2010.6.5
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百三十一回

 「人質」撮影五日前


 緊縛ドラマ「人質」撮影の、全体のプロデューサーであり、同時に演出も担当される山之内幸氏に声をかけられ、制作スタッフの面々が、三和出版のスタジオに集まった。
 撮影を五日後にひかえて、作品のテーマ確認のための打ち合わせである。
 カメラマンのりゅう君もきた。
 りゅう君の顔をみた瞬間、私は、
「おっ、きてくれたか!」
 思わず、はずんだ声をあげた。
 りゅう君は、可愛さ余ってシリーズ・1の「人妻監禁酒場」撮影のときのカメラマンである。この映像の好評は、彼の撮影感覚に因(よ)るところが大きい。
 じつはスケジュール調整の都合で、今回の撮影に、彼が参加できるかどうか、未定だったのだ。
「やってくれるのかい?」
 顔をみたとたんに、私はいきなりきいた。
「はい」
 と、彼は笑顔をみせてくれた。
「忙しいのじゃなかったのかい?」
「ええ、まあ。でも、やります。やりたいです」
 りゅう君の参加の意志をたしかめて、私は大きな安心を得た。
 ドラマの成否は、カメラマンの力に負うところが大きい。
 私がりゅう君のカメラを信頼できるのは、彼が、私たちと同じ「世界」に呼吸する人間だということが、わかっているからである。
 で、うれしくなった私は、これからあと、もっぱら、りゅう君を相手にしゃべることになった。
 カメラを操作する撮影技術の巧拙よりも、私たちと同じ体温をもち、私たちの「世界」に呼吸できる人間であること、これこそ私の立場にとって、ゆるがせにできない重要なポイントなのである。
 いかに最新の器具や道具をとりそろえ、高度なカメラ技術を駆使する力を誇っていても、私たちの繊細な「世界」を、根本的なところで理解し得ないカメラマンは、私にとって無用の存在なのだ。
 くり返して言わせてもらおう。
 おれは「SM」を知っている。「SM」の仕事も多くやっている。だからおれは「SM」カメラマンだ、と自負しながら、じつは、私たちの真の「心」を理解し得ない人物が、結構数多くいるのだ。
 そういうカメラマンと一緒に「緊縛写真」制作の仕事をしていても、結局は表面的な「形」だけで、奥底にひそんでいる「心」の情念を写すことはできない。
 形だけの「SM」をいくら知っていても、マニアを感動させ、興奮させ、勃起させる写真が撮れるはずはない。
 ベテランを自称するその種のカメラマンとくらべて、キャリアは未熟でも、マニアの心をゆさぶるような写真や映像を撮る人のことを、私は知っている。
 りゅう君は、そういう意味で、信頼できる若者である。基礎的な知識も勉強も、しっかりと身につけている。なによりも「人妻監禁酒場」を、私の狙いどおりに撮ってくれた。そしてそのテープをうまく編集してくれた(編集という作業は、大変な手間とセンスを必要とする仕事なのだ)。
 ついでにいえば、そのテープを発表する際に、さらに短く編集したのが、山之内幸氏なのである。
「第一作目が好評だったのは、あの息づまるような密室感がよかったせいもあると思います。ファーストシーンで、あのせまくて急な階段を引きずられていくところはおもしろかった。五、六人すわっただけで満員になってしまうような小さい酒場だったから、ああいうリアルな緊迫感が出たんですよね」
 と、りゅう君。
「あのせまくて古めかしい銀座の酒場が○○○○であることをわからないようにして撮ってくれとオーナーから言われているので、ますますせまくて、きゅうくつな撮影現場になった。そのせいで息苦しいような圧迫感が出たんだ。あの重苦しい雰囲気が、まず、よかったね。いまはきれいで広くて一見清潔感のあるマンションスタジオなんかでの撮影が多いから、ああいう鼻と鼻とがぶつかりそうな、迫力のある、せっぱつまった画面の感じになりにくい」
 と、私。
「あの酒場にくらべて、このスタジオは天井も高くて広いから、音や声のひびきだけで室内の広さがわかってしまいますね。注意しないといけない」
