2007.08.29
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第七回

 ああ、恥ずかしい!


 落花さんはJR埼京線の沿線に住居をもち、同じく埼京線の某駅の近くにあるビルの8階にオフィスをかまえているデザイナーである。
 落花さん自身がボスの位置にいて、あとは五、六人の女性スタッフたちと協力して仕事をしている。
 この地方の市や町や商店街などのいわゆるタウン誌を数種類編集し、発行している。主な収入源はそれらのタウン誌らしいが、ほかにもパンフレットとか、ポスターの製作などの仕事がいろいろあるらしい。
 これ以上説明すると、彼女のオフィスの存在とその場所がわかってしまうので、もうやめておく。彼女に迷惑がかからないように、極力注意しなければならない。これは、暗黙のうちのルールである。
 世間一般の常識的な快楽よりも、いっそう甘美で味わい深い、背徳のにおいの濃いものだけに、これを永続させるためには、それなりの神経を使う。
 彼女のオフィスは、土曜日と日曜日が休業という事になっている。しかし、ボスである彼女だけは出勤して、一人でこつこつ何かの用をたしていることがある。そういう日にしめし合わせて、私たちはだれもいないオフィスの中で、ひっそりと会ったりする。
 私は彼女をモデルにして、板津先生の「百姓縄」を実験してみようと思って、この日もオフィスで会ったのだが、結局、できなかった。
 理由は、そこからラブホへ行く前に(オフィスから歩いて10分の距離の荒川沿いに、私たち「ご愛用」のラブホがあるのだ)その、だれもいないオフィスの中で、ある「特殊」な、DVDをみてしまったせいである。そのDVDの内容については、機会をみて、あとでのべよう。
 とにかく、みていて、心がはずむものではなかった。まったく逆であった。
 「こういう映像をみて、元気が出て、生きる勇気とか希望がわいてくる人がいるんだろうか。いや、いるんだろうなあ、きっと。おれにはわからないけど」
 「う、う、う、うううううーん……」
 と、落花さんは否定とも肯定ともつかないうなり声をあげて、私に相槌をうった。
 私も彼女も妙に心が重く沈んで暗くなり、意気消沈してしまった。
 ここまでは前回にもすこし書いた。ここからあとの私と彼女の「行動」を書きます。

