落花さんから「ありがた涙がこぼれる、読みました」というメールがきた。
ドキッとした。
叱られる!と直感した。
あのベッドシーン、ちょっと露骨に書きすぎたかなあ、と思いましたね。
しかし、表現は露骨かもしれないけど、ウソは書いてない。ウソは一行も書いていないのです。
いや、現実にはもっと、もっともっといやらしく、しつこく時間をかけて、彼女の体のすみずみまでをなめまわし、いじりまわしているのだ。あれでも結構ひかえめに書いている。誇張しているところなんて、ぜったいにない。
だが、このベッドシーンしか読まない人には、落花さんという女性は、ただ濡木痴夢男の縄に縛られたい、それだけの欲望の、よくあるマニアの一人のように誤解されるおそれがある。
落花さんは、そのことを怒るのではないか、と私は思ったのだ。
(私にだって、もっと深い複雑な内面があるわ)と。
書いた原稿を、Rマネージャーに渡した。Rマネも読んで、OKを出した。だから落花さんに叱られても仕方がない、と私は思っていた。
でも、やっぱり怒らせたくはない。
心配していたのだが、彼女は怒ってはいなかった。そのメールをつぎに紹介する。
「――おしゃべり芝居の第8回、読ませていただきました。読みながら、つい机に突っ伏しそうになったり、おろおろしてしまうので、がんばって涼しい顔をして、うちの女の子たちからやや離れた資料コーナーまで移動して、真面目な顔で読みました。ひとしきり恥ずかしい思いをした後、気持ちを切り替えて、じっくりと真剣に読みました。とても面白かったです。(こんなふうに書くのは変かもしれませんが、変だと思うのもおかしいので、きちんと感想として書いています。なんて注釈を入れるのも言い訳がましくてイヤなのですが、先生を怖がらせたら、もっとイヤなので……)
先生が『濡木痴夢男』のペンネームで書かれた『撮影』の場での緊縛日記や、これまでの『プライベート』の緊縛日記とは、たしかに違うと感じます。これまでに描かれてきた『リアリティ』ではない、もっともっと生々しく、全ての描写が、先生自身を掘り下げて表現に昇華したもののように感じます。いうなれば、やはり純文学なのでしょう。人物や状況がリアルなだけでなく、それ以上に、そこに描かれる何ともいえない『幸福感』や、『わきあがる感情』のようなものが、おそろしくリアルでした。『落花さん』のことが、愛おしくてたまらないような気持ちになりました。」
以上、原文のままである。
私はホッとした。怒っていなかった。安心した。
落花さんが、落花さん自身が登場して行動する文章を、羞恥に身をよじりながら読んでいる光景を想像して、安心すると同時に、私は思わずニヤリとしてしまった。
(こういう心理も軽いサディズムといえるかもしれない)
落花さんが、私の文章の中に出てくる「落花さん」という女性の描写を、客観的に読んで、
「落花さんのことが、愛おしくてたまらないような気持ちになりました」
というところが、わたしにはとくにおもしろく、
(自分で自分のことを愛おしくてたまらなくなる、というのは、この場合、どのような心理状態なんだろう)と思ったりした。
で、安心して、勇気が出て、「池のほとりの楽園」という意味の名をつけたラブホの一室の中での、その日の後半の行動を、これから書くことにする。
――落花さんの上半身を、ベッドの上に抱き起こした。後ろ手高手小手縛りのままで半分気を失っているので、グニャグニャして、やたらに重い。
ぐらぐら揺れるその体を、左手でかかえ、支えながら、もう一本、紐をつかんで、こんどは彼女の乳房の下側にもきっちりとかけた。落花さんのときだけに使う愛用の特殊な紐を二本使った高手小手縛りである。
落花さんは首がほっそりと長く、肩幅がせまくなだらかに下がり、おまけに体が柔らかいので、すばらしくセクシーな被虐的な眺めとなる。
「いいなあ、きれいだなあ!」
