2011.4.8
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百五十八回

 絵物語ふうの写真を撮るぞ


 ここは一丁、気をいれ替え、ふんどしを締めなおして取りかかろうかい、と思って、それなりの決意をしていた私だが、改めて中原プロデューサーに突っ込まれてみると、私のその決意なるものは、やはり甘かった。
 永いあいだ培われてきた「慣れ」というものはおそろしい。
 慣れというやつは、低いほう、低いほう、楽なほう、楽なほうへと流れる。
 つまりは、堕落である。
 そのことに自分が気がつかないからおそろしい。
 気がついたときには、低いところにあぐらをかき、いい気になって安住している。
「ともしび」グループ発足前の「実験」として、早乙女宏美をモデルにした新しい写真集を一冊つくろうと、私たちは企画した。
 その撮影を前にした私の心構えに、やはり、そのあぐらをかいた「安住」があった。
「安住」(あんじゅう)という言葉を、いつも手もとに置いてある旺文社国語辞典で引いてみる。

「安住」の解釈の①は、「安心して住むこと」であるが、②は「上を望まないで、ある段階で満足してしまうこと」とある。

 私がこんどの撮影に対する私の心構えを、中原るつプロデューサーに注意され、突っ込まれたのは、この「安住」の解釈の②のほうである。
 るつプロデューサーが大きな目玉を光らせてきびしく注視する撮影現場で、私が気合をこめて早乙女を縛り、それを山之内カメラマンが繊細な感覚でとらえれば、さほど巧まずとも、しぜんに、いい写真集ができあがると私は思っていた。
 同じ方向をむいてゆるぎのない四人の意志が、一室に閉じこもり、結集して、ひたすら燃えあがれば、それだけで、他では見られない種類の、納得できる緊縛写真集ができるものだと信じていた。
 その考えは甘くはないか、と、るつプロデューサーはでっかい目玉で言うのだ。
「なんの設定もなく、なんのお話もなく、ただ男が意味もなく縄を持って、女を縛るだけの写真を、私たちは撮らないようにしましょうよ。ね、先生、濡木先生、どんなにベタでもいい、古くでもいい、ありきたりであってもいい、何かストーリーをつくり、そのシチュエーションに添った写真を撮りましょうよ。ホラ、『裏窓』時代に、美濃村晃先生や、濡木先生が、さんざん撮っていた、ああいう物語性を背景に秘めた楽しい写真を……」
 表現はちがい、言葉のニュアンスも多少ちがうが、こういう意味のことを、切々と私に訴えるのだ。
 その迫力に押され、私はたじたじとなった。
「そうだね、そのとおりだね」
 私は、うなずかざるを得ない。
 こんどの撮影で私がやろうとしていたことは、白状すると、たしかに、男(つまり私)が、なんの意味も目的もなく縄を握って、慣れた手つきで、女(つまり早乙女宏美)を縛っていくだけのものだ。
 私は、いつもより気力を充実させて自分の縄さばきを見せ、それで撮影を終わらせようと思っていた。
 あとは早乙女のリアクションと、山之内カメラマンの撮影テクニックにまかせればいい……。
 しかし、それではいけない、と中原るつプロデューサーは言う。
 それでは、いま世間に出回っている写真集や映像群の質と、大差ないものになってしまう。
 縄の操作に一日の長があるからといって、それが作品に、どれほどの値打ちを与えられるものなのか。
 男がなんの理由もなく登場して、縄で女を縛り、女がまた、なんの理由も説明もなく、唯々諾々(いいだくだく)と無言で男に縛られる。
 そこに至る描写とか説得がないままに、女はうっとりした表情などをつくって終わる、という安易さ。SMというものの本来のおもしろさが、ここでは消滅している。
 この安易さについては、るつプロデューサーは、以前から不満げに首を傾げていた。その不満は、切実な心をもつ緊縛マニア諸氏の、嘘いつわりのない欲望と同一である。
 だからこそ「ともしび」の撮影では、同じ轍をふんではならない。真の緊縛マニアを、がっかりさせてはならない。
 私は、るつプロデューサーの熱意に動かされた。
 じつは私は、こういう安易な写真や映像がまかり通る(ずいぶんすくなくなったが)世情に対して、多少の責任を感じている。
 なんの意味も必然もなく男が女を縄で縛り、女のほうも全く無抵抗で唯々諾々として縛られ、そして型どおりにうっとりするという、制作者側にとって最も労力のすくない、経費のかからない安易な映像を、いちばん最初にやってみせたのは、じつは濡木痴夢男つまり私ではないかという思いが、つねに胸にあるのだ。
 私のその低予算で制作できる緊縛映像は、十数年前の一時期、商業主義の波に乗って大量に販売され、利益をあげた。
(白状すると、当時私は、その種の「縛り方入門」的映像を、私が主演して一日のうちに三タイトル撮影したことがある。一タイトルが三十分の時代である)
 ただ縛り方を見せるだけの「緊縛物」が、商業主義から見放されてから、すでに久しい。
 それでも、いまなお、形骸だけは残されていて、ときおり新作品が市場に並べられていると噂に聞く。
 だから……そう、だからこそ私は、このへんで、るつプロデューサーの忠告を、本心から聞き入れなければならない。
 よく言ってくれました、と私は彼女に礼を言わなくてはならない。
 いや、この日の別れ際、すでに礼は言ってある。
「ありがとう。そういうことをはっきり言ってくれるのも、プロデューサーとしての仕事の一つなんですよ。よく言ってくれました。言ってくれなかったら、おれはまた、安易な小手先の芸でごまかすところだったよ。ありがとう。感謝する」
 私はそう言って頭を下げ、風俗資料館のドアをあけ、ロビーへ出ると、五階から一階へ下りるためのエレベーターのボタンを押した。
 ま、こういうわけで私の身内はいま妙にひきしまり、最も泥臭い、絵物語ふうの、ベタなストーリーを考えはじめた、というわけです。
 むかしの「裏窓」にさんざん書いた、SMそのもののおもしろいストーリー、そのストーリーをもとにして、私は早乙女を襲い、縛って、ネチネチといやらしく責めるシーンを展開してみせよう。
 なんだか楽しくなってきた。
 考えてみれば、そういう絵物語をつくるのが、私の最も得意な仕事の分野なのだった。

つづく

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