濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百五十六回
早乙女宏美の新写真集
|
|
サニー出版という出版社から出ている「SMネット」という雑誌に、私は毎号連載で「前略、縛り係の濡木痴夢男です」と題したエッセイを書かせていただいている。
その第十七回目に「真の緊縛写真集をつくるぞ!」という文章を書いた。
これを読んでくれた山之内幸さんから、すぐにFAXで返事が送られてきた。
それは私にとって、胸が熱くなるほど誠実な情熱のこもった、ありがたい返事であった。私の気持ちが、完全に山之内カメラマンに伝わったことを確信した。
「ともしび座」をつくってよかった、と思った。
私は感動し、すぐに山之内カメラマンにあてて、いまの私の正直な気持ちと、そして、つぎのような決意の文章を改めて書いた。
幸さん。
いまの私を、最高にいい気分にさせてくれ、やる気を起こさせてくれる手紙を送ってくれてありがとう。感謝します。
そうなんです。
あなたが言うとおり、私のあの文章は、まさしく「ともしび座」発足第一弾の決意表明でありました。
第一弾に早乙女さんを選んでくださったのは、非常に適していると思い、私にとってありがたいことです、とあなたは書いてくださり、私の心に、さらに弾みがつきました。
早乙女宏美をモデルとする新しい緊縛写真集のための撮影、その現場における私の心構えを、これから思いつくままに、順不同に書いていきます。
読んでください。
撮影は、前にみんなで話し合ったように、幸さんの自宅の、あの部屋をお借りしてやりましょう。
貸しスタジオなどを使うと、うすっぺらなウソばかりが目立って、いまはもう、いい緊縛写真は撮れません。
スタジオというだけで作り手の緊張感は弱まり、どんなにいい緊縛をやっても、すでにマンネリ化している「仕事」という雰囲気に染まってしまいます。
幸さんのあの部屋は、おせじでなく、すばらしい。空気の色までリアリズムの匂いを発しています。
異様に肥えたネコが、人間の足もとを怖れるふうもなく、のたりのたりと歩いているところもいい。
あのお家での撮影は、すでに他のカメラマンが、他のテーマで何度か使用されているとのこと。
そのときの写真と背景が同じになって、似たようなムードにならないように気をつけなければ、と幸さんは言いましたが、ご安心ください。
私は、いや、私と早乙女宏美は、他のカメラマンでは出せないような、独特の味わいの濃いムードを、あの部屋でつくりだしてみせます。
あの部屋で寝起きしているあなたが、
(ヘエッ、ここはどこ?)
と、おどろくほどの変化を、私がつくりだしてみせましょう。
そして、あの部屋に入って、あの柱の前にすわれば、早乙女もごくしぜんに変わります。
被写体である早乙女自身の存在のムードが変われば、レンズの中におさまる早乙女のムードも当然変わります。いままでに見たことのない早乙女宏美が、レンズの中に妖しくうごめきます。
幸さん、あなたはその変化する一瞬を、逃がさずに撮ればいいのです。
いや、変化を撮ればいいなどと、もったいぶった抽象的なことをいうのはやめましょう。
早乙女の変化というのは、早乙女のエロティシズムということです。他のモデルたちには出せない、早乙女宏美独特の被虐エロティシズムということです。
それを撮るのが、こんどの撮影での私たちの最大の使命です。
私はずいぶん前から、撮影の現場で早乙女を縛ってきました。雑誌、ビデオ、映画などかぞえきれないほど多く、あちこちの現場で彼女と顔を合わせてきました。
だけど、そのときの私の、早乙女も、結局は、お金をもらうための仕事でした。
どんなにもっともらしく演じてみせても、結局は生活費かせぎの仕事でした。
マニアではない人たちが利益のためにマニア向けの商品を作って売り、私も早乙女もそれに使われ、奉仕してきました。もちろんお金をいただいているのですから、そのことについては感謝しており、文句などとても言えた義理ではありません。
けれども私は、そして早乙女も、いつのまにか、自分でも気がつかないうちに、何かをすりへらしていたような気がします。
私たち自身のことをいえば、縛るほうも縛られるほうも、惰性に似たものが身についてしまっていました。形だけ縛ればいい、形だけ縛られればいい……。
だからこそ、こんどの写真集制作では、私は精神を集中させて、力のかぎり……。
いや、こんなふうに書くと、早乙女は心配するかもしれない。
こんどの撮影は、なんだかひどく荒々しいことになるんじゃないかと……。
もしかしたら、あの「残酷拷問我慢大会」みたいなことを始めるんじゃないかと心配するかもしれない。
そんなことはない、そんなことはない、早乙女よ。
私があんな不粋な真似をするはずがないじゃないか。
こんどの写真集では、私はむかしの「裏窓」時代の感覚にもどり、抒情味の濃い、情感あふれる縛り写真ばかりを並べようと思っているのだよ。
おや?
幸カメラマンに書いているはずの文章が、いつのまにか早乙女宏美を相手にしている気分になってしまった。
失礼した。ごめん。
これにはわけがあります。
じつは、私がこの「おしゃべり芝居」を書いている最中に、
「SMネットの濡木先生の原稿読みました」
という早乙女宏美からの手紙が、FAXできたのです。
その手紙には切実な心情が語られていたので、原稿を書く手を休めて、思わず読んでしまいました。
「……ここ数年、自分の体力、筋力が落ちはじめていることに気づいています……」
という、せつない告白があり、私は胸を衝かれました。
それでつい、心が、早乙女のほうに向いてしまいました。
というわけで、ここからあとは、幸カメラマン、早乙女宏美、そしてもう一人、こんどの撮影のプロデューサーである中原るつさん、つまり「ともしび座」の同志たちみんなに向けた私のお願いになってしまいます。
いつものことながら文脈の乱れ、どうかご寛容ください。
早乙女よ。安心しなさい。女の本当の魅力は、これからだよ。
体力が落ち、筋力が落ちたのではないかと不安をおぼえたときから、女の肉体のエロティシズム、とくに、縄で縛られることを好む女のエロティシズムは、いっそう妖しく熟し、艶を増して輝くのだよ。
自分で自分を縛って天井から逆さになってぶら下がったりするのはもうつらい、というけど、あんなものはSMでもなければ、緊縛とはまったく無関係のアクロバットにすぎない。
私は早乙女が、ステージでああいうものを演じはじめたときから、面と向かって、
「あんなことをして、何がおもしろいんだ」
と悪口を言いつづけてきた。
もちろん早乙女自身も、私が悪口を言いつのる意味はわかっている。はっきりと言える立場ではないから口には出せないが、結局は(お金のためだから仕方がないの)ということだ。
早乙女よ。安心するがいい。
こんどの「ともしび座」の写真集には「吊り」なんかない。もちろん「逆さ吊り」なんてしない。
「残酷拷問我慢大会」みたいな真似は、ぜったいにやらない。ああいうものを私が嫌っていることは、早乙女もとうに知っているはずだ。
なぜああいうものをやらないかというと、ああいうものには、エロティシズムが存在しないからである。
いや、ああいうものにしかエロティシズムを感じない人もいるだろうとは思う。だが、私たちのような緊縛マニアには、まったく受け入れられない種類のものだ。
や、この文章のはじめに、こんどの撮影について、思いつくままに順不同に書いていく、と断っておいたが、本当にそうなってしまった。私のこの「おしゃべり芝居」は、いつまでたっても横道に外れてばかりいる。
こんどの横道はまがりくねっていて長くなりそうなので、このへんでひとまず休憩にする。
(つづく)
濡木痴夢男へのお便りはこちら
|