私はうっとりし、思わずつぶやいた。
このエロティシズムがわからないやつは、バカで鈍感で不幸な人間だ!とさえ思った。彼女の肩をつかんで前をむかせると、二本の紐のあいだから、みずみずしい乳房がもっこりと形よく盛りあがり、被虐味の濃い、エロティックな眺めである。
ブラジャーはまだはずさずに、上のほうにずらしてある。やや荒々しくずり上げたそのブラジャーの歪みをみせた乱れ加減が、痛々しいリアリズムを感じさせて、実にいい。
欲情して、紐のあいだに悩ましく息づく左右のオッパイを、私は強く両手の指でつかむ。揉む。ぐりぐり揉む。乳首をつまんで引っ張る。
感触をたっぷり楽しんでから、彼女の体をあおむけに倒した。ベッドの掛け布団の上に倒すのだから、あおむけにしても手首は痛くないはずである。自分の体の重みで手首が圧迫されても、その痛みは、むしろ被虐味のある、こころよい痛みに違いない。
私は彼女の両膝をそろえ、はさんでおさえつけるようにしてまたがった。
目の前に、彼女の陰毛が見える。それは美しい、愛おしい眺めなのだ。ここで落花さんの陰毛の描写をすると、またほめることになってしまうので、私はためらう。
(おいおい、陰毛までほめるのかよ。いいかげんにしてくれよ)
と、だれかに言われそうだ。
だが本当に形よく、ややすくなめに、優雅な香りさえ放って、上品に生えているのだ。
陰毛の生え方に、上品も下品もない、と思われる方がいるかもしれないが、あるのですよ、これが。
モデル女性たちがよくやる手入れをしているような気配のないところがいい。そういう手入れをするような性格の落花さんではない。美しくなだらかに肉づいた白い下腹部の果てに息づく陰毛の描写をもうすこしつづけたいのだが、ここで彼女を必要以上に恥ずかしがらせるのもどうかと思うのでやめておく。
ウエストのくびれから腰へかけての線のほぼ完璧なエロティシズムも、もっと描写したいのだが、結局、ほめ言葉ばかり並べることになるので、これもやめておく。
惚れてしまえば、アバタもエクボ、という俗言があるけど、けっしてそういうことではない。私ももの書きの端くれである。どんなときでも冷静に、意地の悪い目で観察する。私が彼女をほめるのに、アバタもエクボ的な感情はない。
へその形もいい(アア、またほめてしまった。もうほめるのはやめる)。わたしはのしかかって、彼女のへそに唇をおしつける。舌を出して、おへその中へさしこむ。舌の先を固く丸めてなめまわす。ウッ、ウッ、ウッ……と彼女は低い声をあげ、下腹部の白い肉を悩ましくけいれんさせる。そのけいれんは、へそをなめたり吸ったりしている私の顔面に伝わる。
私の舌は、彼女の下腹を這いながら、おへそから陰毛の生えぎわまでゆっくりと移動する。彼女は柔らかい内腿の肉をヒクヒクさせて左右の足をよじり合わせる。
「アッ、アッ、アアッ……」
という、きれぎれの息を吐いている。しかし、それは拒否とか、嫌悪の声ではない。やはり羞恥の声である。
太腿の肉をかさねるほどよじり合わせても、さほどの強い抵抗ではない。私の舌は陰毛の生えぎわから、さらに下へともぐりこむ。
「さあ、足をひろげて。力をぬいて、足をひろげるんだよ」
と私はいう。すこし芝居がかっている。彼女の羞恥心を、さらにくすぐるためのセリフである。
しかし、よくAVの中でいわせているあんな俗悪な言葉は使わない。私があのような汚い雑なセリフを言ったら、私自身も、そして彼女もさめてしまう。
閉じ合わされたたあたたかい、柔らかい太腿のつけねに、私はぴったりと顔をおしつけ、なおも舌を長くのばしてなめる。舌の先を、太腿の奥へ奥へと侵入させる。
鼻がつぶれ、私は呼吸困難になる。目もつぶれ、なにも見えない。なんという心地よい呼吸困難。彼女の陰毛から、私自身の唾液のにおいがする。私はもうマゾヒストだ。
