2011.4.9
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百五十九回

 山之内邸の柱


 沢戸冬木さんから、封書のお手紙をいただいた。
 いつものように格調正しい、ていねいな楷書でしたためられた、切実な内容の肉筆の手紙である。
 第一行目から彼女の心情と気迫が感じられ、姿勢を正し、きちんと机の上にひろげて読まずにはいられない。
 SMとか、緊縛などの、人間の心の奥底から呻き出る真摯な欲望が、軽薄なゲームにも似た行為に、なかば遊戯化してしまっている今日の世情に、じつは私は、なかば絶望している。
 だが、冬木さんのまじめな言葉の端々に触れると、まだまだ絶望することもない、と思う。
 冬木さんの手紙は、いまをまじめに生きるM派(と呼ばれる)女性たちの真実の心情として、資料性をも有する。
 そこで、ご本人の了承を得て、私への手紙を、ここに紹介させていただく。
 個人的な情報を除いて、一人の女性の真情あふれる魂の部分だけを書き写させていただく。
 毎度のことながら、先生にお手紙を書いている時には、独特の感覚が私を包みます。
 時間がそこだけゆっくりと流れているかのような、生温かい空気が私を包むかのような、非現実的な空気が辺りを流れているようで、私をとても贅沢な気持ちにさせてくださいます。
(略)この度は、私にお声をかけて下さり、とてもとても嬉しく思いました。
 昨年の「人質」撮影のころ、いえ、それ以前より、先生と初めてお会いした日のことを度々思い出すようになっていました。
 これまで何度となく申し上げておりますように、一目でいいからお会いしてみたい、ご挨拶だけでもいいから言葉を交わしてみたい、贅沢を言うなら、そのお手に触れてみたい……それらの想いに、下心は一切ございませんでした。
 自分がモデルになることなど、そう願ったことも皆無でした。嫌だとか、嫌ではないということではなく、全く自分の発想になかったんですね。
 色々あり、以来こうしてモデルとして先生と接するようになってから、益々、安易に縄に触れ合う人たちに対する嫌悪は深まり、今では、先生以外の人間と縄を使った遊戯を愉しむことが出来なくなってしまいました。
 ですので、こうしてお声をかけて下さるのは、本当に嬉しいことなのです。
 今回、山之内さんからメールをいただいたとき、あまりの嬉しさに、目尻に涙が滲んだくらいです。
 改めまして、お声をかけて下さり、有難う御座いました。
 撮影場所であるという山之内邸も、非常に楽しみです。
 おしゃべり芝居の中に記されてあります山之内邸のご様子を思い浮かべては、私の中で更に大きなイメージとして膨れ上がり、こんどの撮影のタイトルであるという「白日夢」と、絶妙の加減でリンクし、なんだか、どうしようもなくゾクゾクしてきます。
 既成の貸しスタジオでは、イメージを膨らますのに限界があるのですが、何故でしょうか……。
 体温が感じられ、自然が存在する場所へのイメージは、無限に存るものなのですね。
 考えてみれば、スタジオというのは、それ自体が、自然の産物ではないのだから、自然な作品に成り得ないのは、当然なのかもしれませんね。
 置いてあるものも、匂いも、光りも、小さな小さな音までも、空気までも。
 特に、私のような人間が縄に触れるときは、第五感のみならず、第六感で感じるところが、とても大きいですしね。
 山之内邸、きっと、とても素晴らしいところなのだと推測します。
 先生の価値観や、感性に、長いこと共感を覚え続け、魅了され続けてきましたから、その素晴らしさは、無条件に信じています。
 とても楽しみです。
 とっても、とっても、とっても楽しみです!(笑)
 当日は、どうぞ宜しくお願い致します。
 以上のような内容で、こんどの私たちの「ともしび」グループで制作する作品に対する冬木さんの期待が素直に書かれていて、いいお手紙である。
 私たちを、ヤル気にさせてくれる。ギャラめあての職業モデルと、ここが大きくちがうところである。
 撮影場所について、モデル側からの感想を、こんなにもていねいに率直に言ってもらったのは、初めてであった。
 私のように、この世界に長くいて、背中に苔がびっしり生えてしまったような人間にしても、初めての経験である。
 既成のスタジオでの撮影ではモデル側にもイメージをふくらませることに限界がある。
 置いてある物も、匂いも、光りも、音も、空気までも、スタジオにはスタジオのものしかない。
 どこか不自然で、人間の体温が感じられない。
 モデルとして縄に触れるときには、五感のみならず、第六感で縄で感じてイメージをふくらませるのです……と、冬木さんは書いてくれましたが、なるほど、と思いましたね。
 五感というのは、いうまでもなく、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のことです。
 これを働かせる器官は、目、耳、鼻、舌、皮膚なのですが、「縄」に特殊な感情や、夢や、官能を抱くことのできる冬木さんのような人には、その五器官、五感覚以上の鋭い感覚が備えられているのです。
 こんど山之内邸で、あなたが私に縛られるとき、そのあなたの第六感が、さらに鋭く磨かれてひらめき、深く激しく感受して、まばゆいほどの全身の発散を見せてくれることになると思います。
 あの山之内邸の柱の形、色、匂いと、柱を囲んでいる空気に、あなたが実際に触れたとき、あなたの身も心も、第六感いや、第六感以上の感覚、第七感とでもいうべき官能味、そして魅力に包まれることでしょう。
 被虐美への思いをこめて立っている無言の柱。
 考えてみると、緊縛の快楽という、第三者に伝えることのできない難儀なしろものは、その第六感、第七感のなかの、奥深い影の部分にひそんでおり、この感覚を有しない人には、どんなに教えようとしても、わかりっこないのです。
(第六感、第七感の感覚を持たなくても、それらしく縄を操作すれば、表面だけは似せられるので、形だけを真似て「マニア」を自称する人々も、いまは結構いるらしいけど、私とは無縁です)
 安易に縄に触れ合う人々に対するあなたの嫌悪感は、ますます深くなっていくということ。共感できます。
「縄」をたいせつに思う人こそ、私の仲間です。
 スタジオに対するあなたの考え方のところも、興味ぶかく読みました。またお手紙ください。

つづく

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