鶴亀劇場の裏手には、丈の高い雑草が汚らしく一面に生い茂っている空地があった。
雨が降るとあちこちに水たまりができ、それがいつまでもぐじぐじと乾かない、沼のような空地だった。
その湿っぽい暗い空地のとなりに、鶴亀劇場とはお尻とお尻をくっつけ合うような形で、木造の二階建てアパートが建っていた。
鶴亀劇場の表の入口は西南の方角に向っており、そのアパート鶴亀荘の玄関は、東北に向いている。
そのために裏口と裏口とがくっついているような形になっているのだ。
アパートの一階はすべて鶴亀劇場の楽屋になっており、芝居関係者たちが借りきっているということは前に書いた。
鶴亀劇場とアパートの所有者は同じである。だからアパートの一階を「借りきって」いるのではなく、自分が所有している建物の一部を、芝居興行のために「使わせて」いるのだった。
アパートの二階には、芝居とは無関係の、つまり一般の人たちが住んでいた。
そのほとんどが、アメリカ軍の空襲によって、住居を焼かれた家族たちだった。
その中に、西木という名字の五人家族がいたのだ。
西木一家は、鶴亀荘の二階に、二部屋を借りて住んでいた。
家長であり、五十歳前後の西木夫妻が一部屋に住み、二室へだてた六畳の部屋に、娘たちが三人寝起きしていた。
その三人姉妹の名前。
秀代、二十八歳。
珠代、二十一歳。
雪代、十五歳。
女性に対し年齢をきくのは失礼だということを、十六歳の私はすでに知っていた。だからこの年齢は、当人以外のだれかから聞いたので、正確ではない。
長女の秀代には、戦争に引っ張られた夫がいるということで、赤ン坊を抱いていた。その夫はビルマのほうに行っていて、まだ生死がわからないという。
三女の雪代は学生だったが、空襲で焼失した学校の再興を待っているという。私とほぼ同年で、学校が焼けてしまったところも同じなのだが、おそろしく早熟な美少女で、私よりもうんと年上に見えた。
次女の珠代も無職であり、毎日ぶらぶらしている結構な身分であった。
この珠代が、このあとの私の運命に、大きく関わり合ってくる。
(いや、運命などというのは、オーバーかもしれない。単に竹若・福之助一座から私を引き離したきっかけをつくっただけ、というべき女性なのかもしれない)
この三人姉妹の父親だけが、この西木家では働いているのだった。
有名な保険会社の重役だそうだが、父親という人物の姿を、私はほとんど見たことがない。
もとは目黒あたりで、ぜいたくな邸宅をかまえていたのだが、空襲の被害をうけて、いまはこのアパートの二階で、仮の生活を営んでいるということらしい。どこかのんびりした、ゆとりのある一家なのだ。
混乱と不安の戦後の時代を超越したような裕福な、上品な三人姉妹の雰囲気に私は憧れ、心を惹かれたのかもしれない。
私の家はとにかく貧しく、下品だった。私はなかば得意になって、おれは浅草生まれの浅草育ちだなんてほざいたりしているが、じつはあまり本気で言ってはいない。
妙にべたべたした下町の慣れ合い気質が、本当はあまり好きではない。
心のどこかに、上流とか、上品なものに対する憧れの気持ちがある。
愚劣が嫌いで、知性を感じさせるものを好む。
私が落花さんという女性に心を惹かれるのは、彼女には潔癖な上流家庭に育った雰囲気があって、私とは正反対の峻烈な、超俗的な信念と常識を身につけているからである。
私には落魄趣味というか、零落志向もあるが、こういう上流階層(いや、正確にいうと中流、つまりプチブルだろうか)に憧れる気持ちもある。両方ごちゃごちゃになっている。
どうも私には、私という人間がよくわからない。いまわからないのだから、おそらく死ぬまでわからないだろう。
そもそものきっかけは、鶴亀劇場での竹若一座の芝居を、三人姉妹がたまたま揃って見にきたときに始まる。
「新版歌祭文・野崎村」の場であった。
師匠である市川福之助演じるお染にしたがう下女の役で、私が揚げ幕から花道へ出た瞬間、すぐ目の前の客席にすわっていた若い女性客が、
「まあ、可愛い!」
という声をあげたのだ。
すると、その声の主の左右にすわっているこれも若い女性客が二人、つられたようにケラケラ笑った。
その声が素っ頓狂だったので、客席全体が笑った。
可愛いという声は、私に向けられたのである。
下女およしというのは、もともとチャリ(道化)で演じる役である。だから私は、やや三枚目ふうに、目尻を下げ、頬っぺたを赤くぬった化粧で舞台へ出たのだ。
だが客席から、しかも女性に声をかけられたのは、はじめてだった。
その三人の女性客が、鶴亀荘の二階に住む姉妹たちだということは、あとで知った。
それまで私は、こういう人間たちが二階にいることさえ知らなかった。
私にとって鶴亀荘はアパートではなく、あくまでも鶴亀劇場の楽屋だった。
翌日、私は三女の雪代に誘われて、鶴亀荘の二階へ上がった。
楽屋に下りてきて私に声をかけたのは雪代だったが、二階で私を待っていたのは、次女の珠代だった。
「福二郎さん、可愛かったわよ。きのうはあんな変な声をかけてごめんなさい」
そう言うと珠代は、のぞきこむように私の顔をみつめ、微笑した。
その微笑の美しさに、私は圧倒された。
ただの美しさではなかった。まさしく女の美しさであった。
珠代の微笑は、十六歳の少年の目に、蠱惑的に、性的に美しいのだった。
私は日本語に蠱惑的という表現があることを、珠代の微笑を見て、圧倒されて調べ、そして知った。
珠代の微笑の美しさは、蠱惑的という言葉以外には表現できない。
このときから約半年間、私の心は珠代に恋をし、珠代も私を愛してくれたように思う。
