2010.6.12
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百三十五回

 喧嘩屋五郎兵衛


 この劇団の芝居には、プログラムというものがない。
 演目が毎日替わる。
 昼夜二回興行のときは、昼と夜の演目が替わる。つまり、昼夜まったくちがう芝居をやる。
 それゆえに配役表とか、プログラムのようなものは作らないのであろう。
 作らないというより、作れないのかもしれない。
 これからどんな芝居をやるのか、はっきりとは客に教えてくれない。
 開演時刻(これはきちんと正確に守られる)がせまっていても、プログラムがないので、これからやる芝居の題名が、客にはわからない。
 開幕の拍子木が鳴る寸前に、芝居の題名がようやく客席に告げられる。
 開幕寸前まで、舞台でなにが行われるかわからないというのは、スリリングである。
 直前まで題名を教えてくれないので、当然これからやる芝居の内容もまったくわからない。想像できない。
 ふしぎといえば、ふしぎなしきたりである。
 だが、ふしぎだと思っているのは私だけで、満員の客席にあるのは、熱く純粋な期待だけである。客はこの一座を、信頼しきっているのだった。
 だが私は、それほど信頼しているわけではない。信頼してないけど期待感はある。
 この日もそうだった。
 幕の向こう側で拍子木が鳴らされ、いきなり、
「では、喧嘩屋五郎兵衛の開幕でございます」
 と、アナウンスされた。
 それをきいた私は、思わず隣席の彼女の耳にささやいた。
「おっ、喧嘩屋五郎兵衛。これはおもしろいよ。大阪の侠客の話で、明かるいお笑いがいっぱいの芝居だ。きっとたっぷり楽しませてくれるよ」
(喧嘩屋五郎兵衛は時代物なので、本来なら、「大坂」と記さねばならないのだが、演じているのは「大阪人」なので「大阪」と統一して書く)
 幕があくと、やくざ姿の男が、二人登場して、関西訛で、ここが大阪の住吉大社だということを説明する。
「ね、大阪の話でしょ、やっぱり大阪の侠客の話だ、これは明かるくておもしろいよ」
 私は期待し、彼女にまたささやいた。
 この種の一座は、喜劇をやらせたら、みんなおそろしく達者なのだ。
 ところが、私はこの「喧嘩屋五郎兵衛」という芝居を、じつは、これまで見たことがない。
 講談とか、浪曲できいたこともない。小説や戯曲で読んだこともない。
 もちろん自分で書いたような記憶もない。
 見もせず、聞きもせず、読んだこともない大阪の侠客物語を、どうして私は知っていたのだろう。
 演目がアナウンスされると同時に、私は得意になって、
「やっぱり大阪の話だ。住吉大社、ね、これはいいぞ、笑わせてくれるぞ」
 声をはずませて、彼女にそう言ったものだ。
 ところが――
 この芝居、明かるくも楽しくもなく、笑わせてくれるどころか、とんでもなく暗くひねくれた、救いようのない悲劇の様相をみせて展開するのである。
 私のイメージにある喧嘩屋五郎兵衛は、明朗にして闊達(かったつ)、東映時代劇全盛のころの恰幅(かっぷく)のいい市川右太衛門扮するところの町奴(まちやっこ)である。
(ちなみに、闊達というのは、心が広く、小さな物事にこだわらないさま、をいう)
 関西訛が終生ぬけずに、妙な江戸弁を使う市川右太衛門。でもやたらに明かるい個性。
 その右太衛門扮するかっこいい町奴の親分が、酔った悪侍たちにからまれて逃げ惑う美しい町娘を、さっそうと救う華やかなワンシーン。
 それが、喧嘩屋五郎兵衛のイメージであった。
 しかし私には、その右太衛門の町奴の、やたらに強くてかっこいいシーンは記憶にあるが、その人物が喧嘩屋五郎兵衛だったと断言する自信はない。
 私の五郎兵衛に関するイメージは、たったそれだけしかないのだ。
 なのに、私はどうして幕があくと同時に、この芝居はおもしろいよ、笑わせてくれるよ、などと言ってしまったのだろう。
 わからない。
(ま、結局、私はオッチョコチョイの粗忽者ということか)
 いま目の前の舞台は、大阪の住吉神社の鳥居外。
 登場した五郎兵衛は、なんと右目の周囲に、はっきりと青痣のある、みるからに暗い雰囲気の人物であった。
 この青痣は、じつは生まれつきの痣ではなく、幼いころ、五郎兵衛の兄が粗相をして、弟に負わせてしまった火傷のあと、ということらしい。
 兄はそのことで、弟に大きなひけ目を感じている。
 そんな陰気な設定から始まるドラマなのである。
(ややや、これは様子がちがうぞ)
