濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百三十四回
「人質」撮影前日
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沖縄の霞寿(かすみ・ことぶき)氏から速達郵便でお手紙をいただいた。
寿氏は、「人質」に出演する紫苑(しおん)さんのご夫君である。
半月ほど前の夜、お電話をいただいて、こんどの紫苑さん出演の撮影のときは、一緒に行きたいと申されていたが、体調をくずされて現在入院中とのこと。
まことに残念である。
ご夫君にきていただければ、重要なスタッフの一員としてご協力願ったものを。
以下は、寿氏からの手紙。
「人質」撮影八日前、五日前、三日前と、連続しての「おしゃべり芝居」、しかと、拝見いたしました。
濡木先生をはじめ、スタッフのみなさまのこのドラマにかける情熱が伝わってきます。
お送りいただいた中原るつさんが作られた完成台本には、かなりビビリました。
だって私どもがSMビデオに出演するとき、台本があったことなんて、一度もなかったのですから。
紫苑が初めて濡木先生に縛られたのは二〇〇四年五月、たしかコアマガジンでの撮影のときでした。
彼女はあのときの同じような新鮮な反応をきっとすることでしょう。
夫として、完成した映像、いや、撮影中の彼女をすぐ見たいのですが……。
残念です。
以上のような文面である。
ご夫君寿氏のこの速達便で、私は思い出した。
そうか、あれからもう六年もたつのか。
新宿・抜け弁天、田中スタジオの地下(このスタジオはもうない)で、初めて紫苑さんを縛ったのだ。
このときは、寿氏も一緒だった。
「この人は、ずうっと前から、濡木先生に縛られることに憧れていたんですよ」
ニコニコと柔和な笑顔で、寿氏は私に言った。
あの撮影のときの強烈な印象を忘れることができない。
私が縄をかけると同時に、紫苑さんは恍惚状態になり、ほとんど意識を失ってしまったのだ。
「縄」への思いが、これほどまでに強いと、「縛り係」としての私は、冥加(みょうが)に余る思いである。
それだけに、縄を肌に受けたときの濃密な被虐感は相当なものである。
縛りあげて転がしておくだけで、強烈な被虐エロティシズムを、小柄な肉体からむんむんと発散させる。
「縛り係」として、こんなにも縛り甲斐のある女性は、めったにいない。
しかし――。
しかしである。
こんどの「人質」は、ドラマである。
紫苑さんは、私が扮する「悪い男」のために、妹の冬子よりも先に誘拐され、縛られて監禁されているのである。
つまり、ドラマ「人質」における、その人質を、紫苑さんが演じるのである。
だから。
だからですよ。
私に縛られても、うれしそうな顔をしていては、いけないのです。絶対にいけないのです。
わかりますね?
陶酔してもいけない。恍惚になってもいけない。
始めから終わりまで、誘拐犯人を憎み、ギラギラと怒りの目でにらみつけ、妹の哀れな姿をみては悲しみ、ときには涙をながし、すきがあったら逃げようとしていなければならない。
私にむける目は、つねに軽蔑と、恐怖と、憎悪と、怒りに満ち満ちていなければならない。
ご主人が浮気をしそうになったときに見せるあなたの怒りの目。
あれがいい。あれは凄い。あれはこわい。
あれをやってください。
お願いしますよ、同志よ。紫苑さんよ。
さあ、今夜は私も早くねよう。
ねる前に、もう一度、縄を点検しておこう。
(つづく)
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