2011.3.1
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百五十五回

 人間くさい熱い空間


 沢戸冬木さん、前回のおしゃべり芝居「ともしび座うごきだす」読んでいただけましたか。
 こんど私たちの「ともしび座」で、あなたを撮影することになりました。
 ともしび座については、大体前回書いたとおりですが、他にこまかいことは、こんどお会いしたときに改めてお話します。
 新しくあなたを撮影する場所は、これまであなたをモデルにしたような、いかにもそれらしく形どおりに整備された営業用のスタジオとちがって、ちょっと凄いです。
 凄いというのは、すばらしいということです。
 一歩なかへ入っただけで、グググーッと心にひびくものがあって興奮します。
 私なんかは、室内をひとめ見渡した瞬間、ウーン、凄いッ、ここここりゃ凄いや! とうなり、たちまち勃起してしまいました。
 撮影場所へ入り、その空気を吸っただけで私が勃起してしまうのですから、その強烈な雰囲気というものは想像できるでしょう。
 え? それだけでは、とても想像できないって?
 ああ、そうでしたね、あなたが過去に経験したのは、たしかに一時間いくらの、きわめて営業的な貸しスタジオでしたからね。想像するのは難しいかもしれませんね。
 貸しスタジオというのは、背景でも調度の品々でも、一応はそれらしく出来上がっているのですが、じつは大体において生活感がなく、人間の体温度が低く、つまり、リアリティに乏しいのです。
 いってしまえば、それらしい眺めはあっても、何をやったところで、人間の魂というものが感じられない空間でしかないのです。
 人間の魂が感じられないということは、いくらその場所で美女を縛ったところで、存在感が希薄で、どこか演技っぽい、そらぞらしい、うすっぺらな体温の低い写真しか撮れないということです。
 そこへいくと、こんどの撮影場所、つまり山之内邸は凄いですよ。
 なにが凄いって……いや、やはりここで言ってしまうのはやめましょう。
 撮影の日、あなたをあそこへ連れていって、いきなり見てもらうことにします。
 あの空間の、あの熱っぽい人間臭い濃密な空気に触れたとき、するどい反射神経をもつあなたが、どんな反応をみせるか。
(ふふふ……楽しみだなあ……)
 あなたはおそらく「うっ!」といって息をのみ、部屋の入り口で、しばらくは立ちすくむはずです。
 あなたは私の縄の感触を、私が何もしないうちから、実感として感じてしまうでしょう。
 といって私は、あなたの肉体に、ひどいことをしようとは思っていません。私の縄は、いつもどおりの縄のはずです。
 私はあなたを「残酷拷問我慢大会」のヒロインにしようなどという気は、まったくありません。
 いわゆる三角木馬とか、革や木製の枷具とか、ムチを並べた棚だとか、ああいう一見おどろおどろしい物を飾り立てた空間は好きではありません。
 ああいう物は、「縄」に自信のない人の、その自信のなさを証明するような道具にみえてしかたがありません。
(ああいう責め具の好きな人ゴメンナサイ)
 あの種の拷問道具を、ことさら表紙に飾り立てているような写真集は、それだけで敬遠します。ページの中の写真は、もう大体わかってしまいます。
 大股開きに縛りつけたモデルの股間に異物を挿入したようなシーンが、どうだ、すごいだろうと、押しつけがましく展開しているはずです。
 はっきりいって私は「残酷拷問我慢大会」の映像も写真も、あまり好きではありません。
 あまり意味のない縄をゴテゴテとこけおどかしに使い、哀感も情感もない縛り方でできあがっている写真は、私たちの好む緊縛作品とは程遠いものなのです。
 似てはいますが、非なるものです。
 誤解しないように念のためにいっておきますが、私たち縄派がどんなに嫌っていても、ああいうものを好む人たちもいらっしゃるでしょうから、けっして否定はしません。
