2010.7.17
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百四十二回

 くずし縄と真剣縄


 この「おしゃべり芝居」を毎回読んでくださっている旧知のN氏から電話をいただいた。
「……濡木先生の緊縛現場を見て、アメリカ人のマスターK氏が言われたという『くずし縄』のことが気になって仕方がありません。どういうものか、もうすこしくわしく教えていただけませんか」
 N氏は、「縄」に関して熱い心をお持ちの方なので、マスターKが評した「くずし縄」という表現に、このような関心を抱くのは、もっともなことである。
 とはいっても、電話で「くずし縄」の具体的な説明をするのはむずかしい。
 むずかしいというより、不可能である。
「そのうち雑誌が出るだろうから、それを見てくださいよ」
 と言うより仕方がない。
 正直にいうと、その撮影のときに、モデルの冬木さんを、とくに「くずし縄」で縛ったという自覚が、私にない。
 くり返すことになるが「くずし縄」とは、マスターK、もしくは、彼が私にくれた英文の手紙を、日本語に翻訳して伝えてくれた美人通訳Aさんの「造語」である。
 私は「くずし縄」を意識して冬木さんを縛ろうとしたわけではない。
 ただ、過去数十年間、くり返されてきた、手順どおりの型にはまったものではなく、多少リアルな「縛り」をやってみようと思っただけである。
 それをひそかに心のなかで「真剣縄」と呼んでいただけである。
 以前も「真剣縄」で冬木さんを縛ろうとしたが、周囲のスタッフにもう一つ緊張感がなく、その気になれなかった。
「縄」も、その気になってくれない。
 そうなんですよ。
 縄は、生きているのですよ。
 縄は単なる物質ではないのですよ。
 私はこのことを、いまから四十五年前に書き、一冊の本のタイトルにもしている。
 すなわち「縄は生きている」。
 この本の多色刷りカバーは、美濃村晃によるものです。
 撮影現場の空気に、たるみがあると、もう駄目です。
 私、モデル女性、そしてカメラマンはじめスタッフに緊張感が乏しいと、「真剣縄」なんか、とても掛ける気になれない。
 SMについての理解度が、一人でも低い人間がいると、現場の雰囲気が盛り上がらない。
 集中度に欠けている人間が、私の周囲に一人でもいると、まず、私自身が盛り上がらない。
 え? なんですって?
 そんなこと、あたりまえだって?
 ああ、そうですね。そうでした。
 その点、先日の撮影のときの雰囲気はよかった。
「真剣縄」の登場にふさわしかった。
 アメリカから「見学」にきていたマスターKの興奮した表情、陶酔した瞳の色は、私を最高の気分にさせてくれた。
 私は「真剣縄」を、びしびしときめていった。

「もうすこし具体的に教えてくださいよ。ねえ『真剣縄』って、どんな縛り方なんですか。『くずし縄』とどこがどう違うんですか」
 と、N氏もしつこい。
 いや「縛り」に関して情熱的なのである。
「だから、電話じゃ無理ですよ。雑誌を見てくれれば一目瞭然、すぐわかりますよ」
 と返事したときに、玄関のドアが、がたんという音を立てた。
 山之内幸プロデューサーから、大きな封筒の郵便が届いたのだ。
 八十円切手が、六枚も貼ってある。速達郵便である。
「ちょっと待ってね」
 とN氏に言い、ハサミで封筒をひらくと、予感どおり、いまN氏と話している雑誌の校正刷りが、私の文字原稿の校正も加えてごっそり十五ページ分入っている。
「Nさん、わるいけど電話切らしてもらうよ。あとでまたゆっくりお話しましょう」
 電話を切った。
 校正刷りを机の上にひろげる。
 マスターKと美人通訳がいうところの「くずし縄」とは、どんな縛りか。客観的に見ることにする。
 一見、それほどの違いがない。
 いつもの型どおりの縄を、すこしだけ「くずした」あるいは「乱した」縛り方である。
 格別の変化はないが、モデルの反応がいいので、その「くずし縄」が生きている。
 モデルのせつない呼吸と同時に、縄もせつなく呼吸している。モデルと縄が密接に反応しあっている。
 私がいくら気合いをこめて「くずし縄」を使っても、受け手の女性が、自称マニアの単にギャラ目当てのモデルだったら、この迫力は出ない。
 冬木というモデルは、ギャラが目当てではない。彼女自身のなかに、のっぴきならない切実な物語が存在する。縄は、その物語を生かすための道具である。
 そして「くずし縄」に反応する彼女の真実の姿を、Keiカメラマンは、よけいな演出なしに、素直に、忠実にとらえている。
 ライティングも、アングルもいい。
 Keiカメラマン、ありがとう。私の縄をよく生かしてくれました。感謝します。
 冬木さんの告白文が、写真と一緒に掲載されている。正直な、いい文章である。よくぞ書いてくれました。
 校正刷りに添えてある山之内幸プロデューサーからの私への手紙には、
「……大変貴重な原稿をいただきました。送ってもらい、読んだとき、戦慄してしまいました」
 とある。
 私がこれまで、あちこちに書いているように、冬木さんは彼女自身のなかに、深く濃い物語を秘めている。
 その物語が、「縄」によって炸裂する。
 この際だから、はっきり言っておこう。
 緊縛モデルは、モデル自身のなかに物語を持っていないと、「縛り係」がどんなに力をこめて縛ってみたところで、しょせんは「残酷我慢大会」か、もしくは「縄のあるサーカス」になってしまう。
 もちろん「残酷我慢大会」でも、「縄のあるサーカス」でも、それが好きな人々には歓迎されるだろう。
 しかし「縄の世界」の最も刺激的で、官能味の濃い快楽を好む人々にとっては、あまり魅力のないものである。
 モデルクラブなどというものが存在しない時代があった。
 私たちは苦労してモデルになってくれる女性を探した。
 そうして縛り、撮影したモデルたちは、ほとんどが自分自身のなかに、重い物語を持っていた。
 彼女たちをモデルにして撮った写真は、どんなに撮影技術が貧しくても、魅惑に充ちた「SM」の光を、燦然と放っていた。
 いや、いまさら過去をなつかしむことはやめよう。
 いまでも心の奥底に、戦慄的な物語を持った女性がいるはずである。
 こんな世の中である。いないはずはない。
 ともあれ今度の撮影、収穫は大きかった。

つづく

★Rマネの追記(2010.7.17)★

お待たせいたしました。おしゃべり芝居第128回より台本や当日までの制作過程をお読みいただいておりました緊縛ドラマ「人質」がいよいよ発売されます。
掲載誌は三和出版の「マニア倶楽部」。まずは2010年7月27日発売の2010年7月号(vol.19:通巻266号)にKei氏撮影のグラビア、そして沢戸冬木さんの手記、濡木痴夢男「人質」台本が掲載されます。付録DVDにはグラビア撮影時の動画も(5分ほど)収録、と盛りだくさんです。
そして、その次号となる2010年9月27日発売の2010年9月号(vol.20:通巻267号)付録DVDに、いよいよ映像ドラマ本編が収録されます。
7月号ではグラビア、9月号では映像と、2号続けて緊縛ドラマ「人質」の魅力をたっぷりとご覧ください。
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