濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百三十三回
「人質」撮影二日前
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前回の「人質」撮影三日前を読んだスタッフの一人から、さっそく私のところへ電話がかかってきた。
こんどの撮影に対する濡木先生の熱い気持ちがよくわかって、とっても勇気が出て、私も力いっぱい、お手伝いさせていただく意欲がわきました。
ところで、現場で、さらに濡木先生に、しつこく熱を入れてやっていただきたいシーンがあります、と言う。
「へえ、それはどこ? 遠慮なく言ってください。私にできることだったら、なんでもやります」
と私。
台本の中に「悪い男」が、冬子の縄をいったん解き、ふたたび縛りなおすところがある。そのシーンを、ちょっとここに書き写してみる。
男「こんどは後ろ手に縛ってやる。手を背中にまわせ」
冬子、首を横にふって抵抗する。
男「いやだと言うのなら、姉さんをまた責めるぞ」
ふたたび細いムチで、夏子の体のあちこちをいやらしく突く。哀れにもがく夏子。それを見て冬子、くやしさに悶えながら、両手を背中にまわす。
男「もっと高く手首を上げろ。もっと高く、もっと高く、もっと高く上げろ!」
男、舌なめずりする気持ちで、冬子の両手を、ゆっくりと縄で縛りあげていく。激しく過酷な後ろ手高手小手。
ここはクライマックスともいうべき見せ場なので、ていねいに、情念をこめて、こまかく撮ること。
――と、私は台本に書いた。
このドラマのヒロイン役の冬木さんは体が柔らかく、首筋も腕も細いので、後ろ手首が高い位置できびしくきまる。
高手小手マニアにとっては、まったくもう、こたえられない位に、魅力的に、いい形にきまる。
いい形というのは、見ていて刺激的だということだ。
見ていて刺激的ということは、即エロティックということだ。
だから私は、このシーンをクライマックスの一つにしたのだ。
「おれはSMビデオの大監督だ。いままでにSMビデオを二百本撮っている」
といばっている監督に「縛り係」として雇われたことがある。
が、高手小手がセクシーだということを、その監督はどうしても理解してくれない。
やたらに両足を左右にひろげた形での開股縛りを私に命じる。何度も命じる。
裸の女がいくら足を大きくひろげたって、われわれが興奮するわけがない。
太いバイブレーターを紐で支えて挿入し、ぬけないように固定させる。
私はまた指先が器用なものだから、そんな監督の命令にも、ハイ、かしこまりましたと言って、気軽にスイスイやってしまうのだ。
「手首を背中で高く縛って、なにがセクシーだ。セクシーとは、こうやって大股びらきにして、バイブの太いやつをガツンガツンとねじこむことを言うのだ」
得意満面になって、その監督は言うのだ。
私はあきらめるより仕方がない。
こういう感覚では、高手小手の官能味などわかるはずはない。
ま、そんなことはともかく、電話のむこうのスタッフは、
「冬木さんの高手小手縛りのシーンを、ゆっくりと、しつこくやってください。自ら両手を背中にまわすという行為が、映像の中で緊縛プレイのシーンではなく、心理がせめぎ合う緊縛ドラマのシーンとして撮られることは、非常にめずらしいと思います。貴重な記録映像として残しておきたい」
と、しきりに言う。
冬木さんの後ろ手高手小手が、まれにみる位に美しく、エロティックだということを、すでに見ていて知っているのだ。
「うん、やるよ。ゆっくりと時間をかけて、しつこく、しつこく、ねっちりとやるよ」
と、私は言った。
スタッフからのこういう励ましの言葉は、率直にうれしい。うれしくてたまらない。
冬木さん扮する冬子を高手小手に縛りなおす手順をもうすこしこまかく考え、ついでに冬子の心理も書いておこう。
男は冬子の細い手首をつかむと、ぎゅうっと乱暴に背中にねじまわす。
そして、左右の手首を引き絞るようにして、ぐいぐいと高い位置に上げる。
もちろん冬子は抵抗する。
「おとなしくしろ。ここまできたら、もうあきらめるんだ。お前がおとなしく縛られないとな、お前の姉さんが、ひどい目にあうんだぞ」
冬子、思わず夏子に目をむける。
その目の先に、もがいている哀れな夏子の姿。
「さあ、手首をもっと上にあげろ。あげたまま、じっとしていろ」
冬子、くやしい。
恨みのこもった目で、卑劣な男にふりかえる。
「どうした、おれのいうことがきけないのか。さあ、手首をもっと高く上げろ!」
男はせせら笑い、冬子はくやしげに顔をゆがませる。
男への怒りと、姉を思う心の、せつなく、はかないせめぎ合い。
冬子、ついにあきらめ、首をうなだれ、自分の意志で背後の手首を上にあげる。
「もっとだ、もっと上げろ!」
勝ち誇ったような男の残忍な声。
「ふふふ……そうだ、それでいいんだ。さあ、縛ってくださいと言ってみろ。お願いですから縛ってくださいと言うんだ!」
冬子、顔を動かすが、サルグツワのために言葉にならない。男はゆっくりと縄をかけていく……。絶望的な冬子の姿……。
スタッフからのこういうポイントを衝いた注文はうれしい。ヤル気のある証拠だ。
注文は、どんなにこまかくてもいい。
私にとって最高にありがたいことである。
私はさらにヤル気が出て、全身の血が勇気でまた熱くなる。興奮する。
私の血が熱くなるということは、その熱さが「縄」にも伝わるということだ。
また愚痴になるが、「SM」を理解するスタッフが一人もいない現場で「SM」ビデオの撮影をやった経験が、過去に何度もあった。
たとえ「SM」が嫌いでも、お金にさえなれば、そういう現場にも人は集まる。
そういう人たちと一緒に、私も一生けんめい働く。だが、心身ともに疲れる。
周囲の人間たちが、みんな「敵」のように思えるときがあって、せつなく、悲しい。孤独感だけが増幅する。
そういうときの私は、撮影終了と同時に、現場から姿を消す。
ああ、そのようなむなしい現場にくらべて、二日後にせまった「同志」に囲まれての撮影は、なんと心強い、楽しいことだろう。
力の限りやらなければ、罰があたるというものだ。
(そうだ、もう一度「縄」の点検をしよう)
二日後、私がどんなに張り切ってバカな真似をしても、私を嘲笑する人間は一人もいない。
冬木さんからもFAXで手紙がきた。
いつものようにていねいな手書きの格調高い、美しい文字である。
――濡木先生が台本を書かれた作品に、私などが協力させて頂くことが出来、とても嬉しく思っております。(中略)先生がおっしゃっておられるように、瞠目すべき作品を目標とするより何よりも、それ以前に、「自分たちのために」楽しみ、喜びを共有すべく、精一杯、協力させて頂きたく思います。どうぞ当日は、宜しくお願い致します。沢戸冬木。
前回の、「人質」撮影三日前を読んで、すぐに電話をかけてきてくれたスタッフに、私は心から、
「ありがとう、ますます元気が出たよ」
と、礼を言った。ちなみに、そのスタッフというのは、このドラマ「人質」の企画者である中原るつ氏である。
(つづく)
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