2011.1.5
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百五十二回

 貸し座布団一枚百円


 そのコーヒーショップへ、約束した時刻の一時間前に私は行った。
 コーヒーをのみながら、現在執筆中の「美濃村晃物語」の下書きを書くつもりだった。
 全五巻になりそうな気配で、計千二百枚位書く覚悟でいるが、現在までにまだ二百八十一枚。遅れている。今年の前半までに書き上げるつもりでいる。
 下書き用のノートをひろげた。
「美濃村晃・エピソードのあれこれ」
 と一行記し、思い出すままにメモしていった。こんなぐあいである。

一、美濃村と一緒にタクシーにのる。降りる際、彼はつり銭をとらない。勘定がきっちりしているときは、べつに財布から百円か二百円つまみ出して運転手に渡す、そして、「お稼ぎなさい」と言う。
二、浅草のお酉さまで。ぎっしり詰めかけている参詣人の波。本殿の賽銭箱の前はすごい混雑。正面に警察官が立って大声あげて整理している。美濃村、「あの警官にあててみようか」と言って、約二十メートル離れた群れの中から投げた。
警官には命中しなかったが、その警官、遠くから美濃村の顔をにらみつけ、猛然と人波をかきわけて近づいてきた。そして、「あんた、いま、おれをめがけて投げただろう」凄い顔。美濃村、ふるえあがって、ペコペコ頭を下げながら、スミマセン、スミマセンとあやまる。
三、浅草では毎日観光客相手の叩き売りをやっている。一見、上質にみえる大きな毛布二枚に、一見豪華な柱時計、それにトランジスタ・ラジオがついて全部で千円。タンカバイというやつで、あまり信用できない品物ばかりだということを、浅草生まれの浅草育ちの私は知っている。私のとなりにいた美濃村、「買った!」と大声をあげて千円札を売り手に渡してしまった。とめようとしたが、とめるひまもなかった。売り手が鋭い目をして私をにらむ。大きな荷物を両手でかかえて、美濃村は東横線の日吉まで帰っていった。

