2010.7.16
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百四十一回

 おぬし、できるな


 MasterKへ。  濡木より

 お手紙拝読いたしました。
 先日は、失礼いたしました。
 遠いところから、私に会うことを目的として、わざわざおいでくださったのに、私があのような、せわしない緊迫した状態の連続だったので、ろくにお話もできませんでした。
 スタジオで、私が縄を持ってモデル女性(沢戸冬木)を縛り、それをKeiカメラマンが撮影するという現場。
 雑誌のグラビアページ用の、その撮影現場だけをあなたは黙って観察され、そしてあなたはお帰りになられたのでした。
 時間にしたら、三、四時間程度だったでしょうか。
 先日は失礼しましたと、私はうっかり儀礼的に書きましたが、本当をいうと、あなたに対して失礼したという気持ちを、私はほとんど抱いておりません。
 失礼どころか、私はあなたに対して、終始友好的な、いや、それ以上の親愛感に充ちた気持ちを向けていました。
 これは私にはめずらしいことなんです。
 私が仕事でモデル女性を縛っているとき、私とその女性を、あらわな好奇心で「見物」している人間に対して、私はほとんど不快な印象を抱きます。
 その不快感を、ときにははっきり顔に出します。こういう場合、私はかなり神経質な人間です。
 あなたに対しては、その不快感はまったく抱きませんでした。
 私たちが交わした会話は、たしかにすくないものでした。
(緊縛写真の撮影中なのですから、当然といえば当然です)
 あなたがスタジオに現われたとき、軽いあいさつをしました。私たちは初対面でした。
 それから数時間がたち、私の緊縛の仕事が一段落して、あなたが別れのあいさつをされ、スタジオを出られるときまで、私たちに会話らしい会話はありませんでした。
 しかし、言葉は交わさなくても、あなたは私の心のほとんどを的確に観察していました。
 あなたは終始、スタジオの片隅のソファに腰を下ろし、その場から立ったり動いたりすることはありませんでした。
 私は、私がモデルを縛り、ポーズをつけたりするときに反応する、あなたの姿勢、視線の動かし方、つまり表情を、さりげなく観察していました。
 私は自分の仕事を進めながら、あなたの「縄」と「緊縛術」に対する関心、理解度の正確さ、さらに造詣の深さを測っていたのでした。
 目の色や髪の色が違い、体格も違い(あなたは大きい! 体重百キロ以上ありそうだ!)、しかも言葉の通じない異国の人間を、外側から見ただけで、そこまでわかるのか、とおっしゃるのですか?
 それがね、わかるのですよ。
 そこに「縄」を使う(縄しか使わない)この特殊な芸の世界の、人に言えない神秘みたいなものがあるのですよ。
 私を観察するあなたを、私のほうからも観察しながら、私は、マンガの吹き出しふうに表現すると、
「おぬし、できるな」
 という感じを受けたのです。
(この表現、もしお気にさわったら、ご容赦を)
 あなたからいただいたお手紙の文中に、こういう一節があります。
「……とくに、先生の『くずし縄』はとてもすばらしく、『くずし縄』について先生から教えていただくことが多いと感じています」
 これはその日、通訳として同行されていたAさんが翻訳してくれたものです。
 この日本在住の女性翻訳家は、あなたの原文の中の一カ所を「くずし縄」と、新しい形容を使って訳されました。
「くずし縄」。
 見覚えも、聞き覚えもない言葉ですが、その意味は、私にはすぐわかりました。
 他の人には、おそらく理解でき得ない特殊な用語、いや造語であり、新語です。この新語は、間違っていない。
 このように訳された彼女の日本語に対する感覚、語感はすばらしい。言い得て妙、というべきでしょう。
 日本語感覚がすぐれていると同時に、彼女はまた、いわゆる「SM感覚」に関しても、深い造詣を有する人物だと私はみています。
