濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百五十三回
スリッパを二足買いました
|
|
あしたは、私が長いあいだ保ってきた私の処女を失う日であります。
いや、長いあいだ守りつづけてきた私の「処女膜」が破られる日です、と書いたほうが、表現としては衝撃的だな。
いやいや、考えてみれば、べつに、守りつづけてきたという気持ちのものでもない。
私の処女なんか、だれも狙っていなかったというだけのことである。
つまり、私には、そもそも処女性なんかなかったというだけのことである。
私の処女膜なんか、だれが欲しがるもんか。つまり、値打ちなんかない、ということである。
それが、どういう風の吹きまわしか、欲しいという人が出てきた。
で、私はそのとき、妙に機嫌がよかったので、
「ああ、いいですよ」
と、こたえてしまったのだ。
考えてみると、過去に一度だけ、私はこの仕事部屋に、三人の男女を招待したことがある。正確には、二〇〇四年八月一日。
招待というより、それまで十数年間住んでいた目黒から、この地への引越しの手伝いをしてもらったのだ。
(そうか、あれからもう六年以上たつのか)
三人が同時にきてくれた。
一人は私のエッセイを連載してくれている出版社の編集者。
一人は以前から親しくさせていただいている画家。この方は住居が比較的近いので、自転車にのっておいでくださった。
一人は、ずいぶん長いあいだステージで踊っている女性、つまりダンサー。
だけど、この御三方が見えられたときには、私の仕事部屋には、前住所からの引越し荷物が到着する前だったので、まだ仕事部屋としての形をなしていなかった。
机すら置いてなかった。段ボール箱が数個と、あとは空間。
テーブルが一つと、椅子が四脚。そのテーブルを囲んで、出前のピザと缶ビールで乾杯した。
だからべつに、処女膜を破られたという感じではなかった。まだ処女の状態であった。
三年ほど前、中原るつさんからの提言で、この「おしゃべり芝居」の連載を開始したとき、私は安い使いすてカメラで、自分の仕事部屋を数枚撮影してホームページにのせた。
中原るつさんからの提言、といっても、私はパソコンのことも、インターネットのことも、ホームページについての知識も皆無なので、具体的に、実際的にすべてをやってくれたのは中原るつさんである。
私は何もやらない。やらないといいより、できない。IT機器の世界では文盲である。
ボールペンで一字一字原稿を書いて、FAXで彼女に送るだけである。
このときホームページにのせた私の仕事部屋の写真は、前述のように、私が自分で、自分の恥ずかしい姿を撮ったものである。
だから、いってみれば、この写真は、私の「自慰行為」である。
自慰行為も他人に見られたら恥ずかしいけど、あしたはちがう。
あしたは、ホントに恥ずかしい(だろうと思う)。
業界ではAクラスと呼ばれる誇り高き出版社の美人編集者と、当代一流の敏腕カメラマンと評されるカメラマンがおいでになる。
(私は不勉強でこのカメラマンの名声と仕事ぶりを知らなかった。中原るつさんに教えてもらった。さすがは風俗資料館の館長である。よくご存知である)
このカメラマンが、私の処女を破らせてくれと言ってきたのだ。それは私が三年前に撮って、中原るつさんがホームページにのせた私の仕事部屋の写真をみたからである。
私の自慰行為は、そのカメラマンにとっては、かなり刺激的だったらしい。
自分の処女を他人(他人にきまってるけど)にあげるなんてことは、大変なことである。処女喪失という位のものである。
(でもね、ホントのことをいうと、私の処女なんて、なんの値打ちもないのですけれどね。でも、いまはそれを言わない)
私にとっては、しかしながら、いささかの刺激はあります。
そうなのだ。私はすこしばかりの刺激をもとめるために、処女を捧げることを決意し、あしたがいよいよ、その処女決別の日なのです。
ああ、やっぱりちょっとドキドキするかなあ。なにしろ、私の仕事部屋の中に、はじめて他人の足が入ってくるのです。
私の処女を写真に撮って、それをどういうふうに使うのか、私にはさっぱりわからない。
きけば教えてくれるのだろうけど、めんどくさいから、ききもしない。
私はもう八十一歳ですからね。
人間八十一年間も生きてくると、ゴチャゴチャ説明されるのもうるさくて、もうなんでもいいや、勝手にやってくれ、という気持ちになってきます。
というわけで、あしたは私のおそろしく汚い、下品な、埃だらけの、支離滅裂な仕事部屋へ、はじめて他人を入れて、びっくりさせて、そのびっくりするところを私が見て、いささかの刺激を得られたら楽しいかな、と思い、いまこれを書いているところです。
あしたこられるそのお二人のために、新しいスリッパを二足買いました。
私の部屋には、当然、これまでスリッパなんてものはなかった。
靴をぬいで上がると、たちまち足の裏が汚れる。埃だらけになります。ですから一足三百五十円のスリッパを、スーパーで二足買いました。私の、せめてもの歓迎の心です。
きのうはきのうで、飯田橋の風俗資料館で、花川ちぐさという大変な女性と会っていたのですよ。
花川ちぐさというのは、四十五年前にモデルをやっていた女性です。この女性については、河出書房新社から出してる私の"「奇譚クラブ」とその周辺"という文庫本を読んでください。くわしく書いてあります。
風俗資料館には、彼女が掲載されている雑誌がたくさんあります。
四十五年ぶりの再会でありました。これまで音信不通でぜんぜん会わなかったのに、まるで昨日も会って今日も会ってお話しているようねえ……と花川ちぐさ嬢は明かるくニコニコ楽しそうに、間断なく笑いながら、二時間しゃべりつづけました。
ですがそれは、つまるところ、まともに相手になれば退屈な彼女に対応して、ああいうふわふわした過去の浮わついた無責任話へもっていった私の話術、雰囲気醸成、演出力のせいなのですよ。
でも、私と四十五年前のモデルとの、あのたわいのない話がのびのびとできるのは、やはり風俗資料館だけだということを、あらためて認識しました。風俗資料館は、そういう意味でもありがたい存在です。
中原館長は、私と花川ちぐさ嬢のとりとめのないむかし話を、楽しそうに笑いながら聞いていらっしゃいましたね。
「次回のおしゃべり芝居は、きょうのことを書かれたらどうですか」
と中原館長は言ってくれましたが、彼女との再会は、しょせんあれだけのもので、あとはもう書くことはありません。内容がない。
こんな思想性のないエッセイでも、何かしらの問題提起がないと書けないものですね。
それよりも、あしたの昼間、その美人編集者とカメラマンの撮影と、私へのインタビューが終わってから続いて私の所属する劇団の次回公演のための打ち合わせの飲み会みたいな集りが、夜あります。
或る旧家に棲みついている座敷童子(わらし)ならぬ座敷じじいが私の役で、ほとんどモウロクしていて、変なことばかりつぶやいている妖怪、ということらしいです。
私はもうセリフが覚えられないので、舞台のセットいっぱいに、私のセリフを堂々と大きく書いておき、つまり、私のセリフが観客にも見えるセットになっていて、それを私が読みながらドラマが進行していくという、これまで見たことも聞いたこともない内容の芝居らしいのです。
これは私どもの座付き作者によるアテ書きの台本です。
「うん、おもしろい、それはおもしろいよ」
と、私は電話で聞きながら、声をはずませました。
うまくいけば、これはちょっと、私にとって刺激的な芝居になりそうです。
劇団の仲間たちと会って、こんな芝居を語り合うことが、私の仕事部屋を露出するより刺激がありそうです。
(つづく)
濡木痴夢男へのお便りはこちら
|