 こんなエピソードを思いつくままに五つ六つノートに書きつけていたら、ふいに背後から「わっ」というような声と一緒に肩をたたかれた。
 ふりむくと、落花さんである。
 時計をみると十時四十分。めずらしくあなたは、約束した時刻より、二十分も早くやってきたのでした。
 両手を左右、体の横に下げて、小刻みに体をゆすって笑っている。
 つまり、こういう待ち合わせのときの、いつもの儀式、左手の指を三本立てて、恥ずかしそうに口をおさえ、もじもじと三、四歩横へ動くという風情をみせなかったのです。
 この「おしゃべり芝居」の前回に、私がそれを書いたのをあなたはしっかり読んでいて(いつもたいてい一番先に読む)、恥ずかしがる自分のそんな動作を、きょうは見せまい、と意識したのでしょう。
(あなたのそういう気持ち、ちゃんとわかっています)
 出会いの瞬間の恥ずかしさに、思わず唇を指でおさえるというポーズをとり、それを私に指摘されることが、また恥ずかしいのでしょう。
 どっちにしろ、男の目にそれは愛らしく好ましい動作であることはちがいありません。
「早かったですね。コーヒーのみますか?」
 と言って、私はあなたに、となりの椅子をすすめました。
 二十分早くきたのだから、二十分間よけいにおしゃべりができるというわけです。
 二十分間よけいにしゃべることができるなんて、ケチなことを言わなくても、きょうは一日じゅう二人だけの時間なのだから、あんなにもせわしなく、二人が同時に勢い込んでしゃべり合わなくてもいいはずなのに。
(でも、これはじつをいうと、毎度のことなのでした)
 十一時五分を過ぎてから、コーヒーショップを出て、京浜東北線にのりました。電車はすいていました。
 この電車の中でも、よくしゃべったなあ。
 どうしてあんなにしゃべることがあるのでしょうかねえ。
 目的の駅について、降りました。一生けんめいしゃべったせいで、おなかがすきました。あいかわらず、私は卑しい人間です。おなかがすくと、すぐに何かがたべたくなる。空腹を我慢するということができない。
 駅前のPRONTで一緒にスパゲティをたべ、おしゃべりをつづけながら、またコーヒーをのみました。
 つい四日前にもあんなにしゃべり合ったはずなのに、どうしてこんなに、あとからあとから、しゃべることが出てくるのでしょうか。
 とにかく顔を合わせれば、話したいこと、話さねばならないことが、堰を切ったようにあふれ出し、とめどがなくなるのです。
 食後のコーヒーをのみながら、また話が盛り上がり、あっと気がついたときは十二時を過ぎていました。
 目的の場所が開場するのは、十二時半。一時開演です。
 初めて行くところなので、途中で迷うことを計算にいれると、もう間に合いません。
 前回の「おしゃべり芝居」では、見知らぬ街の見知らぬ道を、見知らぬ風景を眺めながら、手をつないで仲良く歩きましょう、などと調子のいいことを書き、そのための地図も用意していたのですが、そんな余裕はなくなりました。
 腹がいっぱいになると、全身がだるくなって、歩くのも面倒になってきます。なさけない後期高齢男です。
「間に合わない。やっぱりタクシーにのろう」
 そうきめました。
 駅前はさまざまな大小高低の建物が雑然とかさなり合っていて、タクシーのり場にたどりつくのにひと苦労しました。
 それにしても、おそろしいくらいに不粋な、殺風景きわまる駅前の姿でしたね。
 うす汚れた小さなビルが四方八方にひとかけらの美意識もなく建ちならび、人間の視界を封じていました。人間の心の荒廃を具象化すると、こういう風景になるのかと思いたくなるほどの醜怪な街の姿なのでした。
 往き交う人々の数も不気味な位に多くて、ゆとりがなくて、なんだかこの世の終わりという感じの眺めでした。
 その駅前を離れて、めざす町につき、払ったタクシー代は八百円とちょっと。
 私は美濃村晃ほどの度量がないので、おつりはきちんともらいます。
 タクシーをおりて、広い道路から住宅街へ入る細い道を左にまがろうとすると、その角に立った瞬間に、すぐに小屋が見えました。
 なんと、その建物の前には、赤と緑と黄色と紺に染められた幟が二本、立っているのでした。
「あ、あ、あ、あった!」
 私、思わず低い声で叫びました。
「立ってる立ってる、幟が立ってる、ね、ね、前回のおしゃべり芝居でおれが書いたとおり、幟が立っているだろう、ね、ね、ね!」
 感動しました。
 二階建ての高さで、表面はモルタル塗りの作りでした。
 古いモルタルの上に、白いモルタルを塗りかさねているらしく、建物の壁の部分は、汚れの目立つ白色なのでした。
 それにしても浅草のように、小屋の周囲を華やかに群れ集う人の姿はありません。