 私たち縄派の好みとは、ずいぶんちがうなあ、と思っているだけです。
 私は過去に「緊美研ビデオ」というものを作りましたが、その作品は大勢の緊縛マニアのみなさんに熱く支持されました。
 ですから、緊縛愛好家のみなさんが、どういう作品を好まれるか、私はよく知っているつもりです。
 私自身の好みと、縄マニアの人たちの好みがぴったり一致しているからです。
 そういう私の好みを前面に押し出し、今回のカメラは、あなたもよくご存知の山之内幸氏にお願いしました。
 演出の中原るつ氏と相談し、
「冬木さんモデルの撮影は、山之内さん、あなたのお家でやりたい」
 と、ずうずうしくもお願いし、先日中原氏とロケハンに行き、感動して、痺れて帰ってきた、とこういう次第です。
SMネット」という隔月刊の雑誌があります。その雑誌に私は毎号「前略、縛り係の濡木痴夢男です」という緊縛作品論を書かせてもらっています。
 連載しているその私の文章に毎回一枚ずつ添えられているのが、山之内幸カメラマンの作品です。
 そして、この写真のモデルが、すべて冬木さん、あなただということは、よくご存知でしょう。
 私は、あなたを撮った山之内カメラマンのこの写真が、非常に好きです。
 足を大きく左右にひろげて、ゴテゴテ縄をかけた裸の女の写真には、正直いって嫌悪感すら抱きますが、山之内カメラマンが撮ったこの写真を見ていると勃起してきます。
(縄マニアの男の反応なんて、単純で、わかりやすくて、恥ずかしいくらいのものです)
 なぜこの写真が好きかというと、カメラマン自身が、縛られている女性の脳内宇宙に入りこんでシャッターを押すという、緊縛カメラマンにとって最も重要な感性を、だれに教わったわけでもなく、山之内氏はごくしぜんに身につけているからです。
 これは、縛られたモデルを、単なる被写体としか見ることができない古い職業カメラマンには、真似のできない撮り方なんです。
 私はメカ・オンチであり(パソコンはおろか、ケータイ電話ももっていない)カメラの構造とか技術のことなんか全くわからないので、このへんの説明がよくできない。こんなふうにしかいえないのが残念です。
 山之内氏はカメラを構えながら、その魂は縛られている女性の脳内に入りこみ、自分も同化してしまいます。
 カメラという機械のテクニックのことはわかりませんが、それをあやつるカメラマンのシャッターを押す瞬間の気持ちはよくわかっています。
 縛られている女性の脳内に浸透し、縄による苦痛も快楽も、自分自身の感覚に同化させてしまっている山之内カメラマンは、モデルの繊細な心身の動き、その反応を敏感に察知します。
 だから彼女は、冬木さん、あなたの瞬間的な絶妙のシャッターチャンスを逃すことなく、いい緊縛写真を撮ることができるのです。
 モデルの表面的な苦痛とか、快楽だけしか撮れないカメラマンは、モデルの魂の奥底にせまることができないのです。
 縛られている女性の快楽と甘い苦痛を、自身でも味わうことのできないカメラマンに、いい緊縛写真が撮れるはずはないではありませんか。
 山之内幸カメラマンは、自分が寝起きしているあの魅力的な空間で、冬木さんの新しい被虐美、あの柔軟に反応する官能美を、どのように悩ましく撮ってくれることでしょうか。
 ひさしぶりに私、ぞくぞくしています。
 冬木さん、撮影する日が、刻々と近づいています。
 いまのあなたのお気持ちはいかがですか。
 おや、前回から私は、この「おしゃべり芝居」の登場人物、とくに「ともしび座」の仲間たちは「敬称略」で書くつもりでいたのに、いつのまにか今回は敬称をつけている。
 私はどんなに親しい間柄であっても、他人を、とくに女性を、呼びすてになんかできない。
 どんなに女性を縛っても、私はやっぱり、フェミニストなのです。

つづく

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