2011.4.22
 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百六十三回

 撮影まであと七日


 なんだかんだと撮影を前にして、えらそうなことを言ったり書いたりしている私だけど、たとえばこの「おしゃべり芝居」にしても、じつは、「ともしび」のプロデューサーであり、風俗資料館の館長である中原るつ氏がときどき舵取りとして私の足の先を動かし、方向をそれとなく是正したりしている。
 そうしないと、気まぐれで、軽薄で、何事にも落ちつきのない私は、ちょっと油断すると、すぐに横道に外れ、いつのまにか違った方向にのめりこむ。
 すると、本来目的とするところが、ぼやけてしまう。テーマがぼやけるのはまずい。
 この「おしゃべり芝居」の原稿でも、彼女はいちばん先に読んでくれ、ときどき注意してくれる。
「……ここのところ、もう一度読みなおしてごらんなさい。いつも濡木先生が提唱されているSM観、緊縛快 楽観とちがうんじゃないかしら。このまま世間に出してしまうと、先生のいつもの主旨や主張とはちがうといって誤解されますよ」
 表現のニュアンスに多少の差はあるが、大体こんなふうに言われる。
「へえ、どこどこ?」
 と言って、指摘されたところを読みなおしてみると、なるほど、中原館長の言うとおりなのである。
 その具体例をあげてもいいけど、長くなるので、ここではやらない。が、彼女の忠告に従わざるをえないことが多い。
 困ったことに、彼女は私より頭がよくて、理論的で、指摘するところは、たいへんに正しい。あきらかに私の方が間違っている。
 私にしたって頑固なところがあり、納得しなければ自分の文章を書きなおしたりはしないが、相手が正しいのだから仕方がない。
 もう一つ困ったことに、私より頭がいい上に、彼女はきわめて正直な性格なのである。
 正直一直線、という感じである。
(こんな正直な人間に私はいままで出会ったことがない)

 あまりにもまっとうな彼女の意見に、私がくやしがって、むりやり反発しようとすると、彼女はたちまち柳眉を逆立て、般若のようにおそろしい、憎たらしい顔になって、なおも私のまちがいを、びしびしと指摘する。
(般若というのは、おそろしい顔つきの鬼女ですが、もう一つ、真実を見きわめる鋭い知恵の持主という意味もあります)

 彼女は、私が前にどこかの雑誌に書いたものを、手早く取り出してコピーし、
「ホラ、ごらんなさい。先生は以前、こういうふうに書いています。"言葉を発しないスチール写真のほうが、じつは雄弁に多くを語るのです"と。私はこっちのほうの考え方に賛成しますが……」
 そのとおりなので、私は降参するより仕方がない。
 彼女よりも二倍以上も年をとっている人間としては、ただ降参してしまうのもくやしいので、彼女の目の前で、メモ用紙に大きく、
「直情径行」
 と書いて、いやがらせに見せびらかしたりする。
 直情径行とは「いつわりや飾りのない感情のまま、自分の思ったとおりに行動すること」です。
 私としては、多少の皮肉をこめた仕返しのつもりでしたが、彼女はフーンというような平気な顔で、まったく動じない。
 でもまあ結果的には、私が納得して原稿をなおし、そのおかげで私の間違いは是正されるという次第であります。ありがたいことです。
 このことをもう少し説明すると、こうです。
 私はずいぶん長いあいだ、数多くのビデオ撮影の現場で仕事をしてきたせいもあって、スチール写真よりも、ビデオの動画のほうが、被写体(つまり縛られ責められるモデル)のこまかい表情や体の動きの変化が、ていねいに表現できる、とうっかり思いこみ、そう書いてしまったのです。
 スチール写真では、登場人物の動きは停止しているし、声やセリフは当然のことながら聞こえない。
 声やセリフが聞こえないのだから、人物のこまかい心理のかけひきを表現するのはむずかしい、というようなことを書いてしまったのです。
 つまり、声や音の出るビデオのほうが優位だという意味にもとれる文章です。
 私のそのたった一行の文章を、るつプロデューサーの大きな目玉は見逃しませんでした。
「なにをおっしゃるんですか。スチール写真では、人物の心の動きが表現できないと言うんですか。先生がいつも言ってることと、ちがうではありませんか!」

 こんどの写真集に登場する金貸しの男のセリフを、私は撮影用のメモの中に、ながながと書いたのです。
 私の書いたその長いセリフの内容を、停止画であるスチール写真の中で、正確に表現するのは無理のように思えたのです。
 そこでつい、こみいったストーリーになると、ビデオ映像のほうが、登場人物の関係や立場を説明しやすいと思ったのでした。
 いい年になっていながら、いつもながらの軽率な、あさはかな私のふるまい。
 ああ、恥ずかしい。
 るつプロデューサーの鋭い目は、私のその安易な一行の文章にたちまち釘付けになり、指摘の矢が飛んできて、私の胸に突き刺さったのでした。
 ギャッ、ウーン!
 彼女の口から発せられるのは、いつものようにきわめて正論であり、私は一言も反論できない。うなるばかりです。
 で、すぐに書きなおしました。本心を書きました。
(それが「おしゃべり芝居」一六一回です)
 るつプロデューサーは、
「うん、これでいいわ。これでいきましょう」
 と、うなずいてくれました。
 ああ、こわかった!

 今回るつプロデューサーから注意されたことが、もう一つありました。これも私自身の「撮影メモ」として書いておきます。
 それは、撮影に対する私の姿勢が、私自身のための作品、というよりも、「愛好家諸氏」に見せてよろこんでもらうため、という意識のほうに、どうしても傾いてしまうことです。
 つまり私は、女性を縛るとき、つねに、同じマニアの人々に共感してもらいたいという本能が働いてしまうのです。
 その結果、「作品」をつくろうという意識よりも、「商品」を生産しようという気持ちに支配されてしまいます。
 過去に私が縛ってきた女性というのは、九九・九パーセントまでが職業モデルであり、つまり「商品制作」のために縛ってきたのですから、当然といえば当然なのですが。
 こんどの「ともしび」撮影の場合は、こういう「商品」づくりの本能をすてなければなりません。
 これまでの惰性で、私の心がうっかり「商品」制作のほうに傾いてしまっては、いかにもまずい。これだけはぜったいに避けなければならない。
 こんどの撮影は「商品」づくりから離れて、あくまでも私好みで終始しなければならない。
「商品」臭くなってしまったら、なんの値打ちもなくなる。

 このことについては、もっとよく考えなければならないのですが、何度もいっているように、私は元来頭がわるいので、深いところまで考えが及ばないのです。
 飽かずにくり返してきた経験と、カンで、長いあいだ、こういう仕事をやりつづけていたというわけです。
 五十数年間、同じことをやっていると、どうしても、澱(おり)のようなものが溜まってきます。
 こんどの撮影で、その澱を、こそげ落とせるか、どうか。
 さあ、今夜はこれから、七日後に早乙女宏美を縛るための縄を取り出し、入念に、手入れをいたしましょう。

つづく

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