 私が過去に、写真と文章で、多くの雑誌や本に書いてきた緊縛テクニックあれこれの図解。
 そしてさらに、ビデオの映像で数百本も制作してきた緊縛術のマニュアル。
 それらのマニュアルから脱したこの日の私の縄の使い方、それをあなたは「すばらしい」と感じてくれて「くずし縄」と呼び、Aさんは翻訳してくれたのです。
 私が作り、編み出した過去の緊縛テクニックを、あまりにも多くの人が、なんの工夫もなく創意もなく、感動もなく情熱もなく、心も魂も添えることなく、ただ形だけを真似しているのを見て嫌悪感をもよおしていた私は、この日の撮影では、わざとそのマニュアルをくずしてやろうと、心中ひそかに考えていたのです。
 そして、冬木というモデルは、その「くずし縄」に、ぴったりの反応をする女性だったのです。
 ひとくちに言ってしまえば、「くずし縄」を魅力的に掛けるには、相手の女性に、それなりの反応をする能力が必要なのです。
 その反応は、けっしてうすっぺらな演技であってはならない。
 心と肉体の、ごくしぜんな、そして内面には過酷な激しさを秘めている反応でないと、「くずし縄」は魅力的に成立しません。
 口さきだけで、
「私って、縛られるのが好きなの」
 などと軽薄に言っているだけで、縛られる過酷な「物語」を心に持たない女性を、いくら荒々しく乱暴に縛ったところで、「くずし縄」の真の魅力は生まれません。
 私の「くずし縄」を、あなたはとてもすばらしいと言って褒めてくれた。
 そして、モデルの冬木の美しさと、Keiカメラマンの創造性に感動してくれたのは、もちろん、この上なくうれしいことでした。
 あの日、あのスタジオで、私の手足となって働いてくれたスタッフは、私が信頼できる選りすぐりの人間ばかりです。同じスタッフで、また新しい仕事に挑戦します。
 それにしても、私の「くずし縄」を、マニュアルどおりの「縛り」ではないから「だらしのない縄だ」などとあなたに思われたら、私はあなたのことを、
「おぬし、できるな」
 などと感じなかったでしょう。
 モデルに「くずし縄」を掛け、その重要なポイントにくるたびに、あなたは顔面を紅潮させ、瞳を輝かして、的確に反応していました。
 そのたびに私は、
(あ、このアメリカ人、かなり深く「縄」がわかるな)
 と思い、いい気分になっていたのです。それは可愛らしく思えるほど、素直な反応でした。
「くずし縄」についてお教えいただくことが多いと感じています。機会があれば是非ご教示いただきたく存じます……というあなたからの手紙。
 わかりました。
 機会さえあれば、私はいくらでもお教えいたします。
 あなたなら、「縄」というものの単純にして複雑な存在意味がおわかりと思います。安心して、お話できます。
 しかし、「縄」を生んだ草食人種の日本人には、いくら説明してもわからないことを、どうして「革」を主流とする肉食人種がわかるのだろうか。
 不思議であります。
 不思議だからこそ、世の中、人生、おもしろいのでありましょう。
 マスターKよ。
 かさねて言うけど、私の縄のテクニックを「見物」する緊縛愛好家としてのあなたのマナーは完ぺきでした。
 いい加減な気持ちで、粗雑に縄をもてあそんでいる人たちを見るたびに私は暗い気持ちになり、ときには絶望感におそわれたりしますが、あなたの存在は、私に光明を与えてくれました。
 またお会いしましょう。

 Aさんよ。
 この手紙、マスターKに読んでもらうために、またあなたに英訳していただく事になるけど、読みかえしてみると、ずいぶんむずかしい。
 日本語特有の微妙なニュアンスに加えて、緊縛世界独特の陰影をふくんだ表現が随所にある。
 訳しにくいし、時間もかかると思うけど、どうかうまく、私の気持ちを、彼に伝えてください。
 最後にひとこと。
 あなたが訳された「くずし縄」は、私の言う「真剣縄」と同義語です。

つづく

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