 と、私は見ていて首をひねる。
 明朗闊達な場面なんか、ぜんぜん出てこない。
 そして芝居は、私の期待とは逆の方向へ、どんどん展開していく。
 この喧嘩屋という異名(あるいは名声)を持つ侠客(だろうと思う。説明がないのでわからない)の一家へ、伊之助という二枚目の旅にん(これも当然、渡世人姿)が草鞋(わらじ)をぬいでいる。
 住吉神社の境内で、乱暴者にからまれている娘お糸の危難を助けたのが、この伊之助。
 ところがお糸は、その伊之助を、喧嘩屋五郎兵衛と勘違いして惚れてしまう。
 お糸が早合点して愛してしまった相手が、五郎兵衛ではなくて伊之助だったことが、この芝居の重要な骨子となる。
 お糸は器量よしの、大店のお嬢さんなのである。
 そこへ出入している(らしい)八百屋の源さんという男(この人物の存在がよくわからない。が、やたらに世話好きで走り回る)の努力で、五郎兵衛とお糸の婚儀が整ってしまう。
 結納も終えて、仮祝言ということになったとき、娘が惚れたのは、五郎兵衛ではなく、じつは伊之助だったことが判明する。
(これも妙な話だ。ここまで話が進行しているのに、人違いだということが、だれにもわからなかったのである。不自然である)
 仮祝言の間際になって、この事実を知った五郎兵衛は激怒し、悲嘆にくれる。
 喧嘩屋などという威勢のいい異名を誇る侠客が、なさけない。女女(めめ)しい。
 ぐじぐじした、思いきりのわるい侠客である。
 これが東映映画の右太衛門扮する喧嘩屋五郎兵衛だったら、
「ウオッ、ホッ、ホッホッホッ」
 と、まず高らかに明かるく笑い、
「そうだったのかい。いや、おれみてえな男が、そんなお嬢さんに惚れられるはずはねえと思っていたよ。ウオッ、ホッホッホ。わかった、わかった。よし、おれが仲人になってお糸さんと伊之助をうまく夫婦にしてやろうじゃねえかい。まあ万事おれにまかせておけってことよ、ウオッホッホッホ」
 豪放磊落(らいらく)に腹をゆすり、ポンと胸をたたくところだ。
 ところが、この芝居の五郎兵衛は、そうはいかない。
 怒りにまかせて大盃に酒をつぎ、その酒に映るおのれの顔の痣をみて、大げさに嘆き悲しむ。
 ここが見せ場とばかりに声を張り、熱のこもった大芝居をするのだ。
 思いきりが悪かろうが、女女しかろうが、この場の役者の力のこもった大熱演に、客席は引きずりこまれて拍手大喝采となる。
 やがて五郎兵衛と伊之助、とうとう刀をぬいて、命を賭けての果たし合いとなる。
 なんというバカな殺し合いをするのか、と私はあっけにとられて眺めている。
 伊之助のほうの心理描写がまったくないので、なんのために斬り合いになるのか、どうにも理解ができない。
 理解できてもできなくても、客席は役者の熱演に魂をうばわれ、陶酔しきっている。
(そうか。こういう芝居の見方もあるのだ)
 と、私は妙に納得させられる。
 この芝居はラストシーンに仕掛けがあって、二人の斬り合いの見届け人である兄が、弟の五郎兵衛の刀の刃を、こっそりと石でこすって切れなくしてしまう。
 五郎兵衛は伊之助を斬るが、刀の刃がつぶされているので、切れない。
 それを知った五郎兵衛は、その刀を自分の腹に突き立て、つまり切腹して息絶えてしまう。
 ここが最後の大芝居となる。
 主人公が死んで、このドラマは当然ここで幕になるのだが、私には何がなんだか、さっぱりわからない。
 兄が弟の刀の刃をなぜつぶしたのか、それがわからない。
 そのボロボロになった刀をふりかぶって斬り合い、果ては切腹する男の気持ちがわからない。
 斬り合いの相手をする伊之助の気持ちも謎である。
 一種のシュールリアリズム演劇か、とも思ったりした(皮肉ではなく)。
 幕がしまるときは、観客はみんな、やはり拍手大喝采なのである。中には涙を流している女性もいた。
(隣席にいる彼女には理解できたのだろうか、と思ったが、それを聞く気力も、私にはなくなっていた。ただ呆然とするばかりである)
 役者がやたらに熱演し、その熱演ぶりにはたしかに一種の魅力が感じられるので、私も舞台から目を離すことはなかったが、
「ちがうなあ。喧嘩屋五郎兵衛って、こんな人物じゃなかったと思うがなあ……」
 と首をひねってつぶやくばかりであった。
 その夜、自宅へもどり、調べてみた。
 吉沢英明先生から頂戴した、吉沢英明先生の著書「講談作品事典」。
 ぎっしりと内容のつまった、立派な御本です。上、中、下巻。
 一礼してから上巻をひもときました。
 喧嘩屋五郎兵衛。
 あった。ありました。