 りゅう君のこの言葉に、私は感心した。たのもしい。
 声と音だけで空間の広さがわかる。
 たしかにそうだ。
 せまい密室のなかで、あくまでも隠微(いんび)に、そして淫靡(いんび)な映像を作らなければならない。
「うん、だからね、おれの台本には、女を二人も誘拐し、監禁している悪い男は、つねにボソボソと、低く暗く、重い声でしゃべること、女の耳もとにぐちぐちと怨念をこめて、ねちっこく、ささやくように、いやらしくしゃべること、と書き込んであるんだ」
 山之内幸氏が、私の台本を自分の手もとに引き寄せてひろげ、
「あ、ほんとだ。いっぱい書き込んである」
 と、つぶやいた。
「おれの声がうっかり大きくなったら、かまわないから、後ろからおれのケツを蹴りつけてくれ」
 と、私は山之内演出家に言った。フレームの外側からだったら、なにをしたってかまわない。
「え、ほんとにそんなことして、いいんですか?」
 と、女性演出家はうれしそうに言った。
「ぼくらの作ろうとする映像は、基本的に"秘めごと"なんですから、あくまでもせまい密室のなかで、世間に隠れてよくないことをやっている人間の、湿っぽい息遣いと体臭を、見てくれる人に感じさせなければね。妖しく爛れた匂いを全体的に漂わせたいですよね」
 りゅう君のその言葉が、私の心をますますはずませ、うれしくさせた。
「そうだよ、そうだよ、りゅう君。ああ、きみはいいことを言うなあ!」
 若いカメラマンのこの言葉で、私はこんどの「人質」の撮影は、もう成功したようなものだ、と自信を持った。
「女を二人も誘拐してきて、ねちねちいやらしく責めるシーンばかりだから、おれは宙吊りなんかやらないよ。誘拐犯人は、女をわざわざ宙吊りにするような遊び心なんてないと思うよ。ヒマもないしね。よくある宙吊りの映像を、きみはどう思うかね、りゅう君?」
「あれは……サーカスですね」
 ずばりと、りゅう君は言った。
 宙吊りなんて、「SM」ではなくてサーカスであり、見世物でしかない、と。
 その言葉にも、私は満足した。
 とはいうものの、宙吊りショーを四十年前に始め、雑誌やビデオ映像の中で、私はおそらく三千回以上やっている。
 宙吊りは、たしかに、見た目が派手なのである。
 クライマックスに宙吊りをやって見せると、なんとなく構成上まとまったような気分になる。縄もたくさん使うし。
 自己満足は多少あるが、どうも「SM」とは違うな、という気分がいつも私のなかにある。
 見ている人をこのへんで一つおどろかしてやろう、と思って宙吊りをやるのだ。
 だが、いまはもう、どんなに高く吊り上げたところで、さほどおどろいてくれない。もうめずらしくない。いってみれば、マンネリの極致だ。
 正直にいうと、宙吊りをやると、私はなんだか自分がみじめに思えてくる。
 これが「SM」かい、こんなことしかできないのかい、と。
 そういう思いを払拭したい思いもあって、私は「人質」に出演し、「悪い男」を演じるのだ。
 私が出演する「人質」撮影現場を、当日、「見学」したいと言って、アメリカから白人が三人やってくるらしいのだが、山之内幸プロデューサーが、その申し出を断ってくれた。
 撮影現場に見物人がいることによって、スタッフや出演者の気持ちの集中力が、すこしでも損なわれることを、プロデューサー兼演出家は怖れたのである。
 もちろん、お断りすることに、私も賛成である。大賛成である。
 せまい空間に、異国からの見物人が三人も呼吸していたら、紫苑さんや冬木さんの気が散ること、明白である。
「人質」撮影に無関係な見物人など、はっきり言えば、邪魔である。
 撮影前日、山之内プロデューサーは、べつの仕事で、盛岡市へ出張されるという。忙しい人である。
 盛岡、東北新幹線、遠い。
 無事にもどってきていただきたい。
 気力も、体力も、いまと同じ充実さを維持したままで、いや、さらに元気を増して、もどってきていただきたい。

つづく

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