そういう心理的な経過があって、そのような恋心を抱くようになったか、こまかいことはもう忘れている。
なにしろ六十数年前のことである。
うっかり恋とか愛とか書いてしまったが、あれが本当に、恋とか愛だったのだろうか。
あの半年間のことを粉飾して、わかりやすく組み立て、それらしいストーリーのもとに小説ふうに綴れば、読者は一応は納得してくれると思うが、いまの私にはその気力がない。
というより、そういう書き方では、私自身が納得できない。
けれども、ちょっと複雑に心理が交錯するシーンになってくると、私はやっぱり頭がわるいなと思い、戸惑う。
うまく書けない。
表現力が乏しく、文書力の貧しさを、いまさらながら自覚する。
つまり、こんな書き方しかできない。
一日の仕事が終わると、私は二階の三姉妹の部屋へいき、ねころがって体をやすめる。
夜十時をすぎ、十一時近くなると、その六畳の部屋いっぱいに布団を敷きつめ、十五歳、二十一歳、二十八歳の女性が、体をかさね合うようにして寝ることになる。
その時刻まで私がその部屋にいると、彼女たちは口々にこんなことを言って、私を誘うのだ。
「もう遅いから福二郎さんもここに寝なさい。福二郎さんのおうちは、松戸の駅から歩いて一時間もかかるんでしょう。もうバスもないから大変よ。ここへ泊まっていきなさい」
長女の秀代までが、私にむかってこんなことを言う。
しかし、さすがに声を低めて言う。
このアパートの部屋の隣室との壁はうすい。ドアもぺらぺらの板一枚に茶色のペンキをぬった、形だけのものだった。
秀代は自分の唇の上に、人さし指をいたずらっぽく立てて言うのだ。
「そうしなさい」
「そうしなさいよ、福二郎さん」
と、次女も三女も、声をひそめて笑い顔で言うのだ。
秀代の赤ン坊は、この三姉妹の両親の部屋に寝かしてある。昼間でも秀代は自分の子供の面倒をあまりみない。秀代の母親がいつも赤ン坊を抱いたり、背負ったりしていた。
兵隊にされてビルマ方面につれていかれた夫は、いつ帰ってくるのか、生きているのか死んでいるのかわからないというのに、妻であり、一児の母親でもある秀代が、吹けば飛ぶような下っ端役者の私に、泊まっていけ、なんて言っていいものなのか、と私は不安になってしまう。
布団を敷くと畳が見えなくなるほどのせまい、若い女だけの部屋なのだ。
(この秀代という女は、おれのことを、まだ本当に子供だと思っているんだな)
と、私はいささかムカッとくる。
私にだって、そのくらいの常識はある。
これでも私は、愛だとか恋だとか、親子の情愛をテーマにして芝居の台本を、たとえ盗作に近いものだったにしても数本書いていて上演もされ、お金ももらっている。
子供扱いにされて、いささか不満には思うものの、しかし私は彼女たちの誘いの言葉がうれしい。
私は本当に、夜おそく疲れた体で、駅から丘の上にある家まで歩いて帰るのがつらかった。一日働くと、その体力がないのだった。
彼女たちとひと晩じゅう一緒の部屋ですごせるといううれしさよりも、駅から家までのあの暗く長い道のりを、足をひきずって帰らなくてもすむということがありがたかった。
「うん、泊めてもらう」
と私は言い、三人姉妹が頭をくっつけ合って寝る布団の、その足もとにもぐりこむのだ。
季節は冬である、暖房とか空調の設備などまったくない時代だったが、寒くはなかった。
寒いどころか、若い女たちの体温で、室内はむんむんするほど暑くなっていた。
掛け布団は一枚だけで十分だった。
彼女たちはパジャマではなく、古い浴衣の寝巻き姿になっていた。
室内の空気は女たちの体臭で息苦しいほどだったが、その息苦しさは、私がそれまで味わったことのない甘いものだった。
通俗SM小説だったら、少年の私はここで三人姉妹のために、さんざんな性的陵辱をうけ、そこでいわゆるMの快楽にめざめるというストーリーになるところである。
私自身、そういう小説を何本か書いている。
だが、現実においては、そんなことはなかった。
彼女たちは、私の存在など気にするふうもなく、電灯を消すと、自由奔放なおしゃべりをしたあとで寝息をたててねむり、疲れている私は、三人の女の体温の仲に寝るという状況に、すこしは緊張していたが、横になるとたちまちねむくなった。
ひとねむりして目をさますと、外に面しているガラス窓から、室内に月光がさしこんでいあ。
私はすこし元気をとりもどしていた。
冬の夜なのに、部屋の中の温度は、さらにあたたかくなっていた。
女たちは、掛け布団のわきから、足を出してねむっていた。
寝巻きの裾が大きくまくれあがっていた。
女の太腿が、月光の中に見えた。
白い太腿が月光のせいで、さらに白く見えた。
だれの太腿かわからない。
姉妹三人の中の、だれかの太腿にちがいなかった。
私の目にその太腿は、衝撃的はエロティシズムで映った。
私が、女体の放つエロティシズムというものを明確に感じ、意識したのは、このときが初めてだったように思う。
そこで十六歳の私が、夢中でその太腿に飛びつき、抱きしめたりしたら、それこそ通俗SM小説の一シーンになってしまうが、実際の私は、あわてて目をそらした。
そして、また布団の中にもぐりこんだ。
その太腿を見たのは、だから、ホンの一瞬だけである。
一瞬だけだったから、あんなにも強く、私の心に灼きついたのであろう。
そして、ホンの一瞬だけだったから、六十数年たったいまでも、こうして忘れることができないのであろう。
(つづく)
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