ともしび座うごきだす
いかなる運命のめぐりあわせか知らねども、この数カ月間、やたらに用事が多くて「おしゃべり芝居」を書く余裕がなかった。 仕事というか、たのまれごとというか、とにかくつぎからつぎへと頭上から用事がふりかかってきて、ゆっくり寝ているひまもなかった。 私は昼といわず夜といわず、ぐだぐだだらしなく寝ていることが好きなのだ。年のせいではなく、若いころから寝ることが好きである。寝ることが唯一の道楽といっていい。 (なんという安い道楽だ!) 寝ること以外の道楽、いや快楽のいろいろは、私にとっては「仕事」である場合が多いのです。 キザな言い方をゆるしていただければ、私は快楽を仕事として、これまで生きてきた人間です。 河出書房新社からお仕事を頂戴している「美濃村晃物語」(仮称)は、三百十八枚まで書きました。 四百字詰原稿紙のマス目に一字一字ボールペンで書きつらねて三百十八枚です。あと七百枚は書かねばならない。 美濃村晃のことを書いているのだから、これももちろん道楽みたいな楽しい仕事なのですけど、他の新しい快楽がぐんぐん割り込んでくるので、そっちのほうのお相手もして、いまちょっとひと休みしているところです。 この「おしゃべり芝居」の中での一つの話が終わらなくて、このつづきは次回で、といいながら書けなくなることが、たびたびあります。 いますぐ書いておかなければならないことでも、どうにもひまがなくて尻切れとんぼになってしまう。するとすぐに新しい用事が目の前にかぶさってくる。 その新しい用事も大切であり、そっちを先にやらなければならない事態になってくる。前のことはずるずると後回しになってしまう。 きのうもRマネが、目尻をきりりと吊り上げて私にせまってきた。 「先生、おしゃべり芝居に、ともしび座のことを書いてくださいよ。忘れてちゃ駄目ですよ。おしゃべり芝居、いつまで休む気ですか」 かなりきびしい口調である。 私、たじたじとなりながら、 「ああ、そうだ、あれも書かなくてはな」 Rマネに言われるまでもなく、 (ともしび座のことを書かねばならぬ) と私もこの数日間、他の仕事をしながら、毎日思っていた。彼女を怒らせることはできない。IT機器オンチの私にとって、彼女の存在は神の如きものである。 (なにしろ、この「おしゃべり芝居」は、何から何までRマネが取り仕切っている。彼女がいなければ「おしゃべり芝居」は、はじめから成り立たないし、存続しないのだ。私がボールペンで一字一字書くように、彼女はその原稿を一字一字ワープロに打ち込み、ネット上に構成してくれているのだ。現在までにその字数は、なんと合計七十万字に達しているという。Rマネよ、ありがとう!) さて、その「ともしび座」と名付けたグループのことである。 いきさつはいろいろあるのだが、ここでは省略して、かんたんに書く。 中心人物は、山之内幸さん、中原るつさん、私、そしていま交渉中だが、早乙女宏美さんである。 この前、映像作品「人質」を制作した主要メンバーであり、実戦に役立つもろもろの力を有する人たちである。 いま私が最も信頼できる、気心のわかり合った仲間である。気心がわかり合うというのは基本的な条件だが、実際の仕事面において、それぞれすぐれた能力をもつというところが心強い。どんなにいい性格であても、創作の現場で役に立たなかったら、仲間に入れるわけにはいかない。 以前から、山之内幸と中原るつが、顔を合わせるたびに「人質」に次ぐ作品をつくりたいと語り合い、それが私に伝わり、次回作への実現にむかって、いま一歩を踏み出した形である。 「ともしび座」とは、わかりやすくいえば、次回作をいい形で実現させるためのグループ名である。 ただし、こんどは動く映像つまりビデオではなく、写真集をつくろう、ということになった。 なぜ写真集ということになったか、そのきっかけは、じつはこの「おしゃべり芝居」の前回の「スリッパを二足買いました」にある。 私つまり濡木痴夢男の仕事部屋、およびその部屋に巣食っている私を撮影した都築響一カメラマンが、それを私家版のようなコンパクトな形で写真集にまとめてくださったのである。 それは愛情に充ちた手作り感のある、なんともすばらしい写真集であった。 それを手にした中原るつと山之内幸が、たちまち強烈な刺激をうけた。この写真集を参考にして、私たちもつくろう、ということになったのだ。 というわけで、都築カメラマンの写真集「田端方丈記」がきっかけになったのだが、内実には、彼女たちの周囲にうごめくそれぞれの現状に、うっくつ感があった。 私にもその種のうっくつ感とか不満が、まあ、ないことはない。(いや、非常にある)だが、私はもう片足を棺桶の中に突っ込んでいる人間なので、たいていのことは、あきらめている。 私としては、山之内幸という、カメラマンとしては世間に知られてないが、すぐれた感覚をもつ人間の力量を、私もすこしばかり力を添えて、明確な形で記録しておきたいという気持ちがある。 さいわい、沢戸冬木さんといういいモデルが、私の声の届くところにいる。山之内幸カメラマンがもつ緻密な感覚にふさわしい、繊細なカミソリのような迫力を全身に秘めたモデルである。強烈な個性の持主である。 カメラだけではなく、プロデューサー的な役も兼任している山之内のほうから、モデル冬木に連絡をとってもらうと、 「冬木さんから返信がありました。喜んでモデルをお受けします、とのことです。また先生の縄に触れることができるかと思うと、それだけで嬉しいです、力が漲ります、とメールにありました」 そして、 「彼女がやる気まんまんなのでこちらも嬉しい限りです。実際の日取りを決めて動いていきましょう。先生からの希望は中原さんに伝えてもらって、あとこまかいことは、私と中原さんの二人で段どりしていきます」 という山之内からの返事があった。 撮影場所をいろいろ考えたのだが、中原るつからの意見もあって、山之内幸の自宅で撮ろうということになった。 (あるいはこれも「田端方丈記」の影響かもしれない) で、数日前、私は中原るつと一緒に、山之内邸へロケハンに行ったのだ。山之内はストーブの火の上で、ぜんざいを作って迎えてくれた。 凄い部屋であった。モデル冬木も個性的だが、この撮影の舞台もおそろしく個性的である。いい柱があり、それがうれしかった。 どういうふうに個性的で凄いか、ここには書かない。山之内幸が撮った写真をみればわかる、ということにしておこう。 都築カメラマンが撮った濡木痴夢男の仕事部屋が凄いか、山之内カメラマンが撮った山之内邸のが凄いか、お楽しみである。 山之内の写真のほうが、モデルの冬木が写っているだけ、分(ぶ)がいいような気がする。 いつのまにか敬称を略して、山之内幸、中原るつ、になってしまった。彼女たち、気分を害するだろうか。ま、そんなことはあるまい。 「ともしび座」のスタッフとして登場する場合はこれからも敬称略となる。そのほうが自然であろう。 この写真集のタイトルは、早くも決まっているのだ。 「白日夢」という。山之内幸も賛成してくれている。 「白日夢」が勝つか「田端方丈記」が勝つか。どちらが勝っても、二冊の写真集の中に存在する主人公は、私であろう。 そう思うと、いささか気分がいい。そして私の責任を意識する。 (つづく)
(つづく)