2010.7.3
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百四十回

 恥ずかしいったらありゃしないよ


 中原るつさんへ。まあ、なんという私は、粗忽なことをしてしまったのか。
 汗顔の至り、とはまさしくこのことです。
 昨夜の「ぬれきち通信」で、私は当代(四世)の坂田藤十郎のことを、中村藤十郎と誤記し、そのままFAXで送ってしまったのでした。
 迂闊にも程がある。恥ずかしいったらありゃしない。これから弁解します。
 藤十郎には二人のご子息がいて、長男は中村翫雀(屋号は成駒屋)、次男は中村扇雀(屋号はこれも当然成駒屋)と私は記し、来月国立劇場で私たちが見る「身替座禅」の侍女役で、翫雀のご子息の中村壱太郎(かずたろう)が出演、と私は書いたのでした。
 さらに私は調子にのって、先代(二世)中村鴈治郎からのこの一族の系図みたいなものまで書き添えたのでした。
 私は現・坂田藤十郎とは同世代で(一歳しか違わない)中村扇雀時代の藤十郎をいちばん数多く見ており(扇雀主演の映画まで見ている)それでつい、「中村」と書いてしまったのです。
 ほんとに恥ずかしい。弁解にもならないくらいに恥ずかしい。
 他にも紀伊国屋(きのくにや)の沢村藤十郎もいるので、ちょっとややこしい。この紀伊国屋藤十郎も、精四郎時代には東映の時代劇映画に出ていて、私も何度か見ています。
 つまり、現・坂田藤十郎のご子息やお孫さんたちの屋号はみんな成駒屋(なりこまや)で、総帥(そうすい)の藤十郎だけが、山城屋(やましろや)なのです。
 坂田藤十郎が中村扇雀といっていた当時、坂東鶴之助(いまの中村富十郎)と、武智鉄二の、いわゆる武智歌舞伎で修業し、扇鶴(せんかく)コンビと呼ばれていたころから私は見ています。(天王寺屋とも私は一つ違い)
 父の二代目中村鴈治郎が徳兵衛をやり、扇雀がお初で評判になった「曽根崎心中」など、数えきれないほど見ています。
 そのころの私は、扇雀よりも鴈治郎のほうが好きでした。
 二代目鴈治郎のふにゃふにゃした柔軟な動きの「紙治」を初めて歌舞伎座で見たとき、
(これが上方歌舞伎のホンモノの二枚目か!)
 私は腰がぬけるほど仰天しました。いまから六十年前のことです。
 それまで私は、坂東竹若の治兵衛と、市川福之助の小春(そして、おさん)しか見ていなかったのです。
 上方歌舞伎の伝統的な和事(わごと)に、初めて触れたときの衝撃は、いまだに忘れることができません。
 それにしても、ああ、なんという恥ずかしい間違いを!
 市川団十郎を、尾上団十郎と書くほどのマヌケな誤りです。
 昨夜、その「ぬれきち通信」をあなたにFAXで送ったあとで、まもなくあなたから電話をいただき、そのまま二時間もしゃべり合っていたのに、私はまだその誤りに気づかなかったのです。
 なんという鈍(どん)なことかと、それもまた恥ずかしく、悔まれます。
(しまった! 中村藤十郎ではなく、坂田藤十郎だった!)
 と気づいたのは、あなたとの電話を切ってから十五分位たってからでした。
(やっぱり何か心にひっかかっていたのです)
「ぬれきち通信」なんて私信ではありますけど、やはり訂正しておいてください。
 二、三年前、濡木痴夢男を、濡木痴夢夫とポスターやチラシに印刷され、私が怒って、招かれた会場へ行かなかったことを、あなたは知っているはずです。

 きのうは私、朝の四時から机に向かって原稿を書きつづけ、すこし疲れていたのです。
 サニー出版発行の雑誌に連載している「前略、縛り係の濡木痴夢男です」の第十三回目「緊縛ドラマ『人質』ができた」をひといきに書き終え、
(そうだ、出版社に送る前に、この原稿を冬木さんに読んでもらおう)
 と思い、彼女のところへ電話をしました。
「このあいだの撮影のときのことを書いた原稿、読むかい?」
 というと、
「えっ、うれしい! 読みたい、送ってください!」
 という、はずんだような元気な声が返ってきました。
 張りと艶のある、とてもいい声だったので私もなんだか安心し、うれしくなりました。
 その原稿のおしまいのところに、こんなことを書いたのです。

