物の上からですけど)さわることになるだろうなあ。さわりたくなくても、縄をかけながら、つい触れてしまうのです。仕方のないことなのです。遠慮して気を使っていては縛れないのです。プロの縛り係の私がいうのですから、まちがいありません。
 この「悪僧縄」に限らず、60枚の写真に示されている縛り方は、すべて途方もなく手の込んだ、たてよこ斜めに入り組んだ複雑な縄が掛かっています。
 手足の拘束には無関係な、無駄とも思える縄模様を眺めていると、思わず笑いたくなるほどです。
 ということは、使用している縄の量も多いということです。あるいは、使っている一本の縄が、やたらに長いとも思われます。いかにも縛りにくそうな感じがあります。
 私、つまり濡木痴夢男といたしましては、7メートルの縄を半分に、つまり、3メートル半の長さにした1本の縄で、後ろ手高手小手に、つまり女性の手首を肩近くまで高く上げて交差させ、胸にひとすじまわして、きりりと縛る形が、最高に刺激的で美しく、興奮します。
 しかし、この「古式」では、やたらに縄が多い。ぜいたくと言えば、ぜいたく。「趣味」といえば、趣味にちがいありません。
 写真を眺めていると、私のような縄マニアには、この上なくぜいたくな趣味のように思えてきます。
 (もしかすると、これは先生の好みなのかもしれない。つまり先生は、縄を多く使うほうが好きなのだ。だから古式の中でも、縄の多い複雑な縛りを選んで「実験」し、こういう新しい資料写真をつくったのだ)
 と私は思ったりしました。
 私が一本の縄で女体を後ろ手高手小手に縛る時間は、せいぜい20秒ほどですが、先生のこのお写真、たとえば「一達流・真亀甲」などを拝見すると、一本の長い縄で、30分以上かかりそうな気がします。
 つまり、30分間、女体に触れていられるわけです。
 (なんというはしたない表現、先生、ごめんなさい)
 私にしても、長い縄を一本渡されて、
 「この写真の『東流・虚無僧の縄』を、このとおりに縛ってみろ」
 と命じられたら、ああだ、こうだと試行錯誤しながら、やはり30分位はかかるかもしれません。
 (よし、やっぱりこんど落花さんにお願いして、この古式捕縄術をためしてみよう。うまく縛れても、写真に撮らせてもらえないのはわかっているから、せめて私の目の中に、しっかり灼きつけておこう……)
 彼女は写真はNGなので、せめて私のこのHPの中で、文章によってその状況をご報告いたしましょう。

つづく

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