2010.6.2
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百三十回

 「人質」撮影八日前


 先日書いたビデオ映像用の台本「人質」が好評で、とくに、全体のプロデュースと、演出を担当してくださる山之内幸氏、そして、この台本のそもそもの企画者である中原るつ氏から、
「おもしろい」
 というお言葉をいただいたのは、ありがたかった。
 前にもちょっと書いたが、私はこんどの撮影もいつものように、縛られることに慣れているモデル女性を、縛ることに慣れている「縛り係」の私が、縄で縛って、なにか「責め」みたいなことをして、そして縄を解いて、ハイ終わり、という段取りにしようと思っていたのだ。
 が、そういう映像が、もうとっくにマンネリであり、安易であり、みんな飽き飽きしていることは、いかに頭のわるい私でも知っている。
 知ってはいるが、こういう何から何まで慣れ合いの、予定調和きわまる映像の撮影が、じつは、演じる者としては、いちばん楽なのである。
 だが、しかし、
「楽して作った映像なんで、いまどきだれも見てくれませんよ。なまけてはいけません。可愛さ余って憎さが百倍シリーズの第一回目は、あんなにも好評だったではありませんか。あの二作目をやりましょう。みんなで苦労して、またおもしろい緊縛作品を作りましょう」
 と言って、励ましてくれたのが、中原氏なのである。
 なおも渋る私を、二度三度とくり返して、中原氏は叱咤激励してくれたのだ。
 私は応じ、「人質」を書いたのだ。
 さらに山之内、中原両氏ともに、この「人質」撮影協力に、私が期待した以上の「ヤル気」を表明してくださったのだ。
 私が台本に描いたイメージが、すぐに両氏に伝わったのだ。
 私は大きな自信と、勇気を得た。
 私は生来お調子者(なにしろ浅草生まれの浅草育ちである)なので、どんなに張り切っていても、周囲の人間にそれほどの反応がなく、冷静でいられると、すぐに「ヤル気」をなくしてしまう。
(つい最近の、私の婆里亜不利ナントカ集団からの脱走、そして歴史博物館から依頼された「立ち絵・ご存知鈴ケ森」を受諾したときの私の言動を、すぐそばで見ていた山之内、中原両氏には、私のお調子者ぶりが、如実におわかりのことだろう。アア、恥ズカシイ!)
 私と同じ気持ちになって、私と同じ方向に情熱を示してくれ、協力を誓ってくれると、とたんにもりもり、ムラムラと炎をあげて燃え上がる。それが私の性癖だ。
 中原氏が、私の手書きの台本を、すぐにパソコンを利用して、きれいに印刷、あざやかに製本してくださったことに私は感動した。
 スタッフ、出演者たち全員にゆきわたる部数を、あっという間に作ってくださったのだ。
 現場で使いやすいように配慮された印刷、そして製本された、まことに美しく立派な台本である。
 私はさっそくその台本を、沢戸冬木さん、霞紫苑(かすみしおん)さんに郵送した。
 二人とも、以前からつき合っていただいている、信頼できる仲である。
 つき合っているというのは、つまり「縛っている」ということだ。
 二人とも従来の「緊縛映像」などでは見ることのできない、「真実の反応」を見せてくれる女性である。
 他人に見せるための反応ではなく、彼女たちの心の底からの、肉体の芯からの、激しい偽りのない反応である。
 くり返すが、紫苑さんよ、冬木さんよ、「他人に見せるための反応」は、不要である。「他人に見せるための反応」は、この撮影では、絶対にしないでいただきたい。
 しかし、私のこの願いは、本来無駄なことである。
 私に縛られるときの、この二人の反応を、初めてごらんになられる方は、その真実性に愕然となるにちがいない。
 八日後の、二人の女性の反応が、いま目にみえるようだ。
 でも私は、格別に改まった気持ちで、当日撮影現場で、二人の女性に、こう言うだろう。
「だれに見せるためではなく、自分たちのために、精いっぱいやろうよ。自分たちのために……。おれもやるよ。自分のために」
 ああ、そのときの、二人の瞳の輝きが、いま目に見える。
 私は、従来の濡木痴夢男を捨て、「可愛さ余って憎さを百倍抱いた」悪い男になる。
 小器用な手つきで得意げに縄を操る「縛り係」を捨て、「執念深い悪い男」になる。
 るつさんが作ってくれたきれいな台本の中に、私はもう「悪い男」になるための書き込みを、たくさんしてしまった。
 第三者の耳によく聞こえるような、明確なセリフ回しではなく、あくまでも暗く、陰気に、ぶつぶつ、もぞもぞ、モグモグと、「可愛さ余って憎さが百倍」の執拗な怨念をもった男の口のきき方に徹すること、などという文字を台本の中に書き込んでしまった。
 このシリーズを「可愛さ余ってシリーズ」にしようと提案したのは、じつは、中原るつ氏なのである。
「可愛さ余って憎さが百倍」
 なんと、この短い言葉にこそ、緊縛ドラマ、いわゆるSMドラマの、ゆるがせにできない真髄があるのだ。
 緊縛行為の一面の真実が、絶妙のニュアンスでこめられている。
「可愛さ余って」という心情を、ドラマの核にしなければならない。
 え?
 この言葉の、どこにそんな意味があるのかって?
 私が説明しなくても、どうかわかっていただきたい。
 わからない人は……そうです、この「人質」の映像を見る資格のない人です。
 この映像を見ても、つまらない、と思うだけの人です。

つづく

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