苦しくなりすぎると、顔をあげ、息をつきながら、またおへそをなめる。舌をさしこむ。彼女はヒッといってもだえる。
おへそのつぎはオッパイをなめる。乳房を手でつかんで揉みながら乳首を吸う。左右の乳首を交互になめ、歯でくわえて引っ張る。乳房ぜんたいの肉をすっぽりと強引に口の中へ吸いこみ、舌でなめまわす。
それからまた唇にキスをする。こういうときの私は休まない。口の中へ舌を入れ、彼女の舌にからませてぐるぐるとまわす。
こんな私のせわしない攻撃を、彼女は避けない。すこしも逃げようとしない。かといって、自分のほうから積極的に受け入れる気配はみせない。男の欲情に、うっとりと身をまかせているといった感じなのだ。
そのへんの反応も、責め手にとっては妙に刺激的なのだ。彼女にとっては無意識に、川の流れに身をまかせているような反応なのだが、その無意識のうちに、なめらかに静かにあえぐしぐさが、私にとっては絶妙のエロティシズムになるのだ。
私は姿勢を変え、今までとは逆方向になって、彼女の太腿を両手でかかえる。こんどは私の目の前に彼女の両足首がある。その姿勢で、彼女の股間に顔を伏せる。ぴったりと吸いつく。
そして私の股間は、彼女の顔面の上におおいかぶせる。つまり、69の体位になる。
なめてくれ、なめてくれ、と私は股間を彼女の顔にぐいぐいおしつけながらお願いする。「なめるんだ、口をあけてなめるんだ、しゃぶってくれ」とお願いする。
彼女は、私のその願いを素直にきいてくれる。信じられないくらいに素直に、すぐやってくれる。あたたかい彼女の、口の中の感触に私は包まれる。幸福感が、頭のてっぺんまでつらぬく。
高手小手に縛られて、あおむけに寝かされた彼女が、私の股間のものを、口をあけて頬ばり、なめるところを、しかし、私は見られない。私の目の前には彼女の股間がある。しゃぶられているのはわかる。気持ちいい、ああ、気持ちいい!
私も彼女の股間を、両手の指をかけて左右にひろげ、舌を入れる。なめる。しゃぶる。吸う。上下の歯で噛む。軽く引っ張る。私の口の中で、のばした柔らかい肉片を、わざと音をたててしゃぶる。しっかりとしゃぶる。ときには噛んだりする。音をたててしゃぶることが、彼女への感謝のしるしのように思える。
陰毛の中にさらに鼻をおしつけ、舌をのばして彼女の奥まで進入する。柔らかい。舌の先でかきまわす。彼女の呼吸が荒くなる。私も息が苦しくなる。彼女の股間から顔を上げて呼吸を整える。
彼女の口の中はますますあたたかく私のペニスにやさしい。ひたむきな舌の動きに、やさしさを感じる。ときどき、ゲッという声を喉から発しながらしゃぶりつづける。私の心までしゃぶる。その一生けんめいさに、私はふと泣きたくなる。
男に対して、フェラなどぜったいにしないだろうと思われているような、上品で知的な美貌の女なのだ。その美人が、私のような男のものをしゃぶっている。
快楽度が上昇する。彼女の口の中で、私は勃起していた。いま引きぬいて、すぐに彼女の陰唇の中へ挿入したら、うまくいきそうな気がした。たいていの男は、そうするだろう。そうしなければ男としての「義務」とか、「プライド」のようなものが果たせないような気もする。
どうしようか、と私は快楽の波間にゆられながら考えている。彼女はいま、どんな表情をしているのだろうか。私をしゃぶる彼女の顔はみえない。私の両眼は、彼女の香ばしい太腿にふさがれている。
「もっと舌を使って……舌をぐるぐる刺激して……歯で軽く噛んで……もっと強く、強く噛んで……」
と、私はあえぎながらお願いする。
だが、私はフェラだけでは射精しない。フェラと同時に手でしごいてもらわないと射精しない。
(ああ、こういう場所に、こういうことを書いてもいいのだろうか)
落花さんが羞恥心過剰な分だけ、私は羞恥心を喪失している。