 沢戸冬木よ、霞紫苑よ。
 二人とも本当によくやってくれた。演技以上のものを見せてくれた。感動的だった。
 いまこの文章を書きながら、かつてない熱い思いで、私はあなたたちに感謝している。
 編集が終わったら、この映像の試写会を、私たちだけでやろう。そして、つぎの作品の相談をしよう。
 こんなことを当人に向かって口に出して言うのは照れくさく、芝居じみていて真実味もないので、こうして他誌に発表する文章に書いて、当人に送るのです。
「私もきょう、先生のところにお手紙書きました。明日かあさってつくと思いますから、読んでください!」
 と、冬木さんはさらに明かるい、はずんだ声で言いました。
 私は明かるく元気な声で、はっきり言う人が好きです。私は人の声質に、とっても敏感なんです。
 暗い声で、ボソボソ言う人は嫌いです。
 嫌いな人とおつきあいしないことが、私の一番の健康法です。
「そうかい、ありがとう。読ませてもらいます」
 好きな人だけとおつきあいしていると、いつまでも長生きできるような気がします。私はいま、八十歳と六カ月です。
 そういえば「人質」の撮影が終わった直後、冬木さんは、すばらしく魅力的な企画を出してくれました。
「人質」完成試写会のあとで、冬木さんのあのアイデア(というより願望)を、みんなで検討いたしましょう。
 そのあとつづいて私は、ウェブ・スナイパーというところの原稿を書きました。
 中原るつさんもよくご存知のように、調子にのると私は休まずにつぎからつぎへと原稿を書きます。
 私はなんでも調子にのって仕事をします。調子にのらないと、何もできません(まあ、だれでもそうでしょうけれど)。
濡木痴夢男の猥褻快楽遺書」という恥知らずなテーマの連載で、十回目になります。この連載もきちんと原稿料を送ってくれます。
 今回は「舞台を見ながら」というタイトルです。
 私が芝居を見ながら、隣席にいる女性の体にいろいろ接触して楽しむという話です。
 すべて本当のことです。隣席の女性とは、もちろん仲良しの間柄です。知らない女性にそんなことをしたら、それはもちろん痴漢行為であり、即犯罪者となります。
 私はよほど仲良しの女性でないと、顔を見ることもしないのです。仲良しになると、べたべたしつこく、赤ん坊のように恥知らずに密着します。自分の欲望に、比較的忠実です(だれでもそうでしょうね。あたりまえのことですね)。
 でも、私はとくに好き嫌いが極端なようです。
 ある宴席で、嫌いな女性がすり寄ってきて手を握られた瞬間の恐怖、私は叫びました。
「やめてくれ! 手が腐る!」
 握られた手をふりほどいて逃げ出したとき、るつさん、あなたはすぐそばで見ていて笑いころげていましたね。
 あのときのあなたの残酷な笑い。
 大体、八十歳の男の手を握ってくる女なんて、気持ちわるいにきまっていますよ。
 それから、話芸関係の機関紙に、私の、例の「立ち絵」公演についての原稿を書きました。
 まだずっと先のことだと思っていたら、なんと、この「立ち絵」の公演は、来月にせまっていたのでした。
 一日に三回、二日間で計六回の公演です。
 一回に約三十分間、私は大声をあげ、一人で十人の人物のセリフを言い続けるという芸です。
 その話芸のつながりで、「のぞきからくり」の組み立てと仕掛けを、横浜までるつさんと一緒に見に行く約束をしていましたね。
 明治から大正、昭和初期にかけての、いまではめずらしい大道芸の仕掛けと組み立て、さらには「幽霊の継子いじめ」と題する絵物語を見られるチャンスなんて、めったにありませんから、丸一日かかっても、これはぜひ行かねばならない。
 まあ、しかし、それよりもなによりも、河出書房新社から依頼されている濡木痴夢男・中原るつ共著による「美濃村晃の世界」(仮称)の第一冊目に、いよいよ取りかからねばなりません。
 シリーズとして原稿を書き、全部で四冊刊行することを、出版社の方と約束してしまいました。
 風俗資料館の館長である中原るつさんが、すでに三カ月も前に、膨大な資料の中から鋭意選別してくださった美濃村晃の足跡。
(これだけでも大変な労力と神経を要した仕事だったと思います。ありがとう)
 その資料群と真剣に、綿密に向かい合って、美濃村晃を私の魂のなかに誘いこみ、よみがえらさなければなりません。
 安易な気持ちでは取りかかれない仕事です。美濃村晃を書くことは、当然、私自身を書くことになり、また中原るつ自身をも書くことになります。おのれがさらけだされます。
 昨夜あなたと電話で二時間も語り合ったのは、主にそのことでしたね。
 美濃村晃の絵を中心とする多くの業跡、それに対するあなたの観察眼と批評眼。
 そして同じく彼に対する私の観察眼および批評眼が、あなたのそれとの比較、あるいは対決みたいなものになってもおもしろい。
 ときには火花が散るような斬り合いになるような気もしたり、いずれにしても、生半可(なまはんか)な気持ちでは入りこめない仕事です。
 彼が死んだときに、二、三の雑誌に掲載された、なにやら賞賛ばかりしている、歯の浮くような文章だけは書きたくない。
 おのれの肉を裂き、血を吐く思いになることもあるだろう。
 おたがいに励まし合い、協力して、この天から授かった共同作業をやりとげましょう。
 私の予想としては、楽しい仕事になり、いい結果が得られると思います。

 お願い。「坂田藤十郎」訂正しておいてね。
 ああ、恥ずかしいったら、ありゃしないよ。

つづく

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