 まあ、わかりやすくいうと、私はその映像に、作った人には申しわけないが退屈し、飽きてしまい、がまんできなくなって、となりに座っている落花さんのほうに関心を抱き、バッグの中から縄を一本取り出すと、いきなり、彼女の両腕を後ろ手にし、高手小手に縛りあげたのだ。
 こういうときの私には、いわゆるサディスティックな感情とか、欲望はない。
 ウソだろう、とか、そんなはずはない、と思われる方がいるだろうが、本当に、サド的つまり加虐的欲望はない。
 (落花さんに聞きます。ああいうふうに、予告なしに、いきなり後ろ手にされて、縛られるときのあなたの気持ちって、どんな気持ちなのか、教えてください。知りたい。たとえば、マゾ的な感情みたいなものがあるのでしょうか。ああ、知りたい。教えてください。いつものように「エッ?エッ?エッ?そんなこと、私、知りません。わかりません!知りません!」などと、恥ずかしがってとぼけないで、教えてください、ぜひ!)
 考えてみると、私がモデル女性を縛るときの感情には、いつの場合も(といっても、ほとんどが撮影現場だが)サディスティックな欲望というものが、少しはあるような気もするけど……いや、やっぱりないなあ。あるのは、きょうのこの撮影がトラブルなしに、気分よく、うまくいくように、との心くばりだけです。少しでもトラブルがあると、私は気にするタチです。
 縄で、女を後ろ手に縛って吊り上げたりするなんてのは、非人道的な、非人間的な、残酷なサドの行為にきまっているではないか、と思う人がいるだろうが(たいていの人がそう思うだろう、思われて当然なのだが)私の場合、実際はそうではない。これは詭弁ではない。いまさら善人面しても仕方がない。縛るときに、相手の女性に対して、サディスティックな感情を抱くことなんて、考えてみれば、ひとかけらもないのだ!
 こんなことを、「告白」すると、がっかりする人がいるかもしれない。そういう人にはおわびする。
 ああ、なんということだ、私はいま、やっと、このことに気がついたのだ。
 なんという愚かな私!
 私は自分の愚かさにあきれてしまう。私は無知で無教養で、恥知らずな人間なのだ。それをペラペラとよく回る舌で演技して、ごまかしている。まさしく「おしゃべり芝居」で、世間をあざむいてきた。
 私が落花さんを縛るときには、彼女を愛撫したい、この肉体をさわりまくり、いじくりまわしてやるぞ、という感情しかないのだ。その私自身の快感を高めるために、縄が必要なだけなのだ。
 偉そうぶって、もっともらしく、SとかMとか言ってるけど、本当はSでもMでもなく、単なるF、つまり、フェティシストにすぎないのだ。
 それじゃ残酷な形に縛り上げ、吊ったりムチで叩いたり、足の指の間に乳首をはさんで引っ張ったりする濡木痴夢男のあのサド的行為は何なのか、と疑問にお思いの方は、のちほど説明いたしますので、少々おまちください。
 日曜日の午後、ときおり埼京線の電車が、ごうごうと走る音がひびく、白いビルの8階の部屋で、この世のものとは思われないDVDの映像を眺めながら、私はふいに、
 (そうか、私は、縄フェチ男だったのだ!)
 と、思うのだ。そして、そのことに私は妙にびっくりしてしまうのだ。
 落花さんは、こんな私に黙ってつきあってくれ、すこしの抵抗もみせず、私に縛られてくれる。しかも両手首を背中で交差させ、首筋近くまで上げさせる、かなり強烈な高手小手縛りである。
 彼女はたちまちこの縛りに感じてしまい、感じる以上に酔ってしまい、体をやわらかくグニャグニャさせて、腰かけている椅子から、ずり落ちてしまう。
 縄に感じてしまい、とか、酔ってしまい、とか、私は勝手に判断して書いているが、これはあくまでも私の側からの観察で、いってみれば、私の「希望的観察」である。私としては、私の縄に「感じてもらいたい」のである。
 以前、一度、大まじめに、きいてみたことがある。
 「こうやって、縛られて、ベッドの上に倒れてしまって、動かないでじっとしているけど、感じているの?」
 彼女のこたえ。蚊の鳴くような声で、
 「知りません」
 「おれの縄に酔っているの?」
 「わかりません」
 「正直にこたえておくれ」
 「知りません、わかりません」
 こんな調子なのだ。私は、
 (縄に酔っているんだろうけど、恥ずかしくて、口に出して言えないんだ)
 と、ふたたび勝手に解釈して、いい気持ちになる。(おれの縄は凄いんだ)という優越感に浸る。征服感みたいなものもある。彼女の顔の表情、肉体の表情をみると、縄に酔っているとしか思えないのである。
 こういうときの私の気分というものは、わかりやすく言えば、私の性器の中へ入れたり出したりすることがセックスだと信じこんでいるフツーの男が、一度に5回射精、いや、10回射精、いや50回射精する位の快感なのだ。いやいや、安易な比喩はやめよう。射精時の快感なんかにくらべるのが、間違っているのかもしれない。
 要するに、フツーの快感とはちがう、またべつの、奥のふかーい、幅のひろーい、汲めども尽きぬ、快楽味があるのだ。
 高手小手に縛り上げられて、椅子から床にずり落ちて倒れこんでしまった落花さんの首筋をつかみ、顔をあおむけにすると、私は彼女の唇を吸い、舌を吸う。
 下唇だけを強く吸いこみ、歯で噛む。下唇を吸いながら噛んだり、舌でぺろぺろしつこくなめる。
 (ラブホを出るとき、彼女の下唇はいつも赤く腫れている)
 服のうえから乳房をつかみ、揉む。
 服のえりもとをひろげ、上から右手の先をさしこむ。
 ブラジャーの下に、指をもぐりこませる。
 乳首をつまむ。つまんで、指で揉む。強くつまんで、引っ張る。う、う、う、と彼女はうめく。私のこういう行為に、彼女はほとんど抵抗しない。されるがまま、という感じである。いや、とも、やめて、とも言わない。
 (そういえば、私は、彼女から、やめて、という言葉を一度もきいたことがない)
 また唇を吸う。私はしつこい。舌も吸う。私の舌を、彼女の口の中に入れる。入れるというより、ねじこみ、押しこむ。舌と舌とをからませ合う。
 右手で乳房と乳首を揉みながら、口の中を舌でぺろぺろかきまわす。
 (あ、このへんは前回書いた。先へ進まなければいけない)
 私は勃起し、パンツを下ろし、フェラさせたくなった。いまここでフェラさせたら、どんなに気持ちがいいだろう。
 第一に、スリルがある。このスリルは強い快楽を呼ぶ。ここは、そういうことをしてはいけない場所である。神聖なオフィスである。してはいけない場所でフェラさせるという背徳の快楽。
 だが、さすがにそれを実行する勇気はない。いくら日曜日で、スタッフが出てこない日だといっても、ふつうの会社ではないので、だれかがいきなりやってくることがある。女性スタッフは、全員グラフィック関係、パソコン関係のデザイナーである。コピーライターもいる。感覚的には自由業に近い。
 一人一人がこの部屋のドアの鍵を持っている。私もじつは、このオフィスの仕事を手伝うことがあり、彼女たちの顔も名前も知っている。彼女たちと口もきいている。ときには、居酒屋へ一緒にいったりする。
 彼女たちのリーダーである落花さんを、日曜日のだれもいないオフィスの中で、後ろ手高手小手に縛り上げてフェラさせているのを見られたら、やはり、ちょっと困る。
 私にも、理性というものがある(笑)。
 で、この場所でのフェラはあきらめた。あわてなくても、ラブホへいけば、安心して、いくらでも楽しめる。
 (だが、ラブホではスリルが味わえない。やっぱり惜しい気がする。そのうちに実行しよう)
 私はもう一度、彼女の唇をたっぷりと吸い、彼女の舌を私の口の中へ吸いこんでこねくりまわしてから、彼女を縛った縄を解いた。
 DVDは早回しにして、全部見たことにした。
 「このDVDの感想は、あとでゆっくり、まじめにお話しすることにしよう」
 「そうですね、このままではなんだか消化不良で、とてもやりきれないわ」
 こんな会話をしてから、私と落花さんは身づくろいをし、廊下へ出て、この部屋に鍵をかけた。

