2011.4.1
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百五十七回

 「ともしび座」から「ともしび」へ


 前回にひきつづいて、「早乙女宏美新写真集」の撮影準備のことを書く。
 この文章は、こんどの撮影に参加する早乙女宏美、山之内カメラマン、および中原プロデューサーに読んでもらいたい、というよりも、私自身のための心覚えである。
 私は、何をやっても短気で、浅慮で、そそっかしく、すぐに横道に外れるクセがあるので、それを自戒するために、これを書いている。
 こんどの写真のテーマを、自分の心のなかに、改めてしっかりと刻みつけて、わき道や横道に踏み出してしまうことのないように、自分に言いきかせるためのメモである。
 こんどの撮影は、山之内邸の一室に、モデルの早乙女、山之内幸カメラマン、中原るつ氏、それに私の四人だけが閉じこもり、それ以外には一切スタッフを増やさないこと。
 あとで説明するが、これには重要な意味がある。
 私は、くり返すがきわめておっちょこちょいの性格で(そのために、これまで何度中原館長に叱られたか数えきれない)同じ嗜好を持つ気の合った人をみると、
「こんどの撮影、おれ、ものすごく気合いをこめてやるからおもしろいよ。見にこないか。スタッフの一人として手伝ってくれよ」
 などと、つい、調子のいいことを言ってしまうのだ。
 スタッフの人数がふえると、撮影現場で生じるさまざまな雑事をやってもらえるので、私としては気分的にも体力的にも楽なのだが、その楽な分だけ全体の緊張感が欠けてしまうのだ。
 こんどの撮影では、緊張感を欠いてしまうような要素は、すべて排除しなければならない。したがって、そういう臨時のスタッフの参加は許可しない。
 そういう見物人的な参加者が一人でもそばにいると、撮影の密度がうすくなり、モデルの気分が乱れる。
 モデルだけではない、見物人がいるというだけで、私の気分もどこか緊迫感が弱まり、縄の動きも弛緩してくる。
 つまり、悲しいことに、見物人にみせるための気分になり、縄の動きになってしまう。
 永年の習慣である。
 思えば、私はいつも、だれかに見せるための「縛り」ばかりやってきた。私はしょせん下働きのサービス業者である。
 だが、こんどの撮影では、これまでのその位置から、すこしでも脱却したい。
 そして、早乙女の意識の中からも、これまでの職業モデルとしての習慣とか、惰性のようなものを払拭してもらいたいのだ。
 ハダカになってカメラマンの言うとおりにポーズをとっていればお金がもらえる、黙って縄で縛られていればギャラがもらえる、こういう過去の職業意識から、ぬけ出してもらわなければならない。
 ありがたいことに、いま現在、早乙女は自分からそういう気持ちになっているのだ。
 その気持ちに、山之内、中原、私の三人が乗った、と言えば言えなくもない。
 いまこそ早乙女には縄マニアとしての本心を、むきだしてもらわなければならない。彼女の個性的な性欲の姿を、私たちに見せてもらいたい。
 その姿が私たちに見えなかったら、こんどの撮影の意味も意義もない。
 古い言葉で形容すれば、私たち四人は「肝胆相照らす仲」である。
 同じ「世界」に呼吸し、たがいに心の底までうちあけて深くつきあってきた仲である。
 いまここへきて、こういう企画のもとに私たちが結集し、燃えあがっているということに、私は運命的な必然を思わずにはいられない。
 まさに、機は熟したり、という感じなのだ。
 とはいうものの、私を除いて他の三人、つまり早乙女、山之内、中原氏らは、それぞれに責任のある仕事をもち、毎日が忙しい。普通人以上に多忙な生活を送っているはずである。
 おたがいの連絡はかなり密にしているのだが、実際に四人が同時に顔を合わせて語り合うというチャンスは、意外にすくない。
 それが、じつはきのう、何もかもが調子よくうまくいって、まるで奇跡のようにぴったりと顔を合わせることができたのだ。
 奇跡とは何が奇跡なのか、どこが奇跡なのか、それを説明すると、それはそれで結構内容があっておもしろいのだが、延々と長くなりそうなので省略する。
 きのうの会には、私たち四人の他にもう一人、私たちの貴重な同志であり、かけがえのない古い仲間のT・たかし氏も参加してくれた。
 このT・たかし氏も「肝胆相照らす仲」であり、おつきあいさせていただいている年月も長く、信頼感も深い。
 ただし、やはり責任のある仕事についておられ、毎日が多忙なのでなかなか会えない。
 というわけで、T・たかし氏を加えた同志五人が一つのテーブルに顔を寄せ合い、他のフツーの人たちに気がねなく、安心して放談、歓談できるチャンスは、なかなかない。
 撮影の現場などには、多忙のために参加がむずかしいT・たかし氏だが、こんど新しく結成した私たちのグループの重要な一員であることは、改めて誘わなくても、はじめからきまっているようなものだ。
 こんな五人が顔を合わせ、時のたつのも忘れて自由に、奔放に語り合うときの楽しさはまた格別のものがある。
 きのうはまた、わずらわしいフツーの人の群れから、奇跡のように五人が脱出できて、一緒になれたので、いつもより倍も快楽的に盛りあがった。
 そうだ。
「ともしび座」というグループ名から「座」を取り除き、「ともしび」だけにしたほうがすっきりしていていい、ということになり、全員賛成して、それに決定したのも、きのうの夜であった。
「座なんてつけると、なんだか芝居の一座みたいで、違和感があるわ」
 と、中原、山之内両氏が、かなり強く言うのだ。
 元来芝居好きな私は、だから「ともしび」に、勝手に「座」をくっつけて、せめて雰囲気だけでも芝居の一座っぽい気分にうっとり浸りたかったのですよ。
 八十一歳の頑是無(がんぜな)い稚気。
 でも、お二人のコワーイおねえさまが、そうおっしゃるのでしたら、べつに固執はしない。
「ともしび座」でも「ともしび」でも、私はどちらでもいい。
 そもそも、グループ名を「ともしび」にしようなどと言いだしたのは、私なのですよ。

「こういうグループに名前をつけるとき、やたらにおどろおどろしい、コケおどかしの文字を並べて凄むような傾向があるだろう。おれ、ああいう誇大広告みたいなのは嫌いだな。作り手の腹の底が見えてしまうような気がする。ビデオとか、写真集なんかでも、やたらにそれらしい、ものものしい空虚なタイトルをつけて客の目をひこうとするけど、あれは逆効果だと思うよ。おれたちのグループの名前は、一番さりげない、目立たない、なんでもないような、さらりとした感じでいこうよ。たとえば……『ともしび』とかさ」

 と私が言ったとき、そばにいた中原るつ館長が、すぐさま、
「あ、いいわ、ともしび、いいですよ、ひらがなで、ともしび!」
 と、乗ってくれたのだ。
 こんなわけで、はじめは「ともしび」でいくつもりだったのが、なんだか「ともしび」では俳句か短歌の雑誌みたいだなあ、と私は思い、私が勝手に「座」をくっつけて、この「おしゃべり芝居」の中で「ともしび座」としてしまったのだ。
 しかし、きのうの夜の同志たちの集まりで、また「ともしび」になり、これで決定ということになった。私に異存はない。
 早乙女宏美をモデルにした新しい緊縛写真集は、「ともしび」結成の実験的な、あるいは記念碑的な意味をもつものです。
 この実験で、納得のいくものができたら、すぐに沢戸冬木さんの映像もしくは写真集にとりかかるつもりです。
 ですから冬木さん、もうちょっとお待ちください。

 あ、どうやらまた、横道に外れてしまったようだ。もっとちがうことを書くはずだった。撮影現場におけるそれぞれの心得について、こまかい注文を書き、それで当日の気分を盛りあげるはずだった。
 でも、まあ、いいや。
 いいということにしよう。
 昨夜はそんなわけで、仲良し五人組が集まり、ビールやらワインなどを飲みながら、わいわいげらげら陽気に騒いでいるうちに、撮影を実行する日も決まってしまいました。
 ああ、生きていてよかったと、早乙女宏美が泣いてよろこぶような、いい写真集をつくります。
 私には、勝算があります。
 伊達に年をとってはいません。
 そうです。腐っても、私は濡木痴夢男です。
 勝算がなかったら、はじめから「ともしび」なんかつくりませんよ。

つづく

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