2007.09.11
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第十一回

 永井なつという美少女


 今回はすこし趣向を変えて、個人あての私信の形で書いてみようと思います。
 私信の形、といいましたが、じつはこれは、ただの「形」ではなく、実際に、相手に送るつもりのものです。
 ただし、括弧内は、この「おしゃべり芝居」を読んでくださる人々への私の「説明」、もしくは、私のひそかな「独白」だと思ってください。
 私のこの手紙の相手の方は、あるAV系のいわゆる「SMビデオ」をたくさん撮られている演出家、つまり監督さんです。私、つまり濡木痴夢男も、数えきれないほどたくさんお手伝いさせていただきました。
 「AV系」というのは、ストーリーの中に、かならず男女のファック場面を入れるSMドラマを作る会社のこと。
 つまり私ども緊美研で作っていた「緊縛ビデオ」は、ファックシーンとか、バイブ挿入シーンは全くありませんので、AV系とはいわないのです。ついでにいいますけど、この「AV系」という呼称は、じつは私の畏友である画家の長崎徹夢氏の命名です。簡にして要を得た、便利な言葉なので、私はたびたび利用させてもらっています。
 前置きが長くなりました。では本題に入ります。

 川村真一様。きのうはありがとうございました。お疲れさまでございました。スタジオの外では、台風接近の不穏な感じの雨が、ときおり激しい音を立てて降る、長い長い一日でした。
 撮影がおわって、帰り際に約束した、私のこの秋の舞台での公演のチラシ、パンフレットなどを郵送させていただきます。チケットも入れておきます。このチケットを見せれば、当然無料で入れます。
 ただし「Kの会」のほうは毎回大入り満員続きで、遅れてくるとドアがしまって入れなくなります。物理的に入れないのです。この二つの公演は、「濡木痴夢男」ではなく、べつの名前で私は出ます。
 私は「緊縛」に関連した仕事は、全体の5パーセント程度で、あとの95パーセントは、全くそのほうとは関係のない活動で日々を送っているということは、監督もよくご存知ですが、この秋の公演は、その95パーセントのほうです。
 そういえば、数年前、その95パーセントの仕事のほうに私が出演したとき、監督は九条美影さんとご一緒に、わざわざ観にきてくださいました。あのときは、ありがとうございました。
 あの日の終演後、私が監督と九条さんをご案内して、浅草までタクシーを飛ばし、神谷バーで電気ブランやビールを飲み、食事をしたこと、覚えておいでですか。
 九条美影さんとは、先日「伊藤晴雨素描展」のときに、会場でお会いし、帰りに近くの居酒屋で再会のよろこびの乾杯をしました。おどろいたことに、もう結構いい年だと思うのに(九条さんゴメン)全体的にほっそりとしてますます美しく、魅力に充ちた光を放っていました。
 魅力、というよりも神秘的で、何もしゃべらなくても、ただ会っているだけで愛おしくなる人です。私がおつきあいさせていただいている5パーセントのほうの人は、みなさん、黙っていても、なぜか「魂」がかよいあい、愛おしくなるふしぎなオーラをもつ人ばかりです。
 私はいつか一度は、九条さんの肩を抱きしめ、あの小さな形のいい唇に、せめてキス位はしたいと思っているのですが、現実に会うと、あのオーラに負けて、なかなかその勇気が出ません。
 あれッ?
 こんな話をするはずではなかった。きのうの撮影の話をするのでした。私はどうもおしゃべりでいけない。すぐに話があちこちに飛んでしまう。
 でも、この文章のタイトルが「おしゃべり芝居」だから仕方がありません。
 きのうの撮影、そうでした。ここで書こうと思っていたのは、きのうの撮影のことでした。
 ここから先は「緊縛マニア」の人以外は、読まないほうがいいと思います。「緊縛マニア」以外の人は、読んでもきっとつまらないと思います。退屈するだけです。お読みになっても、意味がよくわからないと思います。
 しかし「緊縛マニア」の人にとっては、ぜったいに興味深いことを、これから書きます。いや、本当をいうと、私のこの文章を読むよりも、きのう撮ったテープをこれから編集し、音楽を入れ、完成作品となった川村監督のこの映像を、買って、観てください、というべきでしょう。
 濡木痴夢男が責任をもちます。これは、お金を出して買って、貴重な時間をつぶして観ても、ぜったいに損をしない「緊縛」の快楽に浸れる映像です。
 私は、私たちの「緊美研」で撮った九条美影さん出演のビデオ映像を、最高の「緊縛映像」だと思っていますが、こんどの川村作品は、あの傑作に匹敵するものだと思っています。
 あ、いけない。
 なんということだ。この文章は、川村監督への私信だったはずである。それがいつのまにか、対象が「おしゃべり芝居」の読者になってしまっている。おまけにビデオの宣伝までしている。
 このへんに私のいい加減さがあります。すみません、川村監督。私が理知的でも理論的でもない、単純な感情人間だと言うことを、またまた露呈してしまいました。
 こうなったら、もう順不同で、書きたいことを、書きます。