 廊下の手すりに体を寄せると、視界いっぱいに自然がひろがる。見晴らしがいい。緑におおわれた丘陵が、さわやかに横たわっている。うす暗い密室での緊縛遊戯もいいが、夕方の陽光に照らされた自然の風景もいい。荒川の川面が、まぶしい位にキラキラ光っている。
 エレベーターにのって、1階におりた。8階のドアがしまり、1階のドアが開くまでキスしていた。片手で落花さんのお尻をなでまわしつづけた。
 10分歩いて、近くのラブホテルへついた。2時間5000円。あと1時間延長するたびに、1500円ずつ払うシステム。2時間でおさまったことは一度もない。6時間いたこともある。
 新築間もない建物なので、部屋はきれいで清潔感がある。バスはボタンを押すと、ブクブクブクと勢いよく泡が噴き出してくる。
 内容の重いDVDを1時間もみたおかげで、私は妙に疲れ、すぐにベッドの上に横になった。
 「あなたも疲れているはずだから、ここへきて、横におなりよ」
 私は落花さんを抱きしめる。二人とも服を着たままである。
 唇を吸う。吸い合うのではなく、私のほうから一方的に吸う。
 あ、そうか。いまきがついた。
 落花さんをという人は、私にばかり唇を吸わせておいて、自分からは、私の唇を吸わないのだ。いくら唇を吸われても、吸い返すということはしないのだ。
 この人は、人形のように、おとなしく唇を吸われているだけなのだ。
 いや、ちがう。人形なんかではない。おそろしいほど鋭敏な性神経をもつ女性である。だから、形では私に「お返し」を見せなくても、彼女は内面で、つまり心の中では、激しく私に「お返し」をしている。
 それが私にはわかる。明確に伝わる。
 キスだけではない。私に、何をされても、どんないやらしいことをされても反応をみせず(全身がグニャグニャになってしまうけど)自分のほうからは仕掛けてこないのには、理由がある。
 その理由は、私にはわかっている。ちゃんとわかっている。
 それは、恥ずかしいからである。私が知り合ってきた女性の中で、この人ほどの恥ずかしがり屋はいなかった。
 そうですね、落花さん。あなたは、恥ずかしいから、自分のほうからは、何もしてこないのですね。人一倍恥ずかしがる人は、人一倍性的に感じる人なんです。
 だから、自分が恥ずかしがり屋であるということを、あなたは、私以外の人間には、めったに見せない!
 恥ずかしがり屋の女性は、美しい。私にとって、最高に魅力的で美しい!
 そして、羞恥心をもたない女性は、私にとって、最も醜い存在です。
 この私の文章を、あなたも読んでいるはずです。(読んでいないとは言わせない)
 こんど会ったときに、正直に言ってください。
 感じすぎるから、恥ずかしい、と。
 「そんなこと、恥ずかしくて言えるはずないじゃないですか」
 というあなたの恥ずかしそうな声が、あ、いま、私の耳に聞こえた。

つづく

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