濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第十五回
美少年美少女切腹幻影
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昭和15年(1940年)、私は小学校5年生だった。10歳である。
当時、私の家は浅草竜泉寺町にあった。古びた二階建ての木造家屋に、両親と弟妹、私の五人暮らしだった。
貧しかったが、まずは平和な一家のたたずまいがあった。
私には二階の北側の、一日じゅう日光のささない、せまい三畳の部屋が与えられていた。というより、そのうす暗い湿っぽい小さな部屋が私は好きで、勝手に独占していた。
私はその部屋の天井板に、少年雑誌から切り取った二枚の絵を貼りつけ、毎夜眺めていた。
夜、押入れから布団を出して、畳の上に敷いて寝る。
あおむけに寝ると、天井板に貼ったその二枚の絵が、私の視線の真正面にくるのだ。
一枚は半袖に短パンの美少年が、やや太めの縄で後ろ手に縛られ、縄尻を大木につながれている絵。
そしてもう一枚は、剣道のけいこ着をつけた前髪の美少年が、刺し子の剣道着の前をひろげ、肌襦袢をはだけて、逆手に握った短刀を、腹に突き立てようとしている図柄。この少年剣士は、下腹まで露出しているが、袴をつけているのが見える。
二枚とも少年雑誌の小説の挿絵である。その小説は、一つは当時流行した冒険熱血少年小説であり、もう一つは尽忠愛国をテーマにした時代物である。
中国との戦争が泥沼におちいり、アメリカとの間に戦火が開かれようとしている寸前の時代である。
当時発行されていた少年少女向きの月刊雑誌も、軍国時代を色濃く反映していた。
私たちは「少国民」と呼ばれ、戦争の体制の中に、いやおうなく組み込まれていく気配を感じていた。
小学生にまで、銃剣術の訓練が行れた。小銃の先端に短剣をつけ、それで敵兵を突き刺す訓練である。
10歳の少年には本物の銃は重くて持てない。そこで銃に短剣を装着させたものを型取った木製のけいこ用武器が与えられた。それを使って敵兵を殺す「構え」と「突き」を教えられた。
左肩をすっぽりおおう特殊な防具を着せられて訓練を受けるのだが、中年男の教官のために私は顎を強く突かれ、ひっくり返って後頭部をしたたかに床に打ち、脳震盪をおこしたことがある。おそろしい思い出である。
私にとって軍国主義への恐怖と憎悪は、この脳震盪から始まる。
銃剣術のけいこはおぞましい記憶だが、天井板の真ン中に貼りつけて、あおむけに寝て毎晩眺めた二枚の絵は、甘美でなまなましい思い出として、その図柄までおぼえている。
60数年経過しているが、この記憶は、きのうのことのように鮮明である。鮮明だからこそ、いまこうやって、あのときの不思議な胸のときめきを書きたい気持ちになっている。
二枚の絵の中の一枚、熱血冒険小説のほうは、画家が高畠華宵だったということを、はっきりとおぼえている。
もう一枚の、少年美剣士切腹寸前の図のほうの画家名は、よくおぼえていない。
だが、高畠華宵にまけないほどの、美しい「肉感的」な少年武士であった。
(あるいは、これも華宵の絵だったのかもしれない)
一日じゅう陽のささない、うす暗い陰気な三畳の部屋に寝て、あおむけになって、二枚の絵を眺めていると、甘く、せつなく、妙にやるせない思いが、じわじわと全身に充満し、気が遠くなるような快感があった。
それが、はっきりと性的な快感だと気づく年齢ではまだなかったが、あきらかに快感であった。
二枚の絵が同時に視野に入り、ときにはかさなり、眺めていると、後頭部のあたりが甘くジーンと痺れ、体がすこしずつ布団に沈みこんでいくような気がした。
10歳の少年が、わざわざ雑誌から切り離して、天井板に貼りつけるという行為からして、その二枚の絵にあやしい魅力を感じていたのだろう。
寝ながら眺め、眠るまで見つづけたいという執着心をおこさせるほどの、強くアピールするものがあったのである。
ときには体内の血が熱くなり、手足の指先まで火照った。この体の火照りが、性欲に関係があるということを、私はまだ知らなかった。
このとき私は「勃起」していただろうか。
勃起していたか、いなかったか。たいせつなことなのに、私はそれを記憶していない。記憶していないのは、勃起していなかったのであろう。
勃起していたら、当然、少年は自慰行為を始めていただろう。そのときの私は、まだ自慰行為というものが、この世にあるということを知らなかった。
後ろ手に縛られ、縄尻を大木につながれている少年は美しかった。
頭はいわゆる坊主刈りである。なにしろ主人公は「軍国少年」である。頭は丸坊主でも決して猛々しくはない。「眉目秀麗」である。なまめかしいほど、豊頬である。
そして全身の体の線が、やさしい。ふくよかであり、女のように柔軟である。丸坊主ではなく、頭に長い髪の毛があったら、そのまま、少女の肉体である。
半袖のシャツを着ている。その襟もとが、すこし破れている。破れたシャツの内側に見える少年の素肌のなまめかしさ。匂うような柔らかい線。
しかし、この小説のストーリーには、私はほとんど記憶がない。だが、勇気のある少年が国家のために大活躍する物語であったことは確かである。
縛られているのは少年にちがいないのだが、まだ乳房がふくらんでない少女、いや、ふくらみきってない少女のようにもとれる。