彼女の舌も唇も柔らかく、刺激もゆるやかなのだが、連続して長く摩擦されていると、さすがに痛くなってくる。もういい、と私がいうまで、彼女は舌を動かしつづける。そういえば、私がこの種の行為を開始すると同時に、彼女は私に対して絶対服従の形になる。私のお願いを拒否しない。なんでもしてくれる。いつまでも続けてくれる。
オフィスでは女の子たちに対して、あんなにもテキパキと、ときにはきびしい口調で明快に指示するのに、私が手首をつかんでちょっとねじる動作をすると、おとなしくいうことをきいてくれる。
もういい、といって私は彼女の口の中から私をぬいた。すぽん、という音がした。
私はふたたび彼女と顔を合わせて寝た。彼女の体を両手で抱きしめた。細いウエストに両手をまわし、ぐいと抱き寄せるときの感覚は気持ちいい。高手小手にしてある手首に触れてみると、つめたくなっている。もう解いたほうがいい。
私は半身を起こし、彼女の上半身を抱いて起こし、ベッドの上でむかいあい、キスをした。何度でもキスをする。何度キスしても飽きない。射精していないので体力が衰えない。射精したら私なんか気力も体力もたちまち失い、ヘナヘナになってしまう。私が二時間でも三時間でも彼女を吸いつづけ、しゃぶりつづけられるのは、一言でいえば、射精しないからである。
正面から抱き合ってキスしながら、左手を彼女の背後にまわし、高手小手にしてある紐を解きはじめた。縛ってから、もう長い。
左手だけで解ける。そういう縛り方をしてある。
両手が自由になったはずなのに、彼女は高手小手にされたままでいる。一時間以上縛られていたので、腕がしびれて、動かすことができないのか、と私は心配になる。
彼女の背中に私は両手をまわし、手首をつかんでそろそろと前へもどしてやる。
「手、しびれた?長かったからね」
と私はきく。彼女は答えない。微笑だけ。
この種の質問に対し、彼女は一度も答えたことがない。答えることすら、恥ずかしいのかもしれない。
そのままの姿勢で、またキスをする。なんという私のしつこさ。彼女は拒否しないで、私の唇を受ける。舌と舌をからめ合う。私は、また勃起する。私はキスが好きだ。舌をからめ合う感触が好きだ。彼女もきっと好きだと思う。私が唇を寄せていくと、かならず応じる。一度も避けたりはしない。
私は彼女の体をあおむけに倒した。両足をつかみ、左右にひろげた。
(足を左右にひろげるときには、多少の抵抗はある。それは羞恥のための抵抗だということが、はっきりわかる。このとき抵抗されないと私のほうも困る)
私は彼女の股間に私のものを挿入しようと思い、その姿勢をとった。一度は挿入しようと思ったのだ。その欲望はある。挿入しないと、すっきり終わらないような気がした。
が、彼女のその部分に近づけると、勃起度は弱まり、挿入できなかった。こんなときでも、私はあせらない。それは彼女が、そのことを欲しないからであった(欲しないどころか、彼女はそのことを嫌っているのかもしれない)。
挿入してもしなくても、私たちの満足感は同じなのである。いや、私たち、といってはいけないのかもしれない。私には不満はない。私はもったいないくらいに、十分に性を楽しんでいた。彼女のほうは、正直のところどうなのだろう。
私にはわからない。彼女は自分の快楽について、語ることをしない。私たちの関係は、なんでも遠慮なく語り合えるという、まだそこまで親密になっていないのかもしれない。
いやいや、そんなことはない。彼女はやっぱり恥ずかしいのだ。恥ずかしいから、自分の快楽については、何もしゃべらない。
しかしこれは、私にとっても、彼女にとっても、いいことだ。なぜなら、だからこそ、わたしたちの関係は長続きする。彼女に羞恥心があるかぎり、彼女は美しい。そして魅力的である。彼女の羞恥心があるかぎり、私たちの快楽は長くつづく。
(つづく)
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