 きのうの撮影で、私の前に現れた女の子の名前は、永井なつ。
 永井なつというのは、本名でもなければモデル名でもありません。私がこの文章のために勝手につけた、ここだけの名前です。
 なぜこんなことをするかというと、万一、彼女に迷惑がかかるのを怖れるからです。以前、私はある雑誌の文章で、○○というモデルを、そのモデル名をはっきり明記して「すばらしい!」と、ほめて書きました。
 すると、○○は、ほかのビデオ撮影の現場に呼ばれ、
 「お前は、濡木痴夢男にほめられた位のモデルだから、何をされても平気だろう。本物のマゾ女なんだろう」
 といわれ、さまざまな乱暴なことをされ、心も体も傷だらけにされました。
 「濡木痴夢男」という名前は、ときに「一人歩き」をして、「SM」を誤解しているSMビデオ製作者たちに、
 「濡木痴夢男の責めに耐えられる女は、何をされても平気なマゾ女だ。責めれば責めるほどよろこぶマゾ女だ」
 と思われ、「本気」で責められ、痛めつけられるのです。
 「本気」でなければSMではない、と思っている人は、意外に多いのです。ごくふつうの心の優しい常識人の中に、そういう人がいるので困ることがあります。
 私たちがどんなに「本気」らしく演じても、結局は「ごっこ」でしかないのです。その「ごっこ」のことを、べつの言葉で「芸」というのですが、SMに関しては、「本気」と「ごっこ」の区別がつかない人がいます。
 マゾ女は「本気」で責め、痛めつけなければ満足しない、と信じているSM映像製作者たちがいるのです。私はその○○というモデルに恨まれました。
 「私がひどい目にあったのは、濡木先生にほめられて、あんなことを書かれたからだ」
 と。私は私の縄に酔った○○の、すばらしい反応のエロティシズムを書いただけなのに。そういえば、あるSM雑誌の編集者に、
 「私は緊縛美なんて信じません。女を縄で縛って、なにが緊縛美ですか。自己満足にすぎないじゃないですか」
 と、いわれたことがあります。
 そんなことがあってから、私はどんな場合でも、本名はもちろんのこと、モデル名も書かないようにしています。だれにもわからないように、架空の名前を作ります。ですから、きのうのモデルも、「永井なつ」と書きます。これは彼女自身も知らない名前です。しかし、実在します。私がきのう、某スタジオの中で、川村監督自身がカメラを持つ、そのカメラの前で、一日じゅう、縛りまくったのですから。
 永井なつ。19歳の学生です。経済学を勉強しています。九条美影さんに似た美貌です。タレントでいえば、釈由美子系の顔です。よく見ると童顔でもあり、初々しい。美少女といったほうが適切かもしれない。色が白く、清潔感があり、皮膚には生き生きした若い艶があります。知的な可愛らしさがあります。
 南の国の女性がよく来る、アオザイに似たうすものを、ぐるりと全身に巻きつけた彼女を、最初からスタジオの隅にある柱の前で、後ろ手に縛りました。
 つまり今回のビデオ撮影は、いきなり最初から私が登場するのです。あとでいろいろとドラマ的に編集をされるのでしょうけど、とにかく、彼女はいきなり私の縄に、後ろ手に縛られたのでした。
 彼女の両手首を背中でかさね、やや軽くひとつに縛り、その縄を胸にまわした瞬間です。彼女の全身から、へなへなっと力がぬけ、膝からくずれて倒れそうになったのです。プロジューサーのN君が見ていて、
 「あ、倒れる、支えろ!」
 とさけび、自分がまっさきにカメラの前へ飛び出して、彼女の体を正面から抱きかかえました。
 「ウーン、これは早いなあ」
 私は思わず、つぶやきました。
 「濡木先生、こんどの女の子は、縄に対して敏感なんです。先生に縛ってもらうのを、とても楽しみにしているんです。とにかくこんどの撮影は、先生におまかせしますから」
 と、前からNプロデューサーに言われており、M性が強いことはわかっていたのだが、まさか一本の縄をかけ終わらないうちから、こんなに反応してしまうとは思わなかった。このとき、川村監督はすでにカメラを構え、まわしていましたよね。
 きのうの午前10時30分、新宿のスタジオに直入りした私は、広い2階の控室で、AD(助監督)が持ってきてくれたボトル入りのお茶を、一人で飲んでいました。
 すると3階のスタジオから川村監督がおりてきて、
 「しばらくです、早いですね」
 と、あいさつされ、私も、
 「ええ、10時半から11時までの間にきてくれって、N君にいわれたので…」
