2010.10.29
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百四十七回

 大田黒さんへのご返事


 大田黒秋良様。
 このたびは貴重な資料がたくさん入っているダンボール箱の宅配便、またまた送っていただきながら、お礼のご返事がすっかり遅れてしまい、申しわけございません。
 ありがとうございました。たしかに頂戴いたしました。
 忙しいのは、当今どなたも同じであり、いまさら私が多忙だったからと申したところで、なんの弁解にもならないのですが、この数十日間、つぎからつぎへと、とにかく用事がありすぎました。
(そのために昨年から依頼されている出版社からの「美濃村晃物語」(仮題)の執筆も大幅に遅れ、さいそくを受けてやっと数日前から書きはじめる始末です)
 私にしてはめずらしく公的な機関からの頼まれごとも多く(これは私のやっている"芸"と、たまたま一致したため引き受けたのです)、それも多勢の人たちの前に顔をさらす仕事ばかりだったのですが、その一つに大田黒さんをご招待したのでした。
 あれは「立ち絵芝居と私の演劇体験」というテーマの会でした。遠いところから来ていただき、おかげさまで盛況でした。
 私があまりにも私らしくないことを一生けんめいやっているので、きっとびっくりされたと思います。
 でも、あれはあれで、私の生きざまの中では、ちゃんとつながっているのです。
 それはともかく、このたびのあなたがご提唱されたことにお答えしなければなりません。ご返事が遅れたこと、再度おわびいたします。
 あなたが理想とされる情熱のこもった、楽しい会をつくるには、まず、会の内容にふさわしい機関誌、あるいはどんなうすいものでもいいから雑誌をつくってアピールすることをおすすめいたします。
 その中に、あなたの情熱、やりたいことをすべて正直に訴えなければなりません。これはむずかしいことかもしれませんが、ここを通過しないと、本当に楽しい会は成立しないと思います。
 まず自分が正直に、自分のことを告白しないと、どんなに立派な会則をならべ、私や中原るつ氏の名前を出したところで、正直ないい人はあつまりません。
 まず同人誌か、個人誌のようなものをつくられ、その巻頭に自分の心情を真剣にのべた文章を掲載し、あなたの理想とする会則をならべて仲間を募れば、かならずまじめな、いい人が参加してくれると思います。
 これまでにずいぶんさまざまな資料をあなたから頂戴いたしましたが、あなたが本当は何がお好きなのか、結局、私には具体的なことは、一つもわかっていないのです。
(私の頭がわるいせいもありますが)
 古い印刷物で、やや異端の味わいのあるものがお好き、ということだけは、かろうじてわかるのですが、古い印刷物といってもあまりにも広範囲で、正直のところ私には見当がつきません。
 やや異端的な味わい、といっても、やはり漠然としています。焦点がつかめない。
 古い作家や有名人の名前を、ただ目の前にならべているだけで、快楽を味わうことのできる人がいるのでしょうか。
(いるかもしれない、という気持ちもすこしあります。人間の性情には測り知れないものがありますから)
 私は職業柄、いわゆるマニアと称される数多くの人たちとおつき合いをしてきました。
 そういう方々との手紙のやりとりを、たくさん、たくさん、交わしてきました。
 実際に会ってお話した人も、かぞえきれないほど多くいます。
 みなさん正直に自分の好きなことを、いろいろとこまかく具体的に書いてくださり、話してくれました。自然に信頼感が生まれます。
 私と一緒に「仕事」をした女性(つまりモデルです)の中にも、本当のマニアがいて、人には言えない恥ずかしい欲望や、めずらしい性癖を語ってくれました。
 私の著書の、河出文庫の中の「実録・縛りと責め」に、彼女たちのことがこまかく紹介してあります。もしまだお読みになっていないのでしたら、一冊差し上げます。遠慮なく言ってください。
 あなたが提唱されている会の会則には、私の名前が「終身名誉会長」となって出ており、ありがたいやらおかしいやら「終身」というところで、思わず笑ってしまいました。私はもうじき終身になる年齢なので。
 提唱している会の代表者(つまりあなた)が、どういうお気持ちで、どういう嗜好をお持ちの方か、よくわからないのでは、とてもお引き受けすることはできません。

 ここまで書いてきたとき、風俗資料館の中原館長から電話がかかってきました。
「奇譚クラブの古い号を三冊入手しました。うちの資料館にないもので、さらに古い号です。とりあえず表紙だけをそちらへ送ります」
 そしてすぐに、その三冊の表紙だけ、FAXで送られてきました。

「奇譚クラブ」競艶力作特集号 昭和二十四年一月五日発行(通刊第十号)
「奇譚クラブ」珍談奇聞読物集 昭和二十四年二月二十五日発行
「奇譚クラブ」第七天国探訪記 昭和二十四年四月十日発行
 の三冊で、なんと、この三冊とも美濃村晃が二十七歳のときに描いた表紙画なのですよ。凄い!
 前述のように、私はいま河出書房新社から依頼されて「美濃村晃物語」(仮題)を執筆しており、これは中原るつ氏との共著なのです。
 生前の美濃村晃の、膨大な量の仕事の内容、その実体について、中原館長と私はこれまでに何度語り合い、意見を交歓し合ったかわかりません。延べにしたら、美濃村晃のことだけで、合計百時間以上も話し合っています。
 FAXで送られてきたのは、もちろん三冊とも表紙だけです。
「すぐにこっちへ来て、中身をみてください。興味のある発見がいろいろあります。昭和二十四年のこの時代から、ページの中に、すでに美濃村先生の匂いがぷんぷん漂っています」
 と、声をはずませて中原館長。
「行きたいんだけど、いまウェブ・スナイパーの毎月の連載原稿を書いている。きょうがしめきり日なんですよ。これを書き上げたら行きます」
 私も中原館長にまけないくらい、声をはずませて言いました。
 しかし、中原館長の執念は凄い。感嘆せずにはいられない。
 六十年前に発行された、わずか五十ページ余のうすっぺらな初期の「奇譚クラブ」を、三冊も探がし出してきたのです。
 この時代「奇譚クラブ」は、まだ大阪市内とその近辺でしか売られていない地方誌で、東京の人間には目にふれることさえなかった雑誌なのです。
 アメリカ空軍の無差別爆撃で焼け爛れた町の底から生まれたうすっぺらな仙花紙の雑誌をひろげ、美濃村晃の匂いを嗅ぎ出す中原館長の嗅覚の鋭さ、確かさ。
 大田黒さん、あなたは戦前からの古い雑誌を、たくさん熱心にあつめておられますが、どの作家の、あるいは画家の、どこに焦点を合わせておられるのですか。
 古い印刷物の中から、何を求めようとしておられるのですか。
 何かを見つけだそうとして努力しているご様子はよくわかり、とても好ましく思えるのですが、その焦点があまりにもぼやけていて、そこに不安を感じてしまうのです。

 いま中原館長からFAXで送られてきた昭和二十四年発行の「奇譚クラブ」の表紙を再度眺めているうちに、大変なことを発見しました。それは私がすでに書いて出版社へ送稿してしまった「美濃村晃物語」の内容の一部を大幅に訂正しなければならないほどの誤りをみつけたのです。中原館長、毎度のことだけど、ありがとう。あなたのおかげで、私は「美濃村晃物語」の執筆の中で、大きなミスを犯すところを助けられました。

つづく

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