濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第百六十六回
フツーの人と、そうでない人
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前回のつづきである。
「ともしび」撮影時の模様を、もうすこし書いておかねばならない。
営業のための緊縛写真、ビデオ映像の撮影を、五千回から六千回やってきた私が、はじめて自分の意志一つで、信頼できるスタッフとモデルに声をかけ、何者にも、そして何物にも妥協せずに、撮影をやり遂げたのだ。
撮影を終えてから、赤札屋という居酒屋で「打ち上げ」をやりながら、私は三人の仲間にむかって、そのことを言った。
「マニア以外の、フツーの人間たちにも売ろうだなんて欲張ったことを考えないで、純粋に、自分だけの好みと意志で撮影をやったのは、きょうが初めてだよ。その意味で、きょうは濡木の記念すべき新生の日だ」
というような意味のことを、表現を変え、心のなかで彼女たちに感謝しながら、私は何度もくり返して口にした。
一九五九年(昭和三十四年)、私が美濃村晃からたのまれて「裏窓」の編集を引き受けたときには、写真はもちろん、活字ページの小説・読物類も、すべてが、マニアのためだけの内容であった。
経営的にはもちろん商業誌ではあったが、対象はあきらかにマニア一辺倒であった。
マニア読者のためだけを思って、私は「裏窓」を編集した。
フツーの読者は、まったく相手にしていなかった。
フツーの読者が読んでもおもしろくない雑誌を、私はめざした。
フツーの読者が読んでおもしろいと思われたら、恥だという意識すらあった。
エロ雑誌を規制し、取り締まる官憲の人たちに、
「こんな雑誌の、どこがおもしろいのかね、さっぱりわからない」
と言われ、嘲笑された。
わからない、と軽蔑され、変態とバカにされることに、一種の誇りを持つこともあった。
官憲に忌避され、嫌われ度が高くなるにつれ、フツーの内容ではない雑誌は、フツーではない感覚を持つ読者に歓迎された。
このころ「裏窓」に所属する編集者は、美濃村晃、椋陽児、そして私という、フツーの感覚と同時に、フツーではない感覚を合わせ持つ人間ばかりであった。
時代が移り、いわゆる「SM」雑誌が、フツーのエロ愛好者向きの内容をのせるようになったのは、フツーの感覚だけを所有し、フツー以外の感覚の持ち合わせのない人たちが編集するようになった事実に一因がある。
フツーのエロ感覚しか持たない人間が、見様見真似(みようみまね)で編集したSM雑誌でも、それがめずらしいうちは、よく売れた。出版社の利益になった。
だが、元来フツーの感覚しか持たない常識世界の人間に、マニア相手のSM雑誌を編集させることに無理があった。
(彼らとつきあっていると、私が泣きたくなるような見当違いがいっぱいあった)
フツーの感覚しか持たない編集者は、どうしても、フツーの感覚のエロティシズムを、雑誌の中に入れてしまう。
女が着ている服の裾をまくり上げて、すぐにお尻を見せようとしたり、両足をひろげさせて、股の間に何かをねじこもうとしたり……。
たしかに、フツーの人には、女の股間に何かを挿入するエロティシズムのほうがわかりやすい。
わかりやすいから、編集していて安心できる。自分がわからないもの、理解できないものを読者の前に出すのは不安である。
全裸の大股びらきよりも、どうして着衣の正座姿のほうがいいのか、さっぱりわからない、と首をかしげながら掲載するよりも、自分ではっきりと感じとれるフツーのエロティシズムをのせたくなるのは当然であろう。
私は、当時たくさん発行されていた「SM雑誌」と称する雑誌のほとんどに関係していたので、そういう編集者とのつきあいも多かった。
そういう編集者たちと一緒に、何千回も緊縛写真の撮影をやってきたのである。
彼らの多くは、給料をもらうだけのために仕事をしていた。
当然といえば、当然な話である。
出版物にかぎらず、映像商売も同じことだ。儲けるために、フツーのエロ感覚しか持たないAV監督が、むりやり緊縛シーンのあるビデオ映像を撮影したところで、マニアの心は冷えるばかりである。
ややッ?