 と、あいさつを返しました。このとき、いつもニコニコ平和な顔でいる監督が、妙に暗く、暗いというよりは沈痛な表情だったので、おや、どうしたのかな、と私は思いました。
 その暗い表情の理由は、すぐにわかりました。それは、きょうこれからの撮影の具体的な構想と展開が、まだ完全に、監督の頭の中で整理されてなかったせいでした。
 いつものモデルや女優とちがって、きょうの「永井なつ」は、どうやら相当な「縄好き少女」らしいので、その個性を、どういうふうにドラマの中に生かそうかと迷い、それを悩んでいたらしいのです。
 (まちがっていたらごめんなさい、監督。でも、大体はそんなところでしょう。あなたはいつもこんなとき、まじめに真剣に悩み、考える人ですから……)
 で、私は、誘いの水をむけました。
 「きょうの女の子、ぼくはまだ会ってませんが、いい子らしいですね」
 「ええ、いい子なんで、どう撮ったら一番いいか、考えているんですよ」
 と、監督はこたえました。やっぱりそうでした。私は、すぐに提言しました。
 「これまでに何度もやってきた安易な設定ですが、縛られることに憧れ、美しく気持ちよく縛られることを夢みている女の子がいる、それを知った或る男(恋人でもいい)が、濡木痴夢男のところに、その女の子をつれてきて、望みをかなえさせてやる……というのはどうですか。そのあと、女の子と男だけの展開になり、まあ、そのへんは監督が何か考えるとして……」
 こんな私の提案に、監督はすぐに愁眉をひらいて、
 「それでいきましょう、それが一番いい」
 と、笑顔になってくれました。私の提案、などとえらそうにいいましたが、じつは、私には、それだけしか出来ることがないのでした。
 3階のスタジオへ上がって、撮影に入りました。彼女とは全くの初対面なのですが、改まったあいさつをするのが面倒なので(私はどこでも、いつでも、だれに対してもそうです)縄を片手につかんで、きわめて軽い感じで、
 「こっちへおいで。さあ、縛られるんだよ」
 というだけです。
 そして縄を一本かけたら、彼女の全身から力がぬけて、へなへなっと倒れそうになったという次第です。
 じつは、川村監督のドラマ撮影に入る前に、パッケージその他に使うスチール写真の撮影が、べつのカメラマン、ライトマン、べつのプロジューサーによる演出でおこなわれ、私が一本目の縄を彼女にかけたのは、まだその段階だったのです。
 ですが、このへんのことを説明すると、ゴチャゴチャして、読んでいる人がわかり難くなり、これはまあ製作会社の内部事情でもあるので、省略します。
 川村監督はしかし、このパッケージ用の撮影のときから、熱心にビデオカメラをまわしていました。ですので、このシーンは当然、ビデオ映像の中に編集されると思います。
 (もし入っていなかったら、私もがっかりだなあ、監督。ぜひ入れてくださいよ。でも、スチールカメラマンに遠慮して、監督、かなり離れた位置から撮っていたからなあ)
 とにかくこのシーン、新鮮で、迫力があって、私にはじめて縛られて、即座に反応する永井なつという美少女の内面と全体像が、自然に、巧まずして出ているいい場面です。私にとっても衝撃的でした。
 (ああ、やっぱりこのシーン、入れてもらいたい。そして、本当の緊縛マニアたち全員にみてもらいたい、衝撃を与えてやりたい、興奮してもらいたい、監督、たのむ、入れてくれェ!没にしないでくれェ!)
 でもなあ、美少女が体に縄を巻かれて失神するシーンよりも、美少女がハダカになって股をひろげ、バイブを突っこむシーンのほうが販売成績は上がるんだ、とプロジューサーに判断されたら、私の願いもむなしいものになる。
 縛られて陶酔する美少女の表情を三分間テープの中に入れるよりも、バイブを股に突っこまれてヒイヒイ泣く美少女のテープを三分間入れたほうが、商品としてはよく売れますから、といわれたら、私はもう黙るより仕方がない。こういう悲しい思いを、これまで何度くり返してきたことか。
 なにしろ「私は緊縛美なんて信じない」などというSM雑誌の編集者がいる時代ですから。「美」とは「エロス」のことなんだけどなあ。
 川村監督への私信という形で今回は書こうと思っていたのだが、いつのまにか「おしゃべり芝居」の読者のための説明になったり、また監督への私信になったり、どうも一貫性がない。
 こうなったらもう順不同(撮影の順番不同という意味)、読んでくださる相手も不同にして、書きたいことを、書きたいように書きます。というわけで、この項つづく。

つづく

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