 閑散とした感じです。一人もいないのです。吹く風も荒涼としています。
 私が頭の中に描いていた商店街の一角ではなく、古い軒並の活気に乏しい灰色の住宅地にある小屋なのでした。通行人の姿さえ見えないのです。
 浅草だったら、いまごろ大変です。
 さあこれから快楽の時間が始まるぞ、という期待と歓喜に胸をふくらませた多勢の人間たちが、建物の周囲をわんわんうなり声をあげて包囲しています。
 卑猥なほど華やかなざわめきが、小屋の内側から、外の往来まであふれ出し、その人の渦の中へ踏み込んでいくのに、勇気を必要とするほどです。
 それなのに、ここはどうだ、ひっそりと湿っぽく静まりかえり、暗い空気がただよっていて、町の人々に娯楽を放出するという生気が感じられない。
 だけど、そうなのです。この雰囲気も、私の予感のなかに入っていたのです。いや、こうでなければならない、という気持ちもありました。
 入場券を売る窓口に、五千円札を差し出しました。二人分、三千二百円。
 千八百円のおつりをもらいました。あとでわかったのですが、チケット売り場と場内の売店とは、同居しているのでした。
 おばさんが一人で窓口に顔を出しては入場券を売り、売店にアメやお茶を買いにくる客には、その相手をしているのでした。
 そのチケットを入り口のカーテンの裏側に立っているおじさんが受け取ります。これもあとでわかったことですが、そのおじさん(というよりおじいさんと呼ぶべきかもしれない)が、カーテンの裏側に立ったまま、舞台にあてる照明係を兼ねているのでした。
 入るとすぐにせまい土間があって、目の前が上がり框になっています。
 畳敷きの空間がひろがっていて、そこが客席です。つまり、客は靴をぬいで畳に上がり、舞台と向き合うわけです。
 土間にダンボールの箱が置いてあり、中には使い古しのポリエチレンの袋がたくさん入っています。
「靴はその袋へ入れて、持って上がってください」
 と場内係らしいおばさんが教えてくれました。
 上がって畳の上にすわろうとすると、その場内係のおばさんが、
「座布団代、百円」
 といって、側につみ上げてある座布団の山を手でポンとたたきました。百円玉を二枚渡し、座布団を二枚借りて、あなたと二人並んですわりました。
 こういうシステムで芝居を見るのは、私ははじめてではありません。
 むかし、千葉県市川市の鈴本演芸場では、お金を出すと、座布団とタバコ盆を貸してくれました。冬になると、それに加えて、手あぶりを貸してくれました。手あぶりとは小さな火鉢のことです。
(このことは何年か前、この「おしゃべり芝居」でも書いたことがあります。私はこの鈴本演芸場で、伊藤晴雨がモデルになっている芝居、鈴木泉三郎作の「火あぶり」を見たのです。しかも、伊藤晴雨のすぐ近くにすわって……)
 一時十分前になりました。
 私たちが入ったとき、客の姿は三十人ほどでした。年配の客が多い。みなさん座布団の上にぺったりお尻をつけてすわっています。
 開演近くなると、五十人ほどになりました。幕があく寸前になると、いつのまにか客の数はさらに増えました。計七十人位になったでしょうか。
 午後一時、定刻ぴったりに柝が入り、アナウンスがひびきました。
 一番目が、ミニショー。
 二番目が、お芝居「かんちがい」。
 三番目が、グランドショー。
 アナウンスが終わり、幕があくと、正面に正座した座長のあいさつ。そのすぐあとに、若手三人による舞踊「三番叟」が始まりました。
 長唄の演奏でやる歌舞伎舞踊の三番叟ではありません。衣装は一応それらしいものをつけていますが、歌は長唄をアレンジした、いかにも当世風の三番叟です。舞台の袖でかけるテープかCDの音で踊るわけです。
 真ッ白に、きれいに、こってりと白粉をぬった三人の若い役者が、まじめに、一生けんめい踊ります。十五分間ほど踊って、これが即ちミニショーというわけです。
 やや、こういう書き方をしていると、どんどん文章が長くなる。それは私の予定になかったことです。何から何まで感動的な体験だったので、こまかく書いておきたい気持ちはある。だから仕方がない。
 だけど落花さん。私は今回、こういう文章ではなく、この一座の長老二人の芸について、その練達の芸に圧倒された私の気持ちを、いきなり書き出しからぶつけてみたかったのですよ。それが、いつのまにか、こんなふうになってしまった。でも、これはこれで一つの記録です。
 ああ、よかったなあ。旗丈司と金井保夫。
 二人の、とても芸とは見えない芸。たっぷりと年期の入った芸……。
 つぎは、いきなり書きますよ、二人の芝居のことを……。私自身のために。

つづく

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