話がいつのまにか、また横道に外れてしまった。
ぐだぐだと、よけいなことばかり書いてしまった。
どうも年寄りは愚痴っぽくていけない。
私は何を言いたかったのだろう。
こんなことばかり書いていては、この文章「前回のつづき」にならないではないか。
マニアを興奮させてくれない緊縛写真や映像があいかわらず出回っているらしく、マニアたちの不満の声が、私の耳にも入ってくる。
それではこのへんで一つ、本気を出して、好むのは私だけかもしれない緊縛写真を撮ってみようかと、傲慢を承知で思い立ったのが「ともしび」の始まりである。
だから、お断りしておく。
フツーのエロ感覚がお好きな人には、まったくおもしろくない、なんだかよくわからない写真集ができることだろう。
(仲間以外にはお見せする気もないけど)
おもしろがってくれるのは、私と趣向を同じくする仲間たちだけである。
だから、今回撮影した写真は、終始モデルは着衣のままで縛られる。
服の裾をまくり上げるということもしない。
逆さにして吊り上げるなどという、なんの意味もない、不自然きわまるアクロバット的シーンも一切登場しない。
縄も、せいぜい三本か、四本しか使わない。縄はすくないほうが存在感があり、より悩ましい緊縛エロティシズムを表現できる。
こういう感覚は、フツーの人たちには、とうてい不可解であろう。
もちろん、わかってもらいたいとは思わない。私たちの心の奥底にある砦は強固である。
フツーの人たちには、絶対に理解できない感覚世界だからである。
柔軟な空想力、物語性に富む、繊細で飛躍的な妄想力を有するマニアだけが甘受し、快楽に浸ることのできる感覚世界なのだ。
前回にもちょっと書いたが、ヒロミ(早乙女)を後ろ手にして柱に縛りつけたあと、田丸(濡木)が手拭いのサルグツワを二重に噛ませる、このシーンがぐんぐん盛り上がって、過去にみないほどの凄いものになった。
(このとき、なぜか中原プロデューサーがビデオカメラを持ち、このシーンだけを動画におさめている)
まずハンカチを丸めて、ヒロミの口の中にねじこむ。
ぎゅうぎゅう指を使ってねじこむ。
ねじこんだ上から、中央に結び玉をつくった手拭いで、口の中に噛ませたハンカチをおさえこむ。
ところが、その結び玉が大きくて、ヒロミの口の中に入らない。ヒロミの口は小さい。
歯のあいだにつめこんだハンカチが、もこもことハミ出してくる。
それを私が指先で押してつめこむ。
ヒロミはもがき、またもこもことハンカチの固まりが出てくる。
「結び玉が大き過ぎるんだ。手拭いをタテに裂いて細くしよう」
ヒロミの顔の前で私は結び玉を解き、長い手拭いをタテに半分に引き裂いて細くした。
裂いた手拭いを、こんどは結び玉をつくらずに、そのままヒロミの上下の歯のあいだに噛ませ、押し込んであるハンカチの上から、ぎゅうぎゅう縛った。
ヒロミの左右の頬に、手拭いが痛々しく食い込んだ。
さらにその上から、べつの手拭いで、顔半分をおおうサルグツワをする。
呼吸をふさがれ、苦しげに悶えるヒロミの表情。撮影後、早乙女は、
「私は人より口が小さいので、あのときは息がふさがれて本当にくるしかった」
と私に言った。
前回書いたように、一つのクライマックスともいうべきこのときのシーンを、中原るつプロデューサーが、小さなビデオカメラで的確に、繊細に撮っている。
呼吸を圧迫されて上下左右に顔をふるわせ、せわしい息使いで悶える早乙女を、上半身アップで、粘りつくような執着心のこもった熱い撮り方である。
あとで映像を見て、この異様な迫力に私はおどろいた。
私は心中舌を巻き、こういう映像を撮る人間はただものではない、と思った。
考えてみると、このサルグツワ場面は、今回の撮影の中では、あきらかに、唯一の「責め場」になっている。
サルグツワを噛ませるだけのシーンを、これほどきびしく、華麗でマニアックな真実感をもって表現されている映像を、私は他に知らない。
過去に私が主催していた緊美研ビデオにもサルグツワ場面は多数あり、リアルにこまかく撮っていたはずだが、今回はさらに被虐美の濃い凄惨な画面となって躍動している。
厳重なサルグツワに悶えるヒロミの、被虐にまみれた痛々しい顔を凝視して、私と二人のカメラマンは、憑かれたように神経を集中させていた。
苦しげに顔を上下左右にふるわせているうちに、サルグツワがゆるんだ。私はふたたび手拭いの両端をつかみ、ゆるんだサルグツワを、力いっぱい、ぐいぐい締めなおす。
今回の撮影でビデオの動画として記録されたのは、この場面と、他に数カットしかない。その意味でも、このサルグツワの異常なまでの迫力シーンは、「ともしび」の門外不出の、貴重な財産となった。
早乙女宏美の体の上半身(オッパイも出ていない)、顔の表情しか写されていないけど、私たちが歓喜にふるえるこのサルグツワ場面を見ても、フツーの人は、ただ、
「ひどいことをするなあ」
と、顔をしかめてつぶやくだけでありましょう。
「かわいそうなことをするなあ」
「こんなことをして、どこがエロティックで、何がおもしろいんだろう」
「わからないなあ」
と思うだけでありましょう。
そうなのです。
フツーの人には、わからないのです。
(わからなくてもよいのです。あなた方は、フツーの人なのですから)
フツーの人にわかるようなことをしても、私たちには、なんのよろこびも満足感もないのです。
フツーの人には、私たちのような自由奔放に、拡大飛躍することのできる、光彩に充ちた異常な空想力もなければ、怪奇ロマンの物語を瞬間的につくり得る妄想力もない。
フツーの人ではない私たちには、きわめて特殊な、私たちしか持ち得ない、奔放きわまりない、いってみれば変態能力があるのですよ。
なので、このサルグツワ場面に、フツーの人たちが夢想して実行し得るエロティシズムの、十倍も、いや百倍も千倍もの、気の遠くなるようなエロティシズムを感じとることができるのです。
えッ? 信じられないとおっしゃるんですか?
そうでしょうねえ。信じられないでしょうねえ。
ええ、信じられなくても、もちろん、かまいません。
私たちの妄想の中身、それは、じつを申せば、とっても恥ずかしいことで、うっかり他人には言えません。が、また、ひそかに誇りに思うところでもあります。
私たちがマニアと呼ばれ、ときにさげすまれることがあっても、こんなぜいたくな快楽を味わえる感覚を神から与えられたのですから、我慢しなければいけないのでしょう。
おや、また話が横道に外れてしまった。
「ともしび」第一回の撮影が、予想以上にうまくいったので、つづけざまに第二回目の撮影をやろう、ということになりました。
それをいちばん熱心に、声高に提唱しているのは、なんと、中原るつプロデューサーなのです。
「つぎの撮影の台本を書きなさい。先生、なまけていないで、早く書きなさい!」
いま私は、毎日きびしく、さいそくされているところです。
(つづく)
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