 ――元和から寛永の中ばへ掛けて江戸大坂の市中に侠客(おとこだて)と称する者、江戸では男達(おとこだて)大坂では達衆(だてしゅ)と云ひ、江戸に於ては幡随院長兵衛とか唐犬権兵衛、夢の市郎兵衛とか云ふ名うての者が出来ました。大坂では又、喧嘩屋五郎兵衛、有頂天の九郎兵衛、帆柱伊之助、朝日奈藤兵衛などと云ふのが聞えた達衆でございます(略)大坂で達衆の上に立って喧嘩屋とまで名を取り、名前を輝かしたのは実に剛い者でございます。
 喧嘩屋五郎兵衛は親子二代、大坂一の達衆として男を売ったが、これも荒木又右衛門のお陰である。(以下略)

(濡木注・これに関連して「小喧嘩五郎吉」という項目がべつにあるので、それを書き写してみる)

「小喧嘩五郎吉」
(前略)さて、荒木又右衛門が大坂で道場を開いていた時であるが、侠客(だてし。江戸でいう町奴)の多くが入門。その一人が加藤式部少輔の浪人、森五郎右衛門で屋号を喧嘩屋といった。腕は随一、荒木は彼に後事を託して江戸に下った。
 五郎右衛門は剣難の相があり、充分注意をと諭されていたが、赤川半平(脇坂淡路守の浪人、全ての侠客連から嫌われている)と喧嘩。半平は堂島下駄で眉間を割られ、這々の体で逃走する。十日後、渡辺橋の有頂天九郎兵衛宅からの帰り道、喧嘩屋は何者かに槍で突かれて虫の息。最後は倅(十四歳の政吉)に敵は赤川半平と告げ死んだ。
 政吉は早速、江戸は牛込神楽坂の荒木道場に入門、敵を討つ覚悟だ。毎日、プツリ、グルリ、スポンの稽古。その内荒木に命じられ、半平を探して江戸中を歩いた。
 目黒行人坂の道場を覗くと、師匠の眉間に残る月形の痣、確かに半平だ。直ちに荒木に報告。遂に孝子の一念、エイッ、プツリ、グルリ、スポンで敵討は成功する。お上からはお褒めの言葉、瓦版も出た。以後荒木道場には入門者が急増。
 五郎吉(政吉)は大坂に戻って小喧嘩五郎吉、親(喧嘩屋五郎右衛門)にも勝る侠名を遺した。

 以上が、吉沢英明先生著の「講談作品事典」におさめられている喧嘩屋五郎兵衛と、その倅の小喧嘩五郎吉の、講談による物語である。
 五郎右衛門とあるのは、五郎兵衛と同一人物だろうと思う。
 これによると、講談の世界に喧嘩屋五郎兵衛の物語は、たしかに存在するのである。
 ただし、この五郎兵衛は、顔に痣はない。
 侠客として名を輝かした剛(つよ)い者とあるからには、やはりイメージとしては市川右太衛門に近い。
 石に叩きつけて刃をつぶした刀で、無理やり腹を切って死ぬなどという自虐的な行為は、右太衛門はやらないだろう。
(なんのために切腹するのか、そこがまず、私にはわからなかった)
 とにかく、メソメソ嘆いて、愚痴ばかり言って、侠客らしくない五郎兵衛であった。
 しかし、観客席からは拍手大喝采。
 こういう劇団が演じる演目の中で、この「喧嘩屋五郎兵衛」は、どうやらおなじみの人気狂言らしい。
 あちこちの同種劇団でこの芝居は、ひんぱんに演じられていることを、彼女がインターネットで調べてくれた。
 しかし、それとはべつに、私にはやはり「喧嘩屋五郎兵衛」という物語の記憶が、どこかにある。
 それは、強くてやさしくて、明かるく楽しい男っぷりのいい侠客の話だ。
 そこで、伝統芸能に該博な知識をお持ちのあっち亭の師匠におたずねした。
「喧嘩屋五郎兵衛という大阪の侠客の話、ご存知でしたら教えてください」
 と。
 講談、浪曲、大衆時代劇に登場する物語におくわしく、そのほとんどを、高座や舞台で実際に演じられる演者たちの芸から直接きいておられるあっち亭師匠である。(吉沢英明先生をご紹介してくださったのも、あっち亭の師匠であった)
 数日おいてからご返事をいただいたが、その師匠にしても、喧嘩屋五郎兵衛の物語は、よく知らないということであった。
(すみません、師匠、いつもご多忙のあっち亭の師匠に、つまらないことをおたずねしたのに、いろいろ調べてくださったご様子。毎度のことながら感謝しております。ご親切、忘れません。これにこりず、またわからないことがありましたら、教えてください)
 はて?
 ならば、私はどこで、どういう状況のもとに、この物語を知っていたのであろう。
 前述のように、私は幕あき前に、狂言名が告げられたときに、
「あ、これは大阪の住吉神社の境内で、主人公の侠客が、町娘の危難を救うところから始まる芝居だよ」
 と、隣席の彼女の耳にささやいている。
 芝居はそのとおりの場面から始まり、すぐに思いもよらない方向に展開していき、私は、
「あれれ? ちがうなあ。これはちがうぞ」
 と、つぶやくことになる。
 私がこの芝居を知っていたというのは錯覚で、それはそれで、もちろんかまわない。おもしろければいい。
 だが、見終わったあとで、私の心のなかに妙に吹っ切れないものが残った。
(だからこうやってぐだぐだ書いているのです。どうしようもない駄作だったら、すぐに忘れてしまう)
 この地味な、暗い、なんともなさけない、ひねくれた侠客(こんな人物、とても侠客はよべない)の物語が、なぜ人気狂言の一つになっているのだろうか。
 そのへんがどうも理解できない。納得できない。
 あまりにも陰湿で、救いようのない、みじめな暗い物語ゆえに、私もまた心をひかれ、忘れ去ることができない。
 そして、この陰気な芝居が、どうしてこのように大衆(ごく一部の大衆ではあろうが、それにしても……)に好まれるのであろうか。
 この謎が、妙に私の心を強くとらえて離れない。
 もう一度、復習してみよう。
 二枚目の若い座長が扮する主人公の顔に、青い痣があり、それゆえ彼は女に嫌われている(と思いこんでいる)。
 自分の一生は、女に縁がないとあきらめている。
(しかしこの五郎兵衛、背が高く、プロポーションといい恰幅といい、まことに堂々とした美丈夫なのである)
 誇張された熱演で、痣のための劣等感を表現するのは、まあ、佐野次郎左衛門と八ツ橋花魁の名作歌舞伎もあって、納得できないことはない。
 だが、五郎兵衛の兄が、刀の刃をカチンカチンと石で叩いてつぶして切れないようにして弟に手渡し(弟に対して悪意は何もないはずなのに、これもなんとも陰湿で奇矯な行為である)弟はそれを知りながら、最後にはその刀を自分で腹に突き立て、ぎりぎり引きまわして苦しみながら死んでいくというお話。
 あまりにも自虐的で、私には不可解である。
 歌舞伎狂言の中には、重要人物がドラマのクライマックスに切腹するシーンが多くあり、そのいずれにも納得できて感動できるが、この五郎兵衛の行為だけは、私にとって謎である。
 この暗くゆがんだ劣等感をテーマにした悲劇に、あるいは観客は、高邁な悲愴美を感じて拍手するのかもしれない。
 色気たっぷりのみずみずしい若い二枚目役者が、顔に痣をつくって自虐の悲劇を熱演するところに、観客は倒錯的なエロティシズムを感じるのかもしれない。喧嘩屋五郎兵衛は痣のためにこの劇場の客たちに人気があるのだろうか。痣がなかったら、客はこれほどまでに、五郎兵衛を愛さないのだろうか。
 言葉では表現しにくいが、人間の心の深淵にひそむ、なにか闇の部分に対する畏れ、負(ふ)の部分への魅力、そして賛美、そこにこの芝居が支持されている理由があるのかもしれない。痣にも官能味がある。痣も個性である。
 私にとってこの「喧嘩屋五郎兵衛」には、不条理劇としての魅力が、たしかにあった。それは役者たちがみんなうまいからである。役者の演技力が、台本の不具合を上回っていたからである。

つづく

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