どちらにとってもかまわない。少年でも少女でもかまわない。好きなように眺めてくれという画家の思惑が見えてくる。
少年の私は、まだ「倒錯」という言葉を知らなかった。
腹を切る寸前の少年剣士のほうは、尻に何かの支えがあるような中腰の姿勢であった。
刺し子の剣道着の前をひろげ、袴の紐を解いて下腹をさらけだし、左手でその白い腹をさすっている。
逆手に握った右手の短刀の切先を、いま、まさに突き立てんとしている図。
腹部の線がやさしく美しく、これはもう若い女のなめらかに張った肉体そのものである。死に直面している少年美剣士の前髪立ちの凛々しい表情には、緊張感に充ちた悲愴美がみなぎり、もはや少年とも少女ともつかない若者の、恍惚がただよっている。
男装した美少女が、戦い敗れ、敵軍に追いつめられての自害、というような設定であったのかもしれない。小説のストーリーは忘れている。
乱れ、ほつれて顔にかかる髪の毛の凄艶さ、自分の腹をなでさする左手の指のあやしいほどの美しさ。
少年でも少女でもかまわない。悲愴感と哀愁ただようその絵に、私は毎夜心を奪われた。天井板に二枚並べて貼った右側に、半袖のシャツと短パン姿で後ろ手に縛られた現代物の少年の姿。左側には、剣道着の襟を左右にひろげて、腹に短刀を突き立てる寸前の時代物の美少年剣士、この二人が私の視界の中でときどき妖しく入れ変わり、あるいは一人にかさなって私を魅惑の幻影世界に誘い込んだ。くり返すが「倒錯」という言葉はまだ知らなかったが、そのとき10歳の私は、あきらかに倒錯の中の美に溺れていた。
このころ私は、ラジオで、いまだに忘れることのできない「放送劇」をきいている。
当時のことだから、ラジオはNHK一局だけである。正確にいえば、NHKという名称もまだなかった時代である。
当然、ラジオ番組も、戦意昂揚、武士道鼓吹、軍事色の濃いものが多くなっている。
忘れることのできない放送劇(つまりラジオドラマ)というのは、時代物であった。
せっぱつまった事情があって、少年武士が一族の名誉のために覚悟をきめ、切腹する直前の場面である。
少年とその母親との会話が、私の印象にのこり、いまだに頭の隅にこびりついて離れない。
死を覚悟した少年武士に、気丈な母親が、
「この世と別れる前に、そなたの好物を用意したから、これを食べてから、お腹を召しなさい」
と、情をかけていう。すると少年は、
「母上、せっかくのおこころざしながら、それはご辞退いたします。ものを食したあとで切腹すると、むさいものが出ると申しますから」
このセリフに、10歳の私は痺れた。全身に電気のようなものが走った。
何かたべたあとで腹を切ると、たべたものが腹の中から出てくる……なんという凄絶なリアリズムであろうか。
むさいというのは、いまはあまり使われないが、きたならしいという意味である。
私はそのシーンを想像した。そして身内がふるえるほど興奮した。私の妄想の中では、少年武士は、凛々しく男装した若い美女の姿になった。
このときの興奮は、いまでも忘れることができない。忘れることができないから、こうして文章に綴っている。聴覚による妄想は、果てしなくひろがる。記憶は持続する。
私が「緊美研」で、はらわたが大量に出る切腹映像を何本か作ったのも、あるいはこの少年の日の甘美な後遺症のせいかもしれない。
私は近所の原っぱへいき、だれもいないことを確めて、先のとがった棒きれをひろい、草むらの中にうずくまると、
「いまおなかを切ると、むさいものが出ますから」
というセリフを、声に出して言った。放送劇の少年武士のように、抑揚をつけて言った。そして、棒きれの端を腹に突き立て、草むらの中に突っ伏した。
私は死体になり、夏の強い草いきれの中で数分間をすごしていた。
そういえば私は、近所の子どもたちと一緒になって遊んだ記憶がない。群れて遊ぶことが嫌いだった。
だれもいない原っぱの中で、さまざまな空想をして楽しんでいた。いや、外へはあまり出なかった。
二階の端の三畳の部屋に閉じこもり、父の本棚から「読んではいけない」と両親から言われている本をひそかにぬき出し、読みふけっていた。江戸川乱歩や、夢野久作や、大下宇陀児や、甲賀三郎、海野十三、谷崎潤一郎をくり返し読んだ。私の父親は「新青年」の愛読者でもあった。
このときから45年後、平凡社の「別冊太陽」が「高畠華宵」の画集を出した。絵本名画館のシリーズの中の「美少年・美少女幻影」という名称である。
もちろん、私はただちに買った。
華宵の世界が、絢爛とよみがえった。中の目立たないページに、スケッチが二枚、さりげなく掲載されている。私は目をみはった。
裸女の素描が二枚並んでいる。
片膝を立ててすわっている豊満な裸女の乳房の上に、ひと筋の縄が掛かっている。その縄はよく見ると、裸女自身の長い髪の毛である。
もう一人の裸女はぺったりと両膝をひろげてすわりこみ、背中と尻をむけている。これも豊満な肉体である。
その背中に、はっきりと手型がついているのだ。男の手による、平手打ちの手型である。この手型が、もうすこし下の位置についていれば、あきらかに、女の尻を、男が平手で強く叩いた状況になる。
この時代、裸女の背中を平手で叩いた痕跡のある絵は許可されても、尻を叩いてはいけなかったのであろう。女の尻には明確なエロティシズムがある。
華宵の性癖が想像できて、興味ぶかい二点の素描である。
(つづく)
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