2010.2.7
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百十五回

 わが師への礼状


 あっち亭こっち師匠へ。
 拝復、このたびはごていねいなお手紙、ありがとうございました。
 そして、お手紙と一緒に、早稲田演劇博物館における「並木宗輔展」の重厚な解説資料パンフレット、および初代豊国、二代豊国、三代豊国の美しい芝居絵のポストカード、山川静夫氏の講談社からの新刊、「大向こうの人々」(歌舞伎座三階人情ばなし)、さらには、豪華絢爛といっていい位の地方雑誌「しもつけの心」など、たくさん、たくさん、お送りくださいまして、ありがとうございました。
 この地方誌は、内容の豊富さからいっても、資料的な価値からいっても立派なもので、正直いってびっくりしました。
 なぜ私に、このような雑誌を送ってくださったのかというと、それは、この「しもつけの心」の中に、わが愛する「かたばみ座」のことが書かれてあったからでした。
 清水一朗とおっしゃられる伝統芸研究家の方が連載しておられる「下野芝居風土記」の中に、「宇都宮釣天井」の芝居についての記述があり、そこに、かつてその芝居を上演した、東京の寿座、および「かたばみ座」の名前が登場するのです。
 あっち亭の師匠は、そのページに、わざわざしおりをはさんで、私に送ってくださったのでした。
 なんというありがたいご配慮。いつものことながら感謝感激です。
 さっそく拝読。清水一朗氏は郷土史家としても実績のある方なのでしょう、「宇都宮釣天井」の芝居についての解説をこまかく、ていねいにされておられ、勉強させていただきました。
 釣天井の講談や、芝居や、映画は、大正時代から昭和にかけて、ずいぶん人口に膾炙して、私も馴染んだものですが、歌舞伎では見ていませんでした。
(かたばみ座は、こういう珍しい狂言を、好んで選び、しかもかなり達者に演じたので、いまだに芝居好きの人たちの口の端に、こうしてのぼるのでしょう)
 清水一朗氏は昭和九年生まれと紹介欄にありました。私より四歳年下の方ですが、古いものをよく見られ、記憶しておられると思います。感服つかまつりました。
 清水氏が書かれておられる東宝映画「家光と彦左」(小国英雄脚本、マキノ雅弘監督)は、昭和十七年の封切り直後、私も日比谷の有楽座で見ていますが、当時の人気スター、古川ロッパと長谷川一夫の顔合わせとあって、もう太平洋戦争も始まっているというのに派手な似顔絵の大きな看板を劇場に飾って、華やかに宣伝していたのを、子供心によくおぼえています。
 喜劇スターのロッパ物ですので、明かるい音楽と歌入りの楽しい時代劇でした。
 ですが、かんじんの「釣天井」シーンは、なぜか私の記憶にうすいのです。釣天井なんか出てきたかなあ、という感じです。
 こののち、やはりロッパと長谷川一夫の映画で、講談ダネの名医名優物の「男の花道」を、やはり有楽座で見ています。
 これはもちろん、例の講釈ダネの「名医と名優」物で、長谷川一夫の加賀屋・中村歌右衛門、ロッパの眼科医・土生玄蹟(はぶげんせき)の報恩友情話です。
 私などより、あっち亭の師匠のほうが、ずんとおくわしいのですが、講談のほうでは、医者の名前が半井(なからい)源太郎、のちの半井法眼で演じられるこの「名医と名優」物語は、わが敬愛する吉沢英明先生の御本、「講談作品事典」の中でくわしく解説されているのを、今回改めて読ませていただき、勉強いたしました。
(一週間後の吉沢英明先生の講演会にお誘いくださいまして、ありがとうございました。かならずお供つかまつります。また、さらに一カ月後の講演会のあとには、吉沢先生のお邸へお招きくださるとのこと、光栄至極に存じます。かならず参上いたします)

 ところで、いま、ふっと思い出しました。
 私のこの「おしゃべり芝居」は、いま少年時代の私が、劇団「東舞」に入ったところでひといきついていますが、「東舞」で私に与えられた仕事の、いちばんはじめは、なんと、この古川ロッパが主演する映画へ、エキストラとしての出演だったのでした。
 それは、敗戦直後の東宝映画で、たしか「わが歌に翼あれば」というようなタイトルだったように記憶しています。
 当時人気のあった加賀美一郎というボーイソプラノの少年歌手と、ロッパが共演する映画でした。
「東舞」から五、六人の少年が選ばれ、主演の加賀美一郎とからむ「学友たち」として出演したのです。
 撮影所は、東宝の砧スタジオでした。
 本番を待つ間、ロッパは自分専用の椅子にどっしりとすわり、スターらしい余裕のある温和な顔で、あの特徴のある、
「フォッ、フォッ、フォッ」
 という笑い声を発しながら、スタッフの人たちと何かしゃべっていました。
 加賀美一郎がそのロッパの体にからみつき、私たち「東舞」からきたエキストラに、見せびらかすようにしてふざけていました。

 話が横道に外れました。すみません。
 昭和三十一年の新東宝映画「怪異宇都宮釣天井」も、私は浅草で見ています。
 私は大体、こういうおどろおどろしいお話が好きなので見逃しておりません。
 映画とかテレビの時代物に出てくる「釣天井」物の場合、見ていて、いつも奇妙に思うことがあります。
 将軍暗殺のために作る「釣天井」の仕掛けが、どうもよくわからないのです。
 天井裏に据えつけて噛み合わせてある木製の大きな歯車が、いざというときに、ギリギリ、ギイギイ、ギシギシ鳴りひびいて動き出します。
 複雑に噛み合わせてある歯車が、いっせいに回りはじめると、どこかで何かが動き出して、天井が落下し、その下にいる人間は押しつぶされるという仕掛けなのですが、それがよくわからない。
 第一、あんなに歯車がギリギリガッタン大きな音をたてて動いたら、その下にいる人間の耳に聞こえて、危険を知らせることになります。
 まあ、どんな映画を見ても、危機一髪のところで歯車は停止して、お殿様は難を逃れることになります。
(テレビの水戸黄門なんかにも、この種のシーンはよく出てきます)
 素朴な木製の巨大歯車が、ものすごい音をたてて回転するわりには、天井が落下するメカニズムがさっぱりわからないところが、じつにおかしい。楽しい。好きです。
 城内に閉じこめられて歯車を作っている職人、大工たちが、謀反人たちの秘密保持のために、完成後ころされてしまったり、殺されそうになったりします。
 大工の頭梁に美しい娘がいて、その娘と、反逆者の中の若い侍が恋人同士で、さあどうなるか、というストーリーもありました。
 まあ、いろいろとドラマティックではあります。
 将軍家光とその側近たちを抹殺するのだったら、こんな大仕掛けで露顕しやすい道具をわざわざ作るよりも、夕食のときの汁碗の中に毒薬でも混入しておけば、かんたんに、まちがいなく殺せるのに、と思ったりします。
 この「宇都宮釣天井」の話も、吉沢英明先生の「講談作品事典」の中にくわしく書かれています。

 また話が脱線してしまいました。
「仮名手本忠臣蔵」
「菅原伝授手習鑑」
「義経千本桜」
 の作者というと、私などはすぐに竹田出雲の名前を思い浮かべるのですが、この名作の中の元も重要なシーンは、並木宗輔(千柳)が書いていたのですね。
 そのことを、師匠からいただいたこの早稲田演劇博物館の資料パンフレットの中で知りました。
 私のいちばん好きな「菅原伝授手習鑑」の八幕目(文楽では四ノ切)「寺子屋」は、実質的に並木宗輔が書いた形に近いとか。
 私はこの「おしゃべり芝居」の中で、つい調子にのって「いろは送り」の浄瑠璃文句を書き写してしまいましたが、あれは並木千柳が作った名場面だったのですね。
 この資料パンフレットの中で、竹田出雲、三好松洛、並木千柳(宗輔)の浄瑠璃合作問題について執筆しておられる内山美樹子氏は、あっち亭師匠の恩師とか。
 私の恩師は、あっち亭こっち師です。
 山川静夫氏の御本「大向うの人々」(歌舞伎座三階人情ばなし)は、やっぱりおもしろいです。
 全身の血が、痺れるほどにおもしろいです。くやしいけど、おもしろいです。
 読めば、このくやしさにのたうちまわる自分を知っているから、読まないでおこうと思っていました。
 だけど、読まずにはいられません。
 読んで、やっぱりのたうちまわりました。
 彼の位置に、嫉妬し、殺したいほどの羨望を感じますが、やっぱりおもしろいです。
 涙が出るほど、おもしろいです。
 うらやましくて、うらやましくて、気が遠くなるほどですが、一方で、あたたかい思いに、全身が包まれます。
 こういう陶酔と、快惚の世界があるのですね。
 私には手が届かない絢爛たる世界です。
 私は努力することの嫌いななまけもので、なにもかも貧しく、いじけているので、指をくわえ、涙をうかべて眺めているだけです。
 ありがとうございました。
 私ごとき者への、いつに変わらぬご配慮、心からありがたく思っております。
 いつもいつもお心にかけていただき、感謝しております。

つづく

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