濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百六十回
撮影まであと十日
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こんど撮影する早乙女宏美新写真集のための制作メモ。
モデルがいて、そこへ男が出てきて、なんの説明も伏線もなく、そのモデルを縄で縛って、いろいろポーズを変えて見せて、時間がきたらその縄を解いて、するとモデルがなぜか涙をながしたりして男にすがりつき、最後に全身の力をぬいて、ぐったり縄の中に寝てしまうという、いまやもうパターン化して、なんの目新しさも刺激もなくなった、きまりきった段取りの単純芝居(ああ、なにをかくそう、そういう段取り緊縛を最初にやり、数百タイトルのビデオ映像の中で、さんざん安易に、同じことをくり返してきた張本人は、私つまり濡木痴夢男なのだ!)から、なんとかして脱け出さなくてはいけない、むかしの「裏窓」時代のような、おもしろい連続写真を撮らなければいけない、と中原るつプロデューサーと何度も話し合い、私もついにその気になった。
単純マンネリ緊縛ショーとちがって、ストーリー性のある写真を撮るには、数倍のエネルギーを必要とする。
私はたじろぎ、ためらう。
だが、るつプロデューサーの前で、決意を表明してしまった。
やらねばならぬ。
これから思いつくままに、脈絡もなく、撮影のためのメモを書いていく。
文字どおり、メモである。
メモとは、旺文社の国語辞典によれば「メモランダム」の略。
「忘れないように、主要な点だけを書いておくこと。覚え書き」
である。
頭に浮かんだことだけを、ひらめいたままに書きつらねていく。
無駄な、よけいなこともいっぱい書く。
山之内幸カメラマンよ。
このメモの中から、シャッターを押す瞬間のヒントをつかんでください。
場所・安アパートのせまい一室。
貧しげな畳の部屋があり、玄関へ通じる廊下との境に、柱が一本立っている。
ヒロミという名の女(早乙女宏美)と、田丸という男(濡木痴夢男)が、向かい合ってすわっている。
なにやら不穏な、緊迫した空気。
田丸のセリフ(スチール写真の撮影だから当然セリフは入らないし、聞こえもしない。だが、男の体の姿勢と、ヒロミの体の姿勢と表情を生きたものにするために、セリフをここに書いておく。ヒロミの動きと表情は、男の口から吐き出される脅迫、卑猥なセリフの数々によって変化する)
いいかい、奥さん、ここまできたら、はっきり言わせてもらうよ。
街の金融業つまりマチキンなんてのはいろいろあるけどね、うちみたいな悪質の金貸しは、自慢じゃないけど、他にはないだろうね。
そんなにおびえた顔をしなくていい。
金を返せないからといって、いのちまで取ろうとは言わないよ。
しかしまあ、あんたのご主人のギャンブル狂いもひどいよねえ。
競馬、競輪、パチンコ、なんにでも手を出して、それで負けてばっかりだ。
あんたのご主人にはねえ、バクチの才能がないんだよ。
才能がないくせに、賭けごとがやたらに好きなんだ。
そんな男に、百五十万も金を貸したおれもバカだったが、いまそれを言っても始まらねえ。
女房のあんたに黙って家を出て、もう三カ月も帰ってこないそうだな?
ふん、どこに隠れていやがるんだか。
でも、このまま放っておくわけにもいかねえんだ。
どこに隠れているのか、それを教えてくれねえか。
まあ、あいつの隠れているところを知ったところで、どうせ空ッケツだ。
だけど、おれもあきらめるわけにはいかねえんだよ。
――ビデオの映像ではないので、男のこういうセリフは、もちろん写真の中には入らない。写真だけを見ている人にはわからない。
だが、撮影開始と同時に、男(つまり濡木)が、気分を出して、こういうセリフを口にすれば、早乙女はもとより、この場にいる全員(といっても、幸カメラマンと、るつプロデューサーだけだが)の心が、一つの雰囲気に染まるわけである。
そして、男に脅迫されるヒロミの哀れな表情や体の動きを見れば、幸カメラマンは早くもシャッターを押しはじめるかもしれない。
カメラマンは、シャッターを押すとき、劇中のヒロミや田丸に声をかけなくてもよい。
ここぞと思ったときに、どんどん勝手にシャッターを押してもらいたい。
田丸というこの高利貸しの、つぎのセリフと行動。
ご主人の隠れているところを教えろ、と言ったところで、どうせあんたはソラッとぼけて教えてくれないだろう。
そこでおれは、ここで、あんたのご主人を待つことにするよ。
この家で待っていれば、いつかはあいつももどってくる。
あいつは、あんたに惚れているらしいからな。
帰ってきたら、そこをとっつかまえてやる。そこで、かわいそうだが、あんたをここから動けないようにするよ。
あんたに逃げられたら、手掛かりがなくなってしまうからな。
田丸、いきなりヒロミの片方の手首をつかみ、背後にねじあげる。
同時に、かくしておいた縄を取り出し、その手首にかける。
ここから先は、いつもの濡木と早乙女の呼吸を手順の「縛り」になるが、幸カメラマンのシャッターを押すスピードを意識し、調整しながら効果的に動くこと。
田丸とヒロミは、動画撮影と、停止画撮影の場合の違いを、計算しながらの動きになるが、あまりそれを意識すると、作品にリアリティを欠くことになるので、このへんはみんなで気をつけよう。
型どおりの写真になってしまっては、私たちが「ともしび」を結成した意味がなくなる。
しかし、このへんのスピード感を意識した演技とリアリズムの差は、濡木も早乙女もこれまでの数多い現場で慣れているはずなので、じつはあまり心配していない。
カメラマンが、万一シャッターチャンスを逃した場合は、
「あ、そこ、もう一度やってください」
と、気軽に、遠慮なく言ってくれれば、私も早乙女もすぐに同じことをくり返す。
くり返すのは、かんたんなことである。
だが、同じ動きをくり返すときは、リアル感を失わないように、細心の注意をもって、カメラマンの指示に応じよう。
でき得るかぎり、自然の流れの中で撮影をすすめよう。
カメラマンがモデルにむかって、
「あっち向け、こっち向け、顎を上げろ、顎を下げろ、眉と眉を寄せて、悲しそうな顔をしろ!」
などと命令する声が聞こえそうな、安易なつくりものの写真だけは絶対に撮らないように、みんなで気をつけよう。
カメラマンが指示する声だけしか感じられないようなものは、緊縛写真としては最低のものだということを、改めて心に刻みつけよう。
とくに、るつプロデューサーは全体の進行を見渡す位置にいて、目くばりをきかせて、監視の心持ちで見ていてください。
私たちの仕事は、ともすれば安易に走りやすい。油断していると、すぐに類型におちいり、マンネリという最悪の状態になる。
(いってみれば、私の存在そのものが、すでに類型であり、やること、なすことの一切がマンネリになっているような気がする)
告白すれば、先日筑摩書房経由で、都築響一カメラマンに、私が「内緒」にしている私の仕事部屋を撮っていただいたのも、そのマンネリを破りたいがゆえ、であった。
そして、このとき撮っていただき、都築カメラマンお手ずから編集・製本された、私のその「写真集」が、今回の「ともしび」同人の撮影決断のきっかけになっている。
私の仕事部屋、そして私自身が写っている写真集「田端方丈記」は、前述のように早乙女宏美も見ている。
「いいなあ、これ。こんなの作りたいなあ!」
と、早乙女も歓声をあげている。
ここで私が、今回の撮影について改めて彼女に言わなくても、私の気持ち、私の狙うところは、すでに伝わっているはずだ。
今回の私の決意と、早乙女への気持ちは、「SMネット」(サニー出版)という雑誌の中にも書いている。
早乙女は、早乙女宏美という芸名をかなぐりすてて、私の縄に縛られてもらいたい。
そして、私の縄に、正直に反応してもらいたい。それだけである。演技は一切無用。
今回の撮影は山之内邸であり、ここに集まるのは、早乙女も入れて総勢わずか四名である。
しかも、おたがいに、ウソも隠しもない、気心の知れた同志である。よけいなスタッフは一人もいない。
考えてみれば、俗世間では通用しない、秘すべき性(さが)を持った人間が四人、一室に揃って数時間をすごすというのは、一生に一度、あるかないかのことであろう。
おたがいに本心を、山之内幸のカメラの前にさらけ出そう。
撮影は、あと十日後にせまっている。
当日、撮影中に巨大地震に見舞われたら、四人同じところで死ぬことになる。
おれはそれでも本望だがね、と言ったら、あとの三人、複雑微妙な笑顔になって、たがいに目と目を交わし合い、
「ウーン、それはちょっとねえ……」
と、一律に首をかしげやがった。(笑)
(つづく)
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