2010.1.29
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百十三回

 主君の馬前に死す


 半年ほど前(いや、もっと前かな)にお話をいただき、準備をしていた、濡木痴夢男・中原るつ共著による「美濃村晃の世界」(仮題)の執筆に、いよいよとりかからねばならぬ時期になった。
 これは書き下ろしの約三〇〇ページの文庫本である、出版社は河出書房新社である。
 私が書いた原稿を、過去に文庫本として六冊も出していただいている堅実で格調の高い実績をもつ老舗の出版社である。
 私のような志(こころざし)の低い三文文士にとっては、もったいないような権威と、歴史のある出版社であり、あるいはこれが、私の仕事のライフワークとなるかもしれない。
 お話をいただいてから、半年間以上も準備に費やしていた、と書いたが、実際にその準備をしていたのは、中原るつ氏である。
 私は、じつは、なにもしていない。ほかのことをしていた。
(ほかのことというのは、たとえばこの「おしゃべり芝居」のような文章を、あちこちに書いたり、「緊美研」再開の撮影などだが、それについては改めて書くつもりでいる)
「美濃村晃の世界」執筆の準備を、私はすべて、中原るつ氏にまかせっぱなしにしていた。
 画家であり、作家であり、編集者としてもすぐれた天分を発揮された美濃村晃の作品の量は測りしれないほど多く、それ以外の仕事も広範囲にわたっている。
 彼の超人的ともいえる仕事ぶりの記録が、印刷物として、風俗資料館におさめられている。
 その風俗資料館の館長である中原るつ氏が、美濃村作品の最も初期である一九五〇年頃からの資料を揃え、整理するのに最も適した位置におられるのは、当然のことである。
 そして、館長という位置にある以上に、るつ氏は、美濃村晃作品の純粋な鑑賞者として、最適の解説をなし得る人物であると、私は確信する。
 はっきり言ってしまうと、美濃村と行動を共にしていた経歴をもつ私などよりも、るつ氏の鑑賞能力は深く、鋭い。
 そして、冷静で、精密な分析力を有する。
 いうまでもないことだが、美濃村の作品世界は、いわゆる「SM」をテーマにしている。
(私は現在あちこちで、あまりにも安易に、軽薄に、低俗に、ときにはお笑い芸人たちが冷笑的侮蔑的に乱用しているこの「SM」という表現を嫌悪するものだが、ほかに適当な表現がなく、一般的にわかりやすいので、仕方なく今回もまた便宜的に使う)
 その「SM」性癖全般にわたって、るつ氏は奥深い造詣を有し、重厚な理解力を示す。
 複雑にして微妙、無数の種類に分岐するアブノーマル嗜好諸派の細部にわたっての知識と分析力の深度は、永年この世界の仕事にたずさわっている私も舌を巻くほどである。
 正直にいってしまうと、私なんかよりもよっぽどくわしい。
 私の年齢の三分の一ほどの若さでありながら、じつにまあ、特異な才能と見識をもっておられる。
 いわゆるマニアと称される多くの人々と、実際に触れ合ってきた私よりも、その実態および心理に精通しているというのは、一体どういうことなのか。
 アブノーマル性愛についてのいささか意地の悪い私の質問に、さらりと答え、その内容の正確さと深さに私はびっくりし、
「ゲエエッ、この資料館の空間の中にいて、どうしてそんなマニア人間たちの深層心理までわかるんですか!」
 腰をぬかしそうになったことがある。

 二〇〇八年五月に、河出書房新社から出していただいた私の六冊目の文庫本「緊縛★命あるかぎり」に、辞を低くして私は中原るつ氏に解説文をお願いしたのだが、それまでに彼女の豊潤・該博な知識に触れて驚嘆し、何度腰をぬかしそうになったことか。
 この本の末尾に添えさせていただいたるつ氏の解説文「濡木痴夢男のもう一つの顔――猛烈執筆人生」を、まだ読んでいない方は、ぜひ、読んでいただきたい。
 るつ氏からその原稿を手渡され、一読した瞬間、私は感激のあまり、心臓の鼓動が停止し、
「おのれを知るもののために我死す」
 という気持ちになりました。いや、オーバーではなく。
 私が戦国時代における武士だったら、
「主君の馬前に死す」
 という気分である。
 つまり、るつ氏が鎧・兜に身を固め、馬にまたがって戦場を疾駆する武将であったならば、私はその馬の轡(くつわ)を取って迫りくる敵と闘い、主君を守るために斬り死にしてもいい、と思うほどの感動でありました。
(どうも私の形容は芝居じみている。この文章の総タイトルを「おしゃべり芝居」とした由縁であります)
「緊縛★命あるかぎり」という本は、るつ氏の解説文によって、生涯忘れ得ぬ私のたいせつな一冊となった。
 いい年をした大人の私が、なぜこれほど感激したかというと、るつ氏は、その解説文の中で、私が過去に書いてきたものを認めてくださり、堅実で、ひかえめな文章で、しかしたいそうほめてくださっているからである。
 私は、もはや伝説化した「奇譚クラブ」「裏窓」から始まり、いわゆる「SM雑誌」全盛の時代に、小説、絵物語、エッセイなど、多くのペンネームを使って、恥ずかしいくらいに、おびただしい数の文章を書いている。
 それらはほとんどが編集者からの注文であり、原稿の掲載料は私の生活費となった。
 稿料欲しさに、なんでも書く時代があった。ひたすら「SM」に媚びて書いた。
 それらの小説類は、アブノーマル娯楽雑誌に掲載されるレベルのものではあっても、正当な評価を与えられる性質の作品ではなかった。
 結構いい気になって書いていたときもあったが、心の陰の部分では、書くたびに劣等感のようなものがつのっていた。
 ごく普通の娯楽小説(当然通俗小説である)に、アブノーマルの味つけをすれば、すぐに掲載され、稿料をもらえた。
 安易な生活術にちがいなかった。
 私は自分の文章に対して、卑屈だった。いいと思ったことなど、一度もなかった。つねに忸怩(じくじ)たる思いがあった。
 私がさまざまなペンネームを使って書くのは、その卑屈さと劣等感のせいである。
 私は恥ずかしいことに「純文学」を志望していたのだ。
 十代後期から二十代前半までは、いささか過激な、左翼系の文学青年だった。
 それなのに、生活費を得たいがために、低俗(と世間からは指弾されている)な変態小説を数多く書いて生きてきた。
 それらの小説類を、ここへきて、中原るつ氏は、はっきりと認めてくださったのだ。
 素直に、ありがたい、と思う気持ちが私にある。
 私の本に花を添えるため、とか、営業的なあたりさわりのないほめ言葉ではなく、私の文章の一つ一つ(本当にこまかく、わずか数行の短い文章の一つ一つにまで)に誠実に目を通してくださった上での、説得力のある評価であった。
 これまで私が抱きつづけてきた劣等感は、るつ氏のおかげで、すこし消えた。
(すべてなくなったわけではないけど……私の劣等感は根強いのです)
 るつ氏が書いてくださった解説文に、これ以上の感謝の言葉をつらねると、私の作品自身の自慢になりかねないので、このへんでやめておく。
 いかに私が恥知らずの売文業者でも、その程度のわきまえと、分別はある。
 るつ氏のその解説文が、河出書房新社の福島氏のお目にとまり、そして今回の「美濃村晃の世界」(かさねて記すが、これはまだ仮題である)執筆となった次第である。
 私には美濃村晃に対して、肉親以上の濃く熱い感情がある。
 美濃村晃について書くと、私の場合、どうしても感情過多になるおそれがある。
 そこで福島氏は、美濃村作品群を、冷静に客観的に評価でき、そして、綿密にして繊細な表現力をもつ中原るつを一冊の核として、新しく書き下ろしの本を構成されることを決定されたのであろう。
 美濃村晃の死後、彼の作品に対する賛辞はこれまでにいくつかあるが、るつ氏はさらに新鮮な、そして重厚な思慮ぶかい角度から、鋭い刺激的な評文を書いてくださることであろう。楽しみである。
 もちろん私は、よろこんでこの仕事のお手伝いをさせていただく。
 るつ氏の作業のお手伝いなんて、この上なく光栄である。
 これまた芝居じみた表現をゆるしてもらえれば、るつ氏に協力させていただけるこんどの仕事の開始に対して、私はいま再び、主君の馬前で討死するほどの心のたかぶりをおぼえている。
 私の場合、美濃村作品を讃えると同時に、豊饒にして人間味あふれる彼のあれこれを、改めて書きつらねたい。
 何はともあれ、るつ氏のおかげで、美濃村作品の資料は、絵、文章、写真に至るまで、豊富に、華やかに揃った。
 風俗資料館の実力の凄さを見せつけられる思いであった。
 まずは「奇譚クラブ」の創成記から書きはじめたい。

 というわけで、一九四六年(昭和二十一年)、私十六歳の少年時代からこの「おしゃべり芝居」、一気に六十数年を飛び超えて、二〇一〇年になってしまった。
 いま現在、これが私にとって最大のホットニュースなので、ご諒承